
今から20年あまり前、匿名掲示板「2ちゃんねる」のオカルト板スレッドから生まれた「きさらぎ駅」。その後、映画化され、令和になってからもSNSトレンド入りするなど度々話題になるネット怪談の金字塔的存在となっている。
「共同構築」をキーワードに分析した『ネット怪談の民俗学』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全3回の1回目〉
共同構築されるネット怪談
「ネット怪談」という言葉には、まだ学問的な定義はない。ここではひとまず「インターネット上で構築された怪談」としておこう。「構築」といっても、ネット怪談が創作だとか捏造だとか、そういうことではない。
広い意味で、さまざまな物事がつながり、関係を持ち、組み合わさった結果として、目に見えるかたちで(知覚できる状態で)何かが現れるということである。
物事の種類によって構築のされ方は多種多様であるが、ネット怪談に関しては、名称のとおり「インターネット上で」という部分を厳密に受け取ってみたい。つまり、主要部分がオンラインで構築されている怪談が「ネット怪談」だということである。
「構築」の一例として、2022年に映画化もされたネット怪談「きさらぎ駅」を見てみよう。
一般的にきさらぎ駅として知られている話はというと──深夜、ある女性が通勤電車に乗っていたところ、いつの間にか知らない路線を走っており、「きさらぎ駅」という聞いたことのない駅に着いた。降りてみたが、時刻表も何もない。携帯電話は通じるものの、自分がどこにいるのかまったく分からない。周辺をさまよい、ようやく人を見つけ、さいわいにも車で近くの駅まで送ってもらえることになった。
この文章だけならば、本屋で売られている怪談本に載っていたり、怪談ライブで語られたり、映画で再現されたりすることもあるかもしれない(文字化も音声化も映像化も構築の一形式である)。
だが、初出の匿名掲示板「2ちゃんねる」までさかのぼってみると、きさらぎ駅は、特定の作家や演者だけで構築できるものではなかったことが分かってくる。
始まりは2004年1月8日の午後11時、2ちゃんねるのオカルト板にあるスレッド(※1)に投稿された「気のせいかも知れませんがよろしいですか?」という一文だ(この投稿者は、後に「はすみ」と名乗る)。
このスレッドは「身のまわりで変なことが起こったら実況するスレ26」といい、文字通り、超常現象や心霊に関係しそうなことが生じたらリアルタイムで報告することができる場だった。
投稿者のはすみは、自分の「身のまわりで変なことが起こった」ような気がするので、他のスレッド参加者(「住人」という。大半は匿名)に伺いを立てたのである。すぐに「取りあえずどうぞ」という返信があった。
以降、はすみは「先程から某私鉄に乗車しているのですが、様子がおかしいのです」から始まる状況説明を十数分おきに書き込んでいく。それに対して、スレッドの住人が、疑問やアドバイスを投げかけていく。
たとえば彼女は「きさらぎ駅」のほかに「伊佐貫」という地名も発見するが、これが不可解さを深めていくのは、ネットで検索してもそのような固有名詞が一つも出てこないという報告が、他の人々からなされるからである。
おそらく書き手が最初から最後まで一人(はすみ)だけだったなら、きさらぎ駅や伊佐貫といった場所名が存在しないはずのものだという恐怖は、本人にとってさえ生じづらかっただろう。
スレッドには次々と、はすみの置かれている状況の異常さに気づき、警告したり、110番を勧めたりする書き込みが投稿されていく。そうしたアドバイスが空振りに終わることもまた、彼女の身の安全についての不安感を高めることにつながる。
そして何よりも、異世界に迷い込んだ女性とこの世界の人々とのやり取りは、電波が届くかぎり、どこであっても(なぜか異世界であっても)通信ができる携帯電話のインターネット機能抜きではありえないものだった。
それがあったからこそ、はすみが緩やかに異世界の泥沼にはまっていく様子を、住人たちは歯がゆい思いをしてながめ、想像することができた(できてしまった)のである。
何年も隔てて、別のメディアも駆使しながら構築していく
きさらぎ駅というネット怪談は、本の一つの章に収まるような、始まりと終わりのある物語としてインターネット上に現れ、話題になったのではない。
