無印良品・バターチキンカレーはなぜ爆売れしたのか?「おいしいものは脂肪と塩でできている」仕掛け人が明かすインドの大衆カレー料理店での秘話
無印良品・バターチキンカレーはなぜ爆売れしたのか?「おいしいものは脂肪と塩でできている」仕掛け人が明かすインドの大衆カレー料理店での秘話

レトルトカレーの新境地を切り拓き、無印良品の「食」の象徴的存在となった「バターチキン」。その味づくりに長く携わったのが産業フードプロデューサーの中村新氏だ。

「バターチキン」のおいしさの極意の発見につながったインド・オールドデリーのカレー屋と中村氏の出会いを紹介する。

著書『「無印のカレー」はなぜ売れたのか?』より一部抜粋・再構成し、紹介する。

無印良品、バターチキンカレーの原点

カレーの旅は、ニューデリーから始まった。私が参加する前にも、すでに無印良品の担当者とメーカーの方々は同様の経験があるため、インド訪問は慣れたものである。

デリーは環境も建物も近代的なニューデリーと、そのなかにある昔ながらの街並が残るオールドデリーという区域に大別される。ニューデリーは道も舗装されていて綺麗だ。インターナショナルクラスのホテルも多く、レストランも清潔。

インドのトイレ事情は概して女性にとって好ましくなく、コーディネーターはトイレ休憩として綺麗な大型ホテルに私たちを連れていく配慮を欠かさなかった。

ところが、ひとたびオールドデリーの区域に入ると様相は一変する。人はいたずらに多く、車のクラクションもけたたましい。働いているような、働いていないような人で埋め尽くされていた。

建物につながる電線は、束ねられているのかどうかわからない不規則さで垂れ下がり、道路は数年前に舗装した雰囲気はあるものの、その面影はない。溝にはどろんとした水があふれていたが、見ないことにした。

しかし、明確に何とはわからないが心に溶け込んでくる〝なにか〟がある。目に入ってくる色は人、家の壁、料理、スパイス売り場……みんな地球色である。オールドデリーは喧噪のなか、日本人が忘れかけた、湧き上がるような生命感に触れることができる場所なのだ。

バターチキンカレーのヒント探しは、メーカーの〝インドフリーク〟がイチオシの店舗からスタートした。非常に繁盛している大衆店舗だ(名前は伏せるが、本書執筆時点でも存在)。店の前には群がるように人が集まり、列などはなく、あったとしても順番は守られない。席が空くまでしばしの「待ち」である。

この店は間口4メートル程度の小さな店で、2階にも席がある。外からガラス越しにカレーを煮込む小さな厨房が見え、調理人が手際よく料理をしている。

食い入るように見ながら写真を撮ろうとすると、厨房スタッフが「No! Photo!」と制す。久しぶりのカオスに怖気づくが、ここはしっかり目に焼き付けるべしと、食い入るように見つめたところ、おもしろいことがわかった。

「なるほど、これがインド料理のコツのひとつやな!」

おいしいものは油脂(アブラ)と塩でできている

初日からこんな体験が得られるとは、と胸が湧き立つ思いがした。それは、のちに私が関わる商品開発にも多大な影響を与えた、自分なりの大きな発見であった。

そのすべてを明かすことはできないが、導入だけでもお伝えしたい。

「おいしいものは、脂肪と糖でできている」という広告文をご存じの方は多いだろう。このキャッチコピーを考えた方は相当よく勉強されている、というか、食を客観視できていると思う。

日本人の食文化としては古来、油脂(アブラ)との関わりはそれほどなかったが、安土桃山時代にポルトガルの影響で長崎にてんぷらの原形となるものが上陸してから、江戸時代にかけてゆっくりと大衆に広がっていった(てんぷらの名は1669年『料理食道記』に初めて登場)。明治時代に西洋文化の流入が著しくなってようやく、「料理とアブラの密接な関係」が成り立ってくる。

糖も同じで、昔は薬屋で売られていたものが、食用油の普遍化と同じような流れで一般的になった。

やがてアブラと糖は、おいしさに欠かせないカギとなって定着した。

西洋料理の登場とその普及は、それまで穀物と野菜、魚が中心の食で育ってきた日本人にとって、パンドラの箱を開けたといっても過言ではない。わかりやすい代表は、少し甘くてトロリとしたデミグラスソース。

大人でさえ虜になる。ましてや子供がひとたびふんわりとしたハンバーグにかかったそれを食べると、「オイシイ!」と瞬間的に確実に、かつ深く脳に刻み込まれる。

この「ハンバーグのデミグラスソースかけ」という料理が、アブラと糖の象徴だ。

日本でハンバーグがこれほど流行り、今でも隆盛を極めているのは、この麻薬のような〝いったん記憶に刷り込まれると消えない〟味を、幼いころから知っている人が多いからではないか。

しかも、味覚が敏感な幼児期にこれだけ中毒性を伴う味と出会っていたら、自分が親になったとき、その快感や感動を子供にも伝えたいと思うものだ。

その実、レストランや食品メーカーのたゆみない開発努力の甲斐もあり、現代ではいとも簡単に、子供にそれを体験させることができる。〝アブラと糖のアリジゴク〟へまっしぐらだ。そう簡単にはデミグラスソースのかかったハンバーグをやめられないのである。

先の料理店で発見したのは、この味の体験の裏づけとなる「油脂を操る」ことだった。

アブラの差が味の深まりにつながっている

ガラス越しの厨房からは、3つの鍋が見えた。鶏肉を煮込んでいる鍋、ラムを煮込んでいる鍋、豆と野菜を煮込んでいる鍋。どれも、スパイスの色の移ったアブラが、鍋から出る湯気を抑え込むほど厚みをもった層となり、たっぷりと浮いていた。

