“童貞記者”の最初の仕事はソープの体験取材…『全裸監督』著者が週刊誌の現場で体感した「80年代の異様な熱気」と無茶ぶりの数々
“童貞記者”の最初の仕事はソープの体験取材…『全裸監督』著者が週刊誌の現場で体感した「80年代の異様な熱気」と無茶ぶりの数々

世界190か国に配信され、大旋風を巻き起こしたNetflixの衝撃作『全裸監督』。同作の原作者・本橋信宏さんが、「物書き」としてのスタート地点となった男性誌『週刊大衆』編集部での強烈な体験談をまとめた書籍『全裸編集部 青春戦記1980』(双葉社)を出版した。

(前後編の前編) 

「歴史の生き証人」が明かすみのもんたさんの若き頃

AV監督の村西とおる、テレビプロデューサーのテリー伊藤、イエローキャブ創立者の野田義治といった、レジェンドたちと関わり続け、政治思想から刑事事件、裏風俗まで、昭和後期から平成にかけての時代の熱量を記録してきた本橋さん。

そんな本橋さんが忘れ得ぬ人々、出来事とは。

「もともとルポライター的な物書きになりたかったこともあり、まずはいろんな世界を見ておこうと思いました。最初からフリーランスでいこうと思ってましたが、やっていけるわけがない。そこで急遽就職活動をすることになり、テレビ局やラジオ局、広告代理店、芸能事務所などを受けたけれど、どこも採用されなかったんですね。

そこで、大学時代に知り合ったテレビ制作会社の若いディレクターに泣きついて入社させてもらったのですが、3か月で逃げ出してしまったんです。その若いディレクターは、今のテリー伊藤さんなんですけどね。

その後、フリーランスの物書きになってから意を決して連絡をしたら、あっけなく許してもらえて、それから改めて仕事をさせていただくようになりました」(本橋さん、以下同)

「物書き」になる前の1970年代後半、一時期イベント会社で働いていたという本橋さん。当時は、新卒社員を青田買いしたい企業がスポンサーとなって、大学生向けのイベントを多数開催していたという。

「男女500対500でカップルを成立させるフィーリングカップル5……といったマッチングものが多かったですね。そんなイベントをよくやっていました」

ここでも「のちの大物」と関わることになる。

「会場は六本木や歌舞伎町のディスコで、司会進行がみのもんたさんでした。何度か司会をしてもらいました」

文化放送を辞め、フリーとして活動し始めていたころだった当時のみのさんの印象を、本橋さんはこう振り返る。

「文化放送時代から社員アナウンサーなのに長髪で、ビートルズに詳しくて、おもしろいDJをする、ということで人気があった。私もビートルズが大好きだったから、みのさんのラジオ番組をよく聞いていました。