むしろこの怪談は、何でもない投稿からいつの間にか始まっており(「気のせいかも知れませんがよろしいですか?」が始まりというのも後から判明したことでしかない)、はすみとオカルト板の住人たちとの思わぬ共同作業によって恐怖と不安と不思議──「釣り」、すなわち嘘をついて住人を騙しているのではないかという疑念やからかいも含めて──が構築されていくプロセスからなる、出来事の連鎖だったのである。
きさらぎ駅が共同的に構築されたものであるということは、それが未完成のまま開かれていることも意味する。誰でも新しく、自発的であれ強制的であれ、この怪談に参加することができるからだ。
分かりやすいのは、2011年前半にネット上でふたたびきさらぎ駅が話題になったときの、いくつかの出来事である。
2011年6月30日、きさらぎ駅の投稿をまとめた怪談系ブログのコメント欄に、この世界に戻ってきたという、はすみの書き込みが投稿された。私たちには、この投稿が初出時の女性なのかどうかを厳密に判断するすべはない(※2)。いずれにしてもきさらぎ駅は7年の時を超え、ふたたび動き出した。
同年8月には、2004年にはなかったSNSのTwitter(※3)において、きさらぎ駅に着いてしまったという報告が写真付きで投稿された。それまで文字だけだったこの怪談は、事実を客観的に写し取る(ものだと受け取られることが多い)画像により、さらに異なる実在感(リアリティ)を生み出した。
さすがに2020年代にもなると、この駅に関する新たな話題はほとんど報告されなくなったが、駅が取り壊されたという報告でもないかぎりは、いつまでも「きさらぎ駅に行ってしまった」という投稿は可能なままだろう。
このように、きさらぎ駅は、中心となる人物(当事者のはすみ)による2ちゃんねるへの投稿だけでは、今も知られているような怪談として成立することはなかった。むしろ多くの人々が同時的に、あるいは何年も隔てて、さらに別のメディアも駆使しながら構築していったのがきさらぎ駅なのである。
※1 「板」や「スレッド」については第2章参照。大まかに言うと、板ごとに話題のジャンが分かれており、さらに板のなかで、特定のトピックを扱ったものがスレッドである。
※2 おそらく別人だろう。二〇〇四年の時点で、オカルト板の投稿者はすみは、パスワードを入力して文字列が生成される「トリップ」機能を使い、他人のなりすましを避けていた(トリップによって本人であることを証明していた)。そのため、帰ってきたとすれば、自分であることが証明できるトリップ機能のあるオカルト板のほうに書き込むのが自然である。
※3 Twitter は二〇二三年七月、「X」に改名した。本書では、この時期以降の出来事には「X」を用いるが、それ以前には「Twitter」を用いる。
#2 ネット怪談ブームを牽引した「都市伝説」と「学校の怪談」が後世に与えた意外な影響とは…実体験の伝承が一般知識となるまで に続く
文/廣田龍平 写真/Shutterstock
ネット怪談の民俗学
廣田龍平
きさらぎ駅、くねくね、ひとりかくれんぼ、リミナルスペース……ネット怪談の発生と伝播を、民俗学の視点から精緻に分析!
この恐怖は、蔓延(はびこ)る
「きさらぎ駅」「くねくね」「三回見ると死ぬ絵」「ひとりかくれんぼ」「リミナルスペース」など、インターネット上で生まれ、匿名掲示板の住人やSNSユーザーを震え上がらせてきた怪異の数々。本書はそれらネット怪談を「民俗(民間伝承)」の一種としてとらえ、その生態系を描き出す。
不特定多数の参加者による「共同構築」、テクノロジーの進歩とともに変容する「オステンション(やってみた)」行為、私たちの世界と断絶した「異世界」への想像力……。恐怖という原始の感情、その最新形がここにある。
【本書の内容の一部】
インターネットと携帯端末が可能にした「実況型怪談」の怖さと新しさ●2ちゃんねるオカルト板の住人たちによる「共同構築」の過程を追う●「都市伝説」「学校の怪談」ブームは、どちらも民俗学者がきっかけだった●田舎への偏見をはらむ「因習系怪談」から、SF的な「異世界系怪談」への移行●心霊写真からTikTok、生成AIまで、テクノロジーの進歩こそが怪異を生む●何らかの理由で自ら忘却している? 「アナログ・ノスタルジア」という感覚●もはや恐怖に物語は必要ない――2020年代ネット怪談/ネットホラーの「不穏さ」……