
2024年、「THE SECOND~漫才トーナメント~」で王者に輝いたガクテンソク。ツッコミの奥田修二さん(43歳)は、バラエティー番組「有吉の壁」で、ぱーてぃーちゃん・金子きょんちぃさんと披露したコント「京佳お嬢様と奥田執事」が大バズり。
SNSアカウントの開設や漫画化が決定するなど、その影響は広がり続けている。かっこつけず、焦らず、自分らしく四十路独身道を歩む奥田さんに、「40歳からの生きる美学」について話を聞いた。(前後編の前編)
今はテレビに出られるのがうれしい
人気番組から誕生した即席ユニット「京佳お嬢様と奥田執事」がバズっている。
2025年1月放送の『有吉の壁 3時間SP』で、奥田さんと金子きょんちぃさんが即興で披露したコントだ。ギャルお嬢様と執事という異色の組み合わせが視聴者の心をつかみ、放送直後から話題となった。
その勢いは止まらず、公式アカウントが開設されると、現在では奥田さんの公式Xのフォロワー数を超えるほどの人気に。さらに、漫画化も決定するなど、番組の枠を超えた広がりを見せている。
「もともと、『有吉の壁』に出たいと思って作ったネタなんです。20年間、漫才をやってきて、いきなりショートコントをやるわけにいかないじゃないですか。でも、テレビに映って面白いことを言えるなら、フィールドはなんでも頑張りたいんです。
尖っていた若手時代なら断っていたかもしれませんが、今はテレビに出られるのが楽しい。激辛の番組でも体を張りましたからね」
漫才師が体を張ったり、テレビに出たりするのは逃げ――そんな考えは、40歳を境に変わったという。
M-1ラストイヤーで優勝できず、「とりあえず」東京へ
2005年に結成し、関西を拠点に活動してきたガクテンソク。「THE MANZAI」「ytv漫才新人賞」など、さまざまな賞レースで決勝に進出してきた。
当時、同時期に上京した芸人の多くは若手ばかりだったという。その中で、41歳で東京に出ることに迷いはなかったのだろうか。
「もともと『M-1グランプリ』に出るために結成したコンビなので、M-1ラストイヤーだった2020年が一番焦りましたね。僕たちは“実力派”と言われることはあっても、実際に賞レースで優勝したことがなかった。決勝には進出するけれど、あと一歩のところで届かない。
最初はみんなで同じレースを走っているのに、決勝を意識し始めると、いつの間にか“マリオカートのタイムアタック”みたいになっていく。前年の自分のゴーストが目の前を走っていて、『どうやったらあのコーナリングで(過去の自分たちに)勝てるんやろ』と試行錯誤するうちに、どこかでぶつかってダメになる。そんな状況に、焦りや苛立ちを感じていましたね。
M-1の出場資格がなくなった後は、『次に何を目指したらいいんやろう』と悩みました。今さら漫才をやめるわけにもいかない。そこで思い切って、相方と『環境を変えてみる?』と話し合い、東京に拠点を移すことにしたんです。
この決断をしたときは焦りよりも、40歳を過ぎてまだ親孝行もできるような結果を出せていない“現実を受け入れる”と言うほうが正しいかもしれないです」
恥の上塗りは悪くない。「塗れば塗るほど」艶が出る
東京に拠点を移した直後の2024年、結成16年以上の漫才師を対象とした「THE SECOND~漫才トーナメント~」で優勝したガクテンソク。仕事の幅は広がっても、奥田さん自身はあまり変わらず、「日々、恥ずかしい人生」と笑う。
「『THE SECOND』王者というありがたいチャンスをもらって、ようやく多くの人に知ってもらえるようになりましたが、そこに至るまで20年もかかっています。それ自体が恥ずかしいですし、そもそもTHE SECONDがなければ、今どうなっていたかも分かりません。
でも、“恥の上塗り”が悪いとは考えていない。むしろ、塗れば塗るほど艶が出ると思っています。他人と比べる必要はないですし、そもそも自分は恥ずかしい生き物だと思えば、何も思うことはありません」
43歳、独身貴族の愉しみ
43歳、独身貴族。そんな奥田さんはお酒やアイドル、ゴルフ、クレーンゲーム、歴史と幅広い趣味を持っている。40歳を過ぎても、やりたいことをやり、楽しむことを大切にしている。特にクレーンゲームは、ただ掴んで離すだけのシンプルな仕組みながら、奥深い魅力があると話す。
「クレーンゲーム系のYouTuberがいるおかげで、取り方のコツがある程度分かるようになります。そうすると、自分なりのやり方を試したくなってくるんです。
特に、難しいものや大きな箱、珍しい景品を狙うのが好きです。また、お店ごとに設定がまったく異なるのも面白いポイント。景品の獲得口の位置やアームの強さなど、それぞれ特徴があるので、劇場や地方営業に行くと、つい近くのゲームセンターに立ち寄ってしまいます」
全国の劇場を回る機会が多いため、自然とクレーンゲーム事情にも詳しくなったそう。
「何を“よし”とするかで変わりますが、僕は『難しいけど、アームパワーが強い店』が好きなので、新宿のマルハン東宝ビル店にはよく行きます。フィギュアを取るのに適していますが、箱物の景品を落とすのは難しい場所でもある。でも、アームが強いので挑戦しがいがあります」
また、東京の郊外や北関東にある倉庫系ゲームセンターは、設定が甘いため、初心者にもおすすめだという。
「千葉鑑定団というチェーン店もいいですよ。リサイクルショップと併設されていて、売れ残ったものが景品になっていることが多いんです。だから、どんどん取って帰ってもらってOKというスタンスなんでしょうね。普通のゲームセンターでも、新商品の入荷情報を公開しているところがあります。入荷後3週間以内なら、比較的設定が甘いので、狙い目です」
死ぬときに、「以上、奥田修二でした」と言える人生でありたい
THE SECOND王者を経て、公私ともに「面白いこと」につながる人生を謳歌している奥田さん。今後については、「目標というのもおこがましいですが、いろいろな仕事を引き受ける中で、自分がどうなっていくのか楽しみ」と語る。
「以前、銀シャリの橋本(直)さんと一緒に出演したトークショーの質問コーナーで、お客さんから『落ち込んだり、へこんだりしたときはどうしますか?』と聞かれたことがあります。でも、僕はそもそも落ち込んだり、へこんだりしないんです。うまくいかないことが当たり前だと思っているので。
野球に喩えるなら、『いつかうまくいく』と信じて20年間練習するのは無理がある。うまくいかないのが普通で、うまくいくことのほうが奇跡だと思っているから、何が起きてもへこまないんです。
だからこそ、結局『何者か』にはなれていないのかもしれませんが、それはそれでいい。なれるか、なれないかはともかく、最終的に死ぬときに『以上、奥田修二でした』と思える人生だったら、それで十分。結局のところ、粛々と生きていくだけですね」
後編へつづく
後編ではTHE SECOND2025の優勝予想をズバリ!
取材・文/橋本岬 撮影/高木陽春
奥田修二(おくだ・しゅうじ)
1982年3月3日、兵庫県生まれ。2005年、よじょうと「学天即」を結成。同年の『M-1グランプリ』にてアマチュアながら準決勝進出を果たす。2007年より吉本興業に所属。2013年の「NHK新人演芸大賞」演芸部門大賞、2014年の第49回「上方漫才大賞」新人賞、2015年の第4回「ytv漫才新人賞」優勝、第50回「上方漫才大賞」奨励賞など、受賞歴多数。
『何者かになりたくて』
奥田修二