でも、みのさんはその後、人事異動で営業部に異動となって、文化放送を辞めたんですよね。

それで父親が経営する水道会社に入社して、そこで営業マンをしつつ、フリーのアナウンサーもしていたんではないかな」

売れる前のみのさんは、学生相手のイベント司会は乗り気ではなかったようだったとも。

「会場のディスコの片隅のソファで、イベント開始前、寝ていて、スタッフが『みのさん、もうすぐ始まりますー』と声をかけると、大きく伸びをして、不機嫌そうに起きる。

そのときに、腕にはめている金無垢の時計が、ジャラジャラと手首にずれるのが印象に残っています。売れないフリーランスの悲哀を見てしまった記憶があります」

だが、その後のみのもんたさんの快進撃は、誰もが知る通り。3月1日に亡くなってしまったが、その豪快さや面倒見のよさなどは、追悼記事で多数紹介されている。

童貞の記者が初めてした「オトナの仕事」

若者たちを相手にしたイベントで彼らの生の声を聞く機会が多かった本橋さんはそうしたアンケートの集計結果を、知人を介して『週刊大衆』に持ち込むことになる。 

世は女子大生ブームの兆しが見えかけたころ。特に若い女性たちの生の声は、彼女たちの心理を知りたい男性週刊誌には格好のネタとなった。 

「編集者さんがおもしろがってくれて。

『女子大生ライフスタイルの特集をするので、記者として取材を手伝ってほしい』と言われました。嬉しかったですね。それが24歳。私の物書き人生の始まりです」 

仕事では多くの若い女性に接してきていたものの、実際は人見知りで奥手だった本橋さん。当時、女性経験はまだだった。

「そんな私に、週刊誌の現場で初めて命じられた仕事は、ソープランドの体験取材でした。風俗はもちろん、女性経験もない。それでも、『ええい、ままよ』と突撃した結果、今の私があるわけです(笑)」

まさに「全裸記者」である。

「その後も、街頭で女性に声をかけて性事情を聞くとか、女暴走族への突撃取材とか、実名でヌードを披露してくれる女子大生を探せとか。

女子大生ネタばかり書いてました。週刊大衆での記者歴は3年ほどでしたが、その後もフリーライターとして関わり続けました」

こうして体当たり取材を続けていった先で、運命の存在である村西とおる氏と出会った。

「1980年代前半、『ビニ本』という、露出度の高いヌード写真集が水面下で流行していたんですね。

ビニ本は一応、発行元の住所、出版社名が載っているんだけど、まったく載っていない写真集、『裏本』が密売されるようになったんです。ビニ本は一応修正をかけていましたが、裏本は無修正、発売と同時に発禁という非合法出版物でした。

裏本を作って全国に流通ルートまで持っている一大グループ・北大神田書店が存在し、その会長が後の村西とおるだったんです」

接触、取材することができた本橋さんは、その過程で村西氏に気に入られ、膨大な利益をあげていた北大神田書店グループのまっとうな出版社「新英出版」で『スクランブル』という写真隔週誌の編集長を務めることに。

だが、1983年の暮れ、村西とおるは猥褻図画販売容疑で逮捕されてしまい、北大神田書店グループは崩壊。

再びフリーランスの物書き稼業にもどった本橋青年は、翌84年にAV監督「村西とおる」が誕生すると、取材がてら後を追う。その体験は、のちに名著『全裸監督 村西とおる伝』となり、時を経て世界を巻き込む映像作品となった。

村西さんとの出会いで人生が大きく変わった本橋さんだが、その後、村西さんに勝るとも劣らない昭和の怪人たちとの出会いが待っていた。

後編へつづく

 PROFILLE●本橋信宏(もとはし・のぶひろ)作家、ノンフィクションライター。
1956年埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。フリーランス記者、写真隔週誌編集長を経て、現在は、忘れ去られた英雄、集合写真で「1人おいて」とキャプションにある人物を追う。2016年刊行『全裸監督 村西とおる伝』(太田出版/新潮文庫)は2019年、2021年にNetflixで世界190ヶ国に配信され、大ヒットを記録する。

他に、『裏本時代』『AV時代』『フルーツの夜』(幻冬舎アウトロー文庫)、『新・AV時代 全裸監督後の世界』(文春文庫)、『ベストセラー伝説』(新潮新書)、『新・巨乳バカ一代 野田義治の手腕と男気』(河出書房新社)、『出禁の男 テリー伊藤伝』『僕とジャニーズ』(イースト・プレス)、『アンダーグラウンド・ビートルズ』(共著・藤本国彦/毎日新聞出版)、『東京裏23区』『東京降りたことのない駅』(大洋図書)、『ハーフの子供たち」(角川新書)、『風俗体験ルポ やってみたらこうだった』『東京最後の異界鶯谷』(宝島SUGOI文庫)、「新橋アンダーグランド」「高田馬場アンダーグラウンド」「歌舞伎町アンダーグラウンド」(駒草出版)、『東京の異界渋谷円山町』『上野アンダーグラウンド』(新潮文庫)など多数。最新刊は『全裸編集部 青春戦記1980』(双葉社)。

取材・文/木原みぎわ

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