
昨年末12月29日、東京・浅草で「鬼そば 藤谷」を営む芸人・HEY!たくちゃんこと藤谷拓廊さんがXで発表したポストが話題となった。
原材料・賃料…高騰する東京を離れて秋田で挑戦
〈浅草 鬼そば藤谷から
秋田県大曲 道の駅 なかせんへ来年移転することに決意しました。
3月10日まで
浅草 鬼そば藤谷でしっかり営業していきます。
残り約60回近くの営業になりますが、是非よろしくお願いします!〉
突然の秋田への移転の発表にラーメン界は騒然となった。
「鬼そば 藤谷」は東京・浅草にある現店舗を2023年12月にオープン。もともとは渋谷で営業をはじめたが、同年9月22日に入居するビル1階の店舗から出火し、換気ダクトや電気系統が焼けて営業が続けられなくなり、移転していた。
それからわずか1年半での秋田への移転。いったい何があったのか?
「昨年10月ぐらいに物件の更新料の案内が来たときに、あまりに高額でこれは続けられないと考えたんです。そのときは、もう一度都内で移転しようと物件を探したんですが、なかなかいい物件が見つからず、このまま探していてもうまくいかいなと思い…運気もない気がして」(藤谷さん、以下同)
都内での移転が難しいと考えていたとき、藤谷さんが思い出したのは秋田でのラーメンイベントのことだった。秋田にいる大学時代の友人がラーメンイベントを企画して、大曲にある「道の駅 なかせん」で限定営業をしたのである。
「まずイベントが楽しかったのと、秋田のお米やお肉がとんでもなく美味しかったんです。うちのラーメンも1.25倍ぐらい旨くなったような気がして。安いし旨いし、食材の高騰などずっと心に引っかかっていたものがすべて取れた気がしたんです。理想のラーメンができて、これはスゴいなと思っていました」
藤谷さんはニューヨークで開かれた「JAPAN Fes(ジャパンフェス)」内で開催された「NYラーメンコンテスト」を2019、2022、2023年と3度制覇した。その際、秋田の道の駅の人たちから店に花が届いた。
2023年10月頃には、「もしよかったら『道の駅なかせん』で、お店をやってくれないか」というお願いが来ていて、いっそのこと東京の店を閉めてこの期待に応えてみようという思いがふくらんでいった。
「こんなに求められることはないので秋田に行こうと決めました。秋田は食糧自給率が全国2位で、食材の質も高い。芸人・タレントとしてほかの人が今までやったことのないことをやることが使命だと思っているので、思い切って秋田に移転することにしました」
「ラーメンは地球上で一番熱狂できる食べ物」
東京で有名になった店が地方の道の駅に移転するという話は聞いたことがない。
都内で移転することに苦戦していた藤谷さんは、「秋田に移転するってオモロイな」と直感的に思ったという。こうして東京の店を閉めて覚悟を持って移転することに決めた。
「せっかくならば、秋田に行って奇跡を起こしたいと思います。秋田でラーメン一杯で人を集められたら本物かなと。大曲を『ラーメンの町にしたい』と地元の方は言っていますので、その話に乗ってみようと、むしろ先頭を切ってやろうと思っています」
東京でお店を続けている中でマンネリ化を感じていた藤谷さんは、このままでは面白みがないと感じていた。変わりゆくラーメン界の中で、目標が薄くなっていたことも確かにあった。
その中で、インバウンド対策や「1000円の壁」など、東京ではラーメン界が変わろうとしている。そういったものをすべて取っ払って、ラーメン一杯で地域の人たちを喜ばせるために藤谷さんは秋田に行くという。
「ラーメンは地球上で一番熱狂できる食べ物だと思っています。道の駅の来客数を前年の2倍にして地域の活性化につなげたいです。そしていつかはニューヨークに秋田のラーメンを持っていきたいという思いもあります」
藤谷さんは秋田で道の駅でお店を開くほか、キッチンカーにもチャレンジしたいと考えている。家賃・物件の高騰はラーメン店の運営において非常に大きな問題だ。そうした中で、キッチンカーなどの移動式屋台が今後の最先端になると考えている。
「東京でキッチンカーをやると駐車場の問題が出てきますが、秋田ならば6台、7台と用意しておくことが可能になります。キッチンカーならば災害時にもラーメンを作りに行けますし、ラーメンイベントにも出やすい。一日だけラーメンを作りに行くこともできます。全国各地に自分のラーメンを届けに行くこともできるんです」
もともと藤谷さんはお笑いを続けるためにラーメン屋を始めた。
“ラーメンの鬼”と呼ばれた「支那そばや」佐野実さんのモノマネをしていて、ラーメン店とコラボしたのがラーメンを作りはじめたきっかけだ。店頭でモノマネをしていたのが、そのうちホールを手伝うようになり、ラーメン作りもするようになった。お客さんも佐野さんそっくりの藤谷さんがラーメンを作っているのを見てとても喜んでくれた。
17杯連続でラーメンを残された苦い過去
そこからラーメン作りが楽しくなり、毎年開催されている「東京ラーメンショー」の会場で行なわれた新人職人の発掘イベント「バトプリ」に出演し、見事優勝を勝ち取った。
その後、渋谷で店をやらないかという誘いが来た。メディアでもたくさん取り上げられ、当時芸人の仕事だけで生きていくことは難しかった藤谷さんは、そのとき一気にこの話に乗ってみようと自身のお店のオープンを決めた。
しかし、順風満帆にはいかなかった。
オープンの直後に手伝ってくれていた二人が辞めてしまい、一人で作るしかなくなった藤谷さん。オープン当初は17杯連続でラーメンを残されて、このままではお店は続けられないと絶望の淵に立たされた。
どん底にいた藤谷さんをいろいろなラーメン店の店主が助け、ラーメン作りを教えてくれた。
徐々にメディアでも取り上げられるようになり、人気店に成長した。そこから「ロブスター味噌ラーメン」を引っさげ、ニューヨークのラーメンイベントでも優勝。こうして藤谷さんは芸人としての知名度を凌駕するほどにラーメン店主として有名になっていった。
「これからは秋田のテレビやラジオにも出ながらラーメンを続けていきます。東京で淡々と続けるより、真っ白なキャンパスを選ぼうと決めたんです。
ローカルタレントをやりながら東京と秋田の架け橋になっていきたいと思います。地方の魅力を伝えて、芸人にはこんな道もあるぞということを見せていきたいです」
藤谷さんは地元の食材を使いながら秋田の「ご当地ラーメン」が作れれば最高だと話す。ラーメン職人と芸人、二つの顔での新たな挑戦が始まる。
取材・文・撮影/井手隊長