
モノマネ芸人・原口あきまさ。明石家さんまや石橋貴明、柳葉敏郎や東野幸治…そのレパートリーは200を超える。
不仲だった父が末期がんに。口下手な父がくれた感謝の言葉
元自衛隊出身の厳格な父に反発し、芸人になった原口あきまさ。順風満帆な芸能生活を送っていた矢先、父が病魔に襲われたとの連絡を受けた。
「もう6、7年前ですけど、末期の膀胱がんだとわかったんです。
医者から手術しなくてはいけないと言われたんですけど、どの病院でももう“手術できません”って言われて。
俺もいろいろと病院を探して、あきらめかけたころにようやく先生が見つかって手術してくれたんです。
そのときは本当に必死でしたね。“結局、俺に迷惑かけるのか”と複雑な思いもあったんです。でも、まだ孫にもそんなに会わせてなかったし、今倒れられても困る、と。
自衛隊出身で、あんなにタフだった親父が身体が悪くなるってことは、相当悪いんだろうなって心配になっちゃって…。
今年放送されたバラエティ番組で、父は当時を振り返り、病院探しに奔走した原口に感謝の言葉を口にした。
「なんかね、感謝されるなんて珍しいですよ。泣かされましたよね。
父としても、どこかで僕が芸能界でやっていけるとまでは思ってなかったんだと思います。すぐ帰ってくるんだろうな、と送り出したんだと思うんですよね。
でも意外と俺が粘ってるから、びっくりしたんじゃないですかね」
父を思いながらも反発してしまう原口と、うまく子どもを褒められない口下手な父。そんな不器用な二人の関係性も、時とともに徐々に変化してきたという。
「親父が身体を悪くしたというきっかけもあるんだろうけど、その前ぐらいから、だんだん親父の方から“あのイベント出とったな。知らせてくれよ、出るんだったら”みたいに言われるようになったんです。
俺も“親父がそんなこと言うんだ?”と思って。そこでようやく俺、少し認めてもらえたのかな、と。
それで、ある時俺が出演するライブイベントに来てもらったんです。
少しは安心してもらえたのかな、と思ってます」
ずっとしたかった親孝行が、ようやくできるようになってきた。
「正月に帰ったときに、親父が3、4枚色紙を用意してて“お前のサインが欲しいという人がいるんよ”とか言って。
それで、色紙を見ながら“お前のサインなんか欲しいんかな”みたいなことをニヤニヤしながら話しかけてきたときは、ちょっとは認めてくれてんのかな、と。
まわりからお願いされたことがうれしかったのか、わかんないですけどね」
息子の卒業式、壇上での一言に涙「ちゃんと伝わってるのかな」
現在は4人兄弟の父でもある原口。多忙で子どもとじっくり過ごせる時間は多くなく、「親父もずっと働いている人だったから、そういうところは似ているなと思います」と苦笑いする。
「この間、俺もうちの長男坊に“久しぶりだよね。ずっと仕事で家にいなくなかった?”って言われましたもん。
“そうそう、ごめんな。でも、一応帰ってきてたんだぜ。お前らが寝た後に帰ってきて、寝てる間に出て行ってるだけなんだけどな”とか言いつつ(笑)」
それでも、合間を縫って子ども一人ひとりに向き合い続けてきた。
「卒業証書をもらう前に一人ひとりステージに立って決意表明をしたんです。
“うちの息子、なんて言うんだろう”って思いながらドキドキしてたら、長男坊が、
《お父さんのように一生懸命働き、人に感謝していきます》
って言ってくれて。自然に涙が出てきちゃって。“えー、そんなこと思ってたんだ…”って。
だから、やってきたことは間違ってなかったのかな。伝えたい部分はちゃんと伝わってるのかなって思います」
「プチ自慢になっちゃいますけど…」と表情をほころばせつつ、当時を語る。
「パパ友に“あんな言葉が言えるなんて、どういう教育をしてるんですか?”って(笑)。なんも教えてないんですけどね」
感謝を忘れるなという父の教えは、原口を通して子どもたちへ受け継がれている。
「子どもと一緒にいると、日常生活では“本当に親に感謝してる?”という場面ばっかですけどね(笑)。それも親には見せない部分かもしれないですけどね。
俺自身も、リーダー気質で人を引き付ける力がある親父のもとで生まれ育ってるからこそ、もしかしたら俺も芸能生活を長く続けられてるのかな、とか思ったりもするし。
親父にお笑い脳があるのかどうかはわからないですけど。俺に見せてない部分なんですよ、お調子者の親父は。そういうことはたまに感じますね」
「親父とは、今では本当に仲良しなんです。この正月も会いに行きますよ」と語る原口。ふだん面と向かってはなかなか言えない言葉を、手紙にしたためてもらった。
取材・文/市岡ひかり