
これまで3000人以上の歌い手と仕事をしてきた音楽プロデューサーの武部聡志氏が、特に思入れ強く語るのが、デビュー前から並走してきた一青窈だ。もともとR&Bを歌いたかった彼女に、あえてオリエンタルテイストな楽曲を2曲も提供した武部のプロデュース術を紐解く。
近刊『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか 語り継ぎたい最高の歌い手たち』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全3回の2回目〉
もっとも“濃い”曲が「もらい泣き」だった
ある日、楽器店でアルバイトをしていた溝渕大智さんが、素晴らしいメロディーを作ってきました。それがサビのフレーズです。
そしてまだ駆けだしの作曲家だったマシコタツロウさんと僕が同時進行でAメロとBメロを作り、何度も直して、3人のコライトというかたちでメロディーを完成させました。
そのメロディーに対して、アレンジメントを施す作業にも、だいぶ時間がかかりました。単にオリエンタルなものではなく、その当時のR&Bの匂いや1980年代っぽい要素も取り入れて、うまくミックスしたいと思ったからです。
そこで80年代のスタイルと同じ、打ちこみの正確なビートを土台に、デスティニーズ・チャイルドのエッセンスを加え、さらにオリエンタルな要素をミックスして「もらい泣き」を作りました。
イントロのループはオリエンタル、ビートは80年代調の打ちこみで、スパニッシュっぽいギターが入ってくるあたりにデスティニーズ・チャイルドの匂いが感じられると思います。
歌詞は曲ができあがったあとで、一青さんに書いてもらいました。
サビの〈ええいああ〉のフレーズは、この曲の歌詞でもとくに印象に残る部分だと思います。もともと一青さんは擬音を使うのが得意で、この〈ええいああ〉のフレーズはすぐにできました。
何度も練りなおしたAメロやBメロは、ちょっと聴いただけだと、90年代のJ-POPによくあるような世界観に聴こえるかもしれません。
実は「もらい泣き」のテーマのひとつはひきこもりです。
一青さんの場合、どんな曲の歌詞でも、そのような投げかけを含んでいます。それが彼女の個性です。
濃い信頼関係がいいプロデュースワークをもたらす
歌唱に関しては、特徴的な〝こぶし〟をサビのメロディーで随所に用いています。
ホイットニー・ヒューストンなどの曲を歌っていた、最初のデモテープを聴いたときから、彼女のフェイクはブラック・ミュージックのフェイクではなく、アジア的なこぶしのように聴こえました。これは彼女の大きな武器になる、生かさない手はないと、そのときから考えていたんです。
だからサビ以外にも、語尾を伸ばす部分にはフェイクを入れて、彼女らしいオリエンタルな風合いを強調しました。
〈ええいああ〉のフレーズは、〈ええい〉までが地声、〈ああ〉はファルセットです。でもファルセットへの切り替えで、彼女の声はパワーダウンしません。これも彼女の歌唱の魅力です。
実は「もらい泣き」を作った時点で、彼女のもうひとつの代表曲「ハナミズキ」のメロディーもすでにできていました。でも「ハナミズキ」がデビュー曲だったとしたら、単にいい曲を歌う新人がデビューした、という扱いで終わっていたかもしれません。
「もらい泣き」は、歌詞も、メロディーも、サウンドも個性的な曲です。
デビュー曲「もらい泣き」は2002年10月にリリースされ、50万枚を超えるヒットを記録し、彼女の存在をアピールすることに成功しました。
そのとき、彼女と出会ってからもう4年近くが経過していたと思います。その間に、一青さんと僕のあいだには十分な信頼関係が育まれていました。
そういったプロセスがなければ、一青さんの歌い手としての魅力を最大限に生かすプロデュースはできなかったはずです。
作り手の思いを強く反映した“反戦歌”「ハナミズキ」
2004年の「ハナミズキ」は、「もらい泣き」とは打って変わって、曲も詞も短期間でできた楽曲です。メロディーは「もらい泣き」のころからありましたが、作曲をしたマシコさんは一晩で曲を書きあげたそうですし、一青さんも20分くらいで一気に歌詞を書いたと話していました。
この曲の歌詞も、「もらい泣き」と同様にすぐには理解できないかもしれません。これは一青さんが、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロが起きたとき、ニューヨークにいた友人のことを思って書いたものです。
〈君と好きな人が百年続きますように〉という歌詞から、この曲をラブソングだと捉えている人も多いでしょう。
でも僕たちは当初から、これは反戦歌だと明確に意識していました。
〈水際まで来てほしい〉というフレーズは、島の上に位置するニューヨークの水辺まで、救いの船がやってくるイメージです。ニューヨークにいる友人を案ずる気持ちを、このような表現に落としこめる人はなかなかいません。
通常のプロデュース・ワークでは、上がってきた歌詞を検討して、いろいろな修正を依頼します。でも一青さんがこの歌詞を書いてきたとき、一言も直せないなと思いました。たしかに意味のわかりにくいところもありますが、それくらい筆圧が強く、彼女の思いが綴られていたからです。結局、この曲の歌詞については一語一句たりとも直していません。
アレンジは彼女の反戦の思いを反映して、ジョン・レノンの「イマジン」のような仕上がりを目指しました。「間奏のストリングスがユニゾンでメロディーを弾くところがいいですね」と言われることがありますが、そこはアレンジャーとして狙ったところです。すべての弦楽器がひとつのメロディーを弾くことで、みんなでひとつになろうという反戦のメッセージを強調しました。
「ハナミズキ」は04年2月にシングル・リリースされ、50万枚を超えるセールスを記録し、「もらい泣き」と並ぶ一青さんの代表曲になりました。
いまなお「ハナミズキ」は多くの人に愛されていますが、その理由として、サビが三声のハーモニーでできていることが大きいと思っています。
同じく三声のハーモニーでできている「もらい泣き」のサビは、メロディーに対して一度、三度、五度というふうに、きれいにハモらないようなラインを作りました。一方で「ハナミズキ」のハーモニーは、上のハモりも下のハモりも、きれいなラインでコーラスを入れています。だからどのラインも覚えやすく、中高生が合唱で歌いやすい。それがこの曲を長く歌い継がれる曲にした、大きな要因なのではないでしょうか。
そのようなプロデュースの意図を、聴く人は必ずしも感知しないかもしれません。でもそこに込めたエネルギーの分だけ、聴く人には強く届くのだと信じています。
取材・構成/門間雄介 撮影/石垣星児
ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか 語り継ぎたい最高の歌い手たち
武部聡志 門間雄介(取材・構成)
日本で1番多くの歌い手と共演した音楽家が語る
かつてない“究極のボーカル論”――。
真の「優れた歌い手」は何が凄いのか?
音程やリズムが正確な「うまい歌い手」であっても、それだけでは時代も世代も超えて人々の心を揺さぶる「優れた歌い手」ではない。
彼らはテクニックではなく、もっと大切なものを音楽に宿しているのだ――。
1970年代から音楽界の第一線でアレンジャー・プロデューサーとして活躍し、日本で一番多くの歌い手と共演した著者が、松任谷由実や吉田拓郎、松田聖子、中森明菜、斉藤由貴、玉置浩二、MISIA、一青窈など、優れた歌い手たちの魅力の本質を解き明かす。
【目次】
はじめに
第一章 松任谷由実
第二章 吉田拓郎
第三章 時代を変えたパイオニア
第四章 80年代アイドル
第五章 男性ボーカル
第六章 女性ボーカル
第七章 歌い手を生かすプロデュース術
第八章 未来を託したいアーティスト
おわりに
歌い手年表と武部聡志の仕事歴