
「謙虚で控え目であるということは、人に軽く扱われる存在になりかねない」90歳を迎えた今もなお美容研究家として精力的に活躍する小林照子さんは、35年以上にわたり化粧品会社で活躍後、56歳で起業し75歳で高校を設立するなど、長い人生においてさまざま挑戦を重ね、豊かな人生を過ごしてきた。ました。
自分を卑下しない
「どうせ私なんか」という言葉は封印する。人はひとりひとり輝けるようにできているのです
「もう私なんか、歳だし」
「どうせ私なんか、いまさら努力しても変わらないし」
そんな言い方をする人をたまに見かけることがあります。子どもが巣立ってから、あるいは長年勤めた会社を定年退職してから、さあ新しいことを始めようという方もたくさんいる一方で、このように自分の人生を半ばあきらめたような態度をとるのはとてももったいないことだと思います。
自分を卑下する人は、「卑下する癖」がついてしまっているのかもしれませんね。女性の場合、謙虚にふるまうほうが愛されると、子どもの頃から思い込んでいる方が多いのかもしれません。
「私、わからない」「私、できない」というかわいらしい受け答えのほうが、まわりの人間が助け船を出してくれる。それを知恵として学んでいる人もいるでしょう。
人間には凸と凹がある
でも、いつまでも「私なんか」を繰り返す人に、誰がついてくるでしょうか。ある程度の年齢になったら「かわいいの先」にある「責任」と「自信」を身につけるべきだと、私は思っています。
人は傲慢な態度をとっていれば、周囲から反発をくらい、たたかれます。でも謙遜が過ぎるというのも考えもの。「とんでもない、私なんか」は、相手の「そんなことないですよ」を強要するとても面倒な言葉にもとられます。
そして、自分を出さずに人の陰に隠れた生き方をしていると、それは顔つきや姿勢にもだんだん表れてくるのです。
「人間には凸と凹がある」と教えてくれたのは、私の人生の大先輩である鯨岡阿美子さんです。鯨岡さんは、ファッション業界の女性リーダーを中心とした、国際的な非営利団体「ザ・ファッショングループ」を日本で立ち上げたジャーナリストで、いわば戦後ファッション業界の草分け的存在。
1970年代には、ニューヨークを皮切りに全米で行われた、日米文化交流のためのファッションイベント「ジャパン・ショウ」を陣頭指揮されました。私はその準備にかかわらせていただきました。
あるとき私は鯨岡さんに猛烈な勢いで怒られたことがあります。
私は化粧品会社という組織の人間なので、打ち合わせの場でも会議の場でも、とにかくメモをとる癖がありました。物覚えが悪い人間であることは自覚していたので、耳で聞き、手で書き、覚えるということを実践していたのです。
ザ・ファッショングループの会議でも、私は毎回細かくメモをとっていました。会議に出席しているのは、ファッション業界で著名な方ばかり。その中のおひとりが私に名刺を渡して、あとでそのメモ内容を自分のところに送るようおっしゃいました。
私は「はい、わかりました」と素直に名刺を受け取りました。
自分から「影」になるのはもうやめにしませんか
「あなた、人はみんな平等なの。あんなことしていたらだめよ。人には凸と凹があるの。控え目に引っ込んでばかりいると、どんどん人につけ込まれるのよ。
あなたの変にへりくだった態度は凹なの。そこで相手は、あなたはおとなしく言うことを聞く人間だろうなと思って自分の要求を押しつけてくる。つまり、相手はどんどん凸になっていくのです。
でも、そうさせているのはあなた自身の態度ですよ。謙虚で控え目であるということは、人に軽く扱われる存在になりかねないということを、よく覚えておきなさい」
謙虚であるということは、日本人の美徳です。でも、謙虚の出し方を間違えると、いつも自分が不本意な役まわりを負わされることにもなります。このときの鯨岡さんの教えによって、私はふわふわのんびりした自分を断ちきることを、意識するようになりました。
いつも強い立場に立てるほど、自分に自信がない。
私自身、いまだに「自信のかたまり」にはなれません。でも、自信がないからこそ、人は学び、自分にしかできないことを実現しようと努力をするのではないでしょうか。
「努力? どうせ私なんか、無理」。いいえ、無理なことはありません。努力のしかただって、人それぞれ。人の輝き方も人それぞれです。
そもそも人に序列はありません。どちらが偉い、どちらが偉くない。それを忖度して、自分から「影」になるのは、もうやめにしませんか。そのためにはまず、「どうせ」という言葉を口にするのは、やめてみる。そんな投げやりな言葉は封印するのです。
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少しよくばりくらいがちょうどいい
小林照子