
現代社会においてもしばしば問題視される理不尽で構造的な女性差別問題や、日本の敗戦を開戦前に指摘していた総力戦研究所や原爆裁判など、センシティブな問題を正面から描いたNHK連続テレビ小説『虎に翼』。社会の問題に切り込む骨太なドラマが評価されるいっぽう、「報道は腰抜けですけれど(笑)」も、とあるNHK関係者の言葉だ。
書籍『動乱期を生きる』より一部を抜粋・再構成し、なぜ日本のテレビ局の“報道部門”が凋落し続けるのかについて日本の凋落を嘆く内田樹氏と山﨑雅弘氏の談話を紹介する。
NHKは報道部よりもドラマ班のほうが気骨がある
内田 昨今のNHKは、報道部よりもドラマやドキュメンタリーの制作班のほうが気骨がありますね。先日、NHKの取材を受けました。
優れた企画だったし、うちに来たスタッフの皆さんも面白い方々ばかりでしたので、「最近のNHKはドラマやドキュメンタリーは攻めてますね」と言ったら、その中のお一人がにっこり笑って「報道は『腰抜け』ですけれど」というご返事でした。
なるほど、NHK内部では、腰抜けが報道に残って、気骨がある人たちはドラマやドキュメンタリーや情報番組に追いやられてしまったのだなと知りました。
山崎 昨年放送された『虎に翼』は見応えがありました。途中から見始めたのですが、セリフの一つひとつや画面の演出がよく練られていて、当時の問題に現代社会の問題が違和感なく投影される形になっている。
構造的で理不尽な女性差別だけでなく、なぜか女性を敵視する「弱者男性」の心情まで丁寧に描いていました。脚本家の吉田恵里香さんは、本当に手練だと思います。
内田 朝ドラは視聴者の数が多いですから、使いようになってはプロパガンダ装置にもなりかねない。けれども、体制へのカウンターとして『虎に翼』のような作品を送り出してくる制作陣が残っている。そこに救いがあると思いました。
山崎 敗戦後の民法改正のくだりでは、「高齢男性がしがみつく日本の伝統とやらは、実際には明治期につくられたものばかり」と女性議員がさらっと指摘するシーンがあるのですが、あれをNHKが電波に乗せたのは画期的でした。
自民党など一部の国会議員が崇め奉る靖国神社も、夫婦同姓も、明治期の大日本帝国の国家体制に合うように作られた「伝統と称するもの」でしかないんです。
日本の敗戦を開戦前に指摘していた総力戦研究所の存在や、あまり知られていない原爆裁判の描写からも、制作陣の気概のようなものを感じ取れました。
内田 民放ではもはや見ることができない光景ですね。かつてNHKは体制側で、民放のほうに在野的な批評性がありましたけれど、ドラマやドキュメンタリーについては、もう構図が逆転しましたね。
高市早苗の「公正中立ではない放送局には電波停止を命じる可能性がある」発言
山崎 2012年に第二次安倍政権が発足して以降、自民党政権によるメディアへの圧力が段階的にエスカレートし、当時の高市早苗総務大臣が「公正中立ではない放送局には電波停止を命じる可能性がある」とまで言及しましたが、一昔前であれば、あの発言はテレビ局から激しい批判の逆襲を食らって逆に大臣辞任にまで追い詰められてもおかしくなかったと思います。
内田 あれは少し昔なら内閣総辞職に追い込まれるような暴言だったと僕も思います。それがペナルティなしでまかり通ってしまったのですから、いかにメディアの足腰が弱くなったかということの証明でしょう。
安倍政権のメディア対策は、要するに「しつこい」ということと「非常識」ということに尽きると思います。ふつうならそこまでやらないというようなことをやった。
いちいち番組内容に介入し、個別の番組の出演者にまでクレームをつけた。ふつうはテレビ番組を全部チェックして、その一つひとつについて政府に批判的かどうかなんか査定するようなくだらないことに官邸の貴重な人的リソースは割きません。外交でも内政でもそんなことより重要な政治的イシューはいくらでもありますから。
でも、安倍政権はその優先順位をひっくり返して、「政府批判をするメディアを叩く」ということを最優先の政治課題にした。
でも、これはある意味で卓越した着眼点だったと思います。「叩いて」みたら、メディアは思いのほか弱腰だということがわかったからです。一度きりのクレームには抵抗するけれども、三度四度とクレームを続けると腰が砕ける。
ていねいな口調での抗議には抵抗できても、「ふざけたことをすると停波するぞ」というような非常識な恫喝には屈する。問題はここでも「程度の差」だったんです。
これまで政府がメディアにいくぶんか配慮していたのは、メディアの抵抗力を過大評価していたからだということがわかった。それが第二次安倍政権の最大の「収穫」だったと思います。「メディアは腰抜けだ」ということを政府が知り、国民も知った。
それによってメディアに対する信頼性を土台から掘り崩すことに成功した。こうやって僕たちが「日本のメディアは腰抜けだ」というようなことをあたかも周知の事実のごとく言い切れるのも、それが安倍政権が開示した事実だからなんです。
もちろん、それまで「第四の権力」というような過大評価に安住してきて、タフな批評的知性を鍛えてこなかったメディア自身の責任も大きいとは思います。
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動乱期を生きる
内田樹 (著), 山崎雅弘 (著)
知の巨人と気鋭の戦史・紛争史研究家がとことん語り合う
資本主義、安全保障、SNS選挙、トランプ大統領、中東問題……
「株式会社思考」が蔓延する社会
すでに権力を持っていることを理由に、強者が権力者然としてふるまう政体。それを「パワークラシー」という。
そして、このパワークラシーにどっぷり浸透してしまっているのが日本の社会である。
現代の日本では、強者を求める国民心理、短期的利益を求める「株式会社思考」が蔓延している。
さらに、マスメディアによるジャーナリズムの放棄、現状追認を促すインフルエンサーの台頭と相俟まって、傲慢で短絡的な政治家・インフルエンサーの言動が人気を集める不可解な現象が起きているのだ。
一方、世界を見渡しても、近代以前への回帰志向を持つ指導者が支持を集め、恐怖と混乱をもたらしている。
この動乱の時代において、私たちに残された道はあるのか?
本書では異なる専門を持つ二人が、300ページを超える圧倒的なボリュームで、日本が抱える問題とディストピアを余すことなく語る。
暗い未来の中に見える一筋の光とはーー。