
芸人の人生を左右するほど影響力が大きく、毎年開催を心から楽しみにしているファンが多い「M−1グランプリ」が、今年も12月22日に開催される。2008年に優勝した「NON STYLE」はいかにしてその頂上に辿り着いたのか?
石田明氏の新著『答え合わせ』(マガジンハウス)より一部抜粋、再構成してお届けする。
面白いだけではダメ、上手いだけでもダメ
NON STYLEは2008年のM-1で優勝しました。
慣れ親しんでいた「イキリ漫才」(井上がかっこつけるのをいじる漫才)を捨て、新たに構築したスタイルで勝ち取ったチャンピオンの座。そうまでする覚悟を決めた大きなきっかけとなったのが、前年2007年のM-1でした。
準決勝で敗退した僕らは、敗者復活戦で決勝に行ってやると意気込んでいました。正直、ほんまに行けると信じて疑っていませんでした。
ところが、その座を射止めたのはサンドウィッチマン。本当に悔しくてM-1挑戦して以来、初めて号泣したんです。それまでも敗退するたびに「悔しい」とは口にしていたけど、本当は、それほど悔しくなかったんやと気づきました。
なぜ悔しくなかったのかというと、たぶん、「決勝に行ける」「チャンピオンになってやる」と自分に言い聞かせていただけで、あの舞台に立つ自分の姿をリアルにイメージできていなかったんでしょう。敗者復活戦の会場にはなんともいえない連帯感が漂っています。
選ばれたコンビを送り出した後もみんな会場に残って、巨大モニターで一緒に見ながら応援します。僕も何の疑問もなく、「行ってこーい!」「引っかき回せー!」なんて声援を送っていました。2006年までは。
2007年は、ただただ悔しくて涙が止まりませんでした。
サンドウィッチマンを応援する気持ちにもなれなかったし、無邪気に声援を送っている人たちを見て「お前ら、悔しくないんか」「そんなんやから勝たれへんねん」なんて、ひどいことも思っていました。
それまでは自分も無邪気に声援を送っていた1人やったのに、どの口が言うんやという話ですが……。
自分たちの漫才をイチから見直し
そして蓋を開けてみれば、サンドウィッチマンが敗者復活戦からチャンピオンになるというM-1初の快挙を成し遂げました。僕は、決勝の舞台でどっかんどっかんウケているサンドウィッチマンを見て初めて、M-1決勝のステージに立つ権利をもらえた気がしたんです。
以前から立てるつもりでいたけど、それは勘違いやった。今度こそリアルに決勝の舞台に立っている自分の姿をイメージできていたのに、行けなかった。こんなにも悔しさを感じてこそ、本当の意味で、あのステージに挑めるんやな、と。
そこから自分たちの漫才をイチから見直し、構築し直す試みが始まりました。まず、自分たちの代名詞だった「イキリ漫才」を捨てることにしました。
イキリ漫才は路上や劇場ではウケていたけど、どうもM-1には向かなかった。特に2007年はイキリ漫才の集大成、マックスを出したつもりだったのに敗退してしまいました。
当時、僕らはよく「NON STYLEは上手いだけだからな」「NON STYLEのネタは台本があれば誰でもできる」と言われていました。
「上手い」というのは、「独特」とか「個性的」とかではなく、「技巧的でそつがない」という感じがする。決して褒め言葉ではありません。いくら寄席でウケていても、そこがずっと引っかかっていたんです。
面白いだけではダメ。上手いだけでもダメなんや。マックスを出し切ったつもりのものを続けても、しょせんは焼き増しにしかならん──。
だから、いったんイキリ漫才は封印しようという判断でした。
「イキリ漫才」を捨てて構築した新たなスタイル
じゃあ、どう新しいスタイルを構築するか。当時の背景を少し説明しておくと、2007年2月に「爆笑レッドカーペット」が放映され、定期的な特番として回数を重ねていたころでした(2008年4月からレギュラー化)。
芸人がベルトコンベアに乗って次から次へと登場しては、1分前後のショートネタを披露して消えていく。超短時間のうちに、どれだけ多く効果的に笑わせられるかで勝負しなくてはいけない時代が来ようとしていました。
ショートネタブームも、いってみれば漫才の脱構築です。良し悪しは別にして「2人の会話」を積み上げて笑いをとっていくという漫才本来の形を壊すものでした。
そこで僕は、1つの展開で2つの笑いをとる「二重奏の漫才」ができんやろかと考えました。
このイメージは割と早くから湧いていて、2007年の敗者復活戦敗退の直後には、「これからは、二重奏がやりたいねん」と井上に伝えた記憶があります。井上には意味が伝わり切らなかったようで、「今までのやり方のほうがええんちゃう?」なんて言っていましたが、僕には、それだけではあかんという確信があったんです。
といっても、実際に2008年のM-1決勝で披露した「太ももを叩く反省ボケ」のスタイルに一足飛びにたどり着いたわけではなく、かなり試行錯誤しました。
たとえば、一見、普通に漫才をやりつつ、僕の言葉と動作がズレている、みたいなボケを連発するネタを試していました。
野球でいえば、「ホームランか? 三振か?」
具体例を出すと「警察の取り調べという設定で漫才コントに入るが、早く打ち上げに行きたい石田が飲み会の動きを繰り返す」というネタです。取り調べのやりとりという通常の漫才に並行して、「石田が飲み会の動きをする」という2つ目のボケを走らせているわけです。これもそれなりにウケましたが、爆発力には乏しかった。
そんなこんなで、あるとき「僕がボケる、井上が突っ込む、それに対して僕が反省する」という2段構造にするのは面白いかもしれへんと思って、いくつか台本を書いてみました。
それが、残念ながら、あまり面白くなかった。活字にしてみたら、期待していたほどではありませんでした。でも、なんだかアイデアを捨て切れなくて、試しに台本には2段目のボケを書かずに井上に渡し、ネタ合わせに挑みました。
すると、台本にはない2段目のボケを入れたときに、めずらしく井上が笑ったんです。
これも本来の漫才の形を壊しています。しかも、太ももを叩いて戒めるたびに、漫才の流れがいったん止まります。漫才の基本としては、流れを止めずにどんどん展開したほうが気持ちいいはずなので、この点でも挑戦でした。
テンポよくポンポン展開するのが上手い漫才の要件だとしたら、その対極のようなスタイルです。でも実は、「あえて下手に見せてみよう」というのも狙いのうちやったんです。「上手いだけ」と言われ続けた僕らからのカウンターパンチでした。
このスタイルを、もっと試したい。そこで、ある大学の学祭に呼ばれたとき、ステージに立つ直前に、僕は井上にこう伝えました。
「ごめん、どうなるかわからへんねんけど、例の太もも叩いて自分を戒めるっていうのを全部のボケの後に入れるから、適当に突っ込んで」結果は、ウケるところはウケるけど、ウケないところは全然ウケないという、しっちゃかめっちゃかの出来でした。
野球でいえば、「ホームランか? 三振か?」の両極端が入り乱れる感じ。
こんな「一か八か感」は今まで抱いたことがない。何かが見えた気がしました。
時はすでに2008年の秋口になっていましたが、ようやく手応えを感じられたので、このスタイルで作り込もうと決意しました。
ネタの大筋はできていました。あとは太ももを叩きながら何を言うか、どこで熱を上げ、どこでちょっとスカし、確実に笑いをとっていくか。検討を重ね、なんとか12月末に間に合わせて臨んだのが、2008年のM−1でした。
写真/AC
『答え合わせ』(マガジンハウス)
NON STYLE 石田明