インド料理ではよくギーというアブラを使う。ギーは牛やヤギなどの脂肪からとれる澄ましバターのようなもので、野菜や肉を炒めるときなどに使われる。特に重要なのは、スパイスの香りを立たせてギーに香りを乗せる調理手順。先述の鍋にはスパイス色のギーが浮いていた。

ポイントは、鶏肉(皮なし骨付き)、ラム、野菜と分けて煮込んでいた点だ。つまり鶏肉の鍋の浮き油には鶏肉の脂が、ラムの鍋にはラムの脂が混ざっている。野菜は脂が基本的にないのであっさりしている。

専門的な話をすると、アブラには性格があり、素材によって融点が異なる。性格が違う3種の素材を一緒の鍋で煮ると、平たくいえばひとつの味になる。ところが、3種類を別々に煮て、最終調理の段階でドレッシングのように簡単に混ぜるだけにすると、それぞれの油の性格が出て、複雑な味になるのだ。アブラの差が味の深まりにつながっている。

深みを出すためのこうした手法は、洋の東西を問わず行われているが、インドの伝統食がつくられる日常的なシーンでそれが行われていたことに、私は驚嘆した。

オーダーが入ると、調理担当者はこれらの油脂を少しずつすくい取ってひとつの鍋に入れ、カレーを仕上げていく。年のころは30歳くらい、目が鋭くギラギラしていたこともあり、その素早さは「厨房の獣」のように思えた(私は気に入った)。

ほどなくして席が空き、座ってバターチキンカレーをオーダーして出てきたものを見ると、そのころ無印良品が出していたものとは比べ物にならないほど粗末な見た目である。が、ひとたび口に入れると、「旨い!? うーん、違う。

激しい味」。

〝いろいろなおいしさ〟が詰まっていて、バランスが取れているのに、カドもある。

スパイスは口のなかで踊り、骨付きの鶏肉はほろりと崩れながらも味を失っていない。ソースはサラリとしているが、コクがあって優しい。スパイスから出た、赤パプリカのような優しい地球色の油脂が皿の白と重なりあって、光り輝く。

「何や、これは!?」

絶叫に近い感動を心のなかに抑えながら、黙々と試食した。

「インド料理の入口としてこんなおいしいものを食べてよかったのか?」と独りごとをいいながら店を後にし、次に向かった店で、私のインド料理に対する意識は一気に確信へと昇りつめた。

味を引き締めているのは塩

次の店はオールドデリーの(支店がバンガロールにもある)、歴史があり、かつ人気の高いイスラム系レストランだった。ここの名物は、絶妙に旨い羊の脳ミソのカレー。トロリとした脳ミソとパンチのあるカレーソースが最高の相性。

もちろんオーダーしたが、これに魂を持っていかれそうになる自分を制し、バターチキンカレーに集中だ。

ほろりとした鶏のもも肉は、ほんのりと炙った炭の香りがし、厚みのある甘みとクセのない後味が良い。先ほどの店の味とは異なり、凝縮した旨みがソースに集約されている。

そして何より、独特の甘みと酸味がたまらない。

インド料理は野菜らしい甘みが特徴であるが、それを引き締めているのは塩である。どの料理を食べても、味の輪郭がしっかりとした塩味で引き締められている。しかもそれは、野菜などの素材と複合した、複雑な甘みと折り重なるような風味を引き出す油脂とともに、おいしさを際立たせていたのだ。

インドでは日本と違って、「おいしいものは脂肪と塩でできている」。これは極意である。

写真/shutterstock

「無印のカレー」はなぜ売れたのか? 食品ビジネスで成功する思考(フィロソフィー)と仕組み

中村新
無印良品・バターチキンカレーはなぜ爆売れしたのか?「おいしいものは脂肪と塩でできている」仕掛け人が明かすインドの大衆カレー料理店での秘話
「無印のカレー」はなぜ売れたのか? 食品ビジネスで成功する思考
2025/1/271,650円(税込)226ページISBN: 978-4865936940

陰の立役者が豊富なエピソードとともに解説
レトルトカレーの新境地を切り拓き、 無印良品の「食」の象徴的存在となった「バターチキン」。その味づくりに長く携わった産業フードプロデューサーが、ヒットへの道程や極意を解説。思考から値づけまで食ビジネス成功のポイントを明かします。付録「中村新オリジナル 簡単ごちそうレシピ」を収録。

《コンテンツの紹介》

【はじめに】成功の土台にはフィロソフィーがある

【1章】噺家志望だった少年が、食の世界にとりつかれた

・客商売でいちばん大切なこと
・はからずも〝料理界の東大〟へ
・携帯のない時代、電車で何をしていたのか
・人生を変える出会いと大失敗
・ゴミは宝物――捨てる神あれば、拾う神あり
・夢の番組担当が始まった
・ヨーロッパ修行で受けた洗礼
・発想・技術・道具で得た小さな栄光
・ウェインストック卿の週末料理人
・プロデュース業の重要性とおもしろさに目覚める

【2章】無印のカレー開発秘話―おいしいだけでは売れない
・おいしいだけでは売れない
・小さな転機
・素の食は民藝に置き換えられる
・たかが下味、されど下味
・「レトルト食品」が売れていた理由
・無印良品の要は品質管理
・本場に出かけたからこそわかったこと
・課題を抱えるエースの改良依頼がきた
・海外食リサーチの心得
・バターチキンの〝無印良品的本質〟を見つける
・おいしいものは油脂(アブラ)と塩でできている
・購買ターゲットは誰か
・最初の試作品ができあがる
・バターチキンカレーを変えたもの  etc.

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