
いよいよ開幕し、これから約6か月間、日本中で激戦が繰り広げられるプロ野球。その舞台の中でも屈指の歴史を誇るのが明治神宮野球場だ。
シーズンシートを購入してほぼ全試合観戦
1926年に竣工した神宮球場は“野球の神様”ベーブ・ルースが、実際にプレーした、世界でも数少ない現存球場のひとつとして知られる。また、現在、プロ野球の東京ヤクルトスワローズが本拠地としているほか、東京六大学野球リーグや東都大学野球リーグ、夏の甲子園の東西東京都大会や明治神宮野球大会など学生野球、さらには草野球でも使用されることから「日本一稼働の多い球場」でもある。
そんなプロ野球と学生野球のファンから愛されるスタジアムについての新刊『神宮球場100年物語』(朝日新聞出版)を2月21日に上梓したのが、ノンフィクションライターで熱狂的ヤクルトファンの長谷川晶一氏だ。
45年間にわたり、神宮球場で“定点観測”を続ける長谷川氏にその魅力を聞いていると、必然、話題は「神宮外苑再開発」へと移っていき……。
――これまで神宮球場には何回くらい足を運ばれたんですか?
長谷川晶一(以下、同) 一度真剣に数えようと思ったんですが、結論、わからないということになりました。ただ、9歳で初めて観戦して以来、毎年何十試合と行っていましたし、2017年からはシーズンシートを購入して、年間約70試合行われる神宮でのヤクルト戦はほぼすべて現地観戦してますから、だいたい1500試合くらいでしょうか。
――1500試合!? まさに第二の我が家ですね。シーズンシートって何十万円もしますし、企業が社員への福利厚生のために購入するものだと思ってました。
個人で購入される方もけっこういますよ。僕の周りの席も毎年同じ人が買っていて、神宮の開幕戦では「今年も1年間よろしくお願いします」って感じであいさつします。
僕だけでなく、全試合を現地で観たい人はたくさんいて、毎試合チケットを取るのも大変ですし、シーズンシートのほうが割安になりますからね。
「最初は壊さないでほしかった」
――その数多の観戦歴の中で、印象に残っている試合は?
やっぱり1980年4月26日の初観戦です。角富士夫選手のサヨナラホームランという劇的な勝利を生で見たことをきっかけに、ヤクルトと神宮球場に夢中になりましたから。
あと印象的な試合で言うと、2002年の“ブンブン丸”池山隆寛選手の引退試合もスゴかった。当時は外野は自由席もあったので、スタンドはもちろんコンコースや通路にも人が溢れ、売り子さんも歩くのにひと苦労で、試合途中からは姿を消しました。後にも先にもあれほど観客でごった返した神宮球場は私の知る限りありません。
――プロ野球だけでなく、学生野球でも多くの名シーンを生んだ神宮球場。その魅力を教えてください。
たくさんありますが、ひとつは都会のど真ん中にある屋外球場であることです。周囲に(港区)青山の高層ビルやオシャレなお店があって、目と鼻の先には新宿と渋谷がある。
そんなエリアなのに球場に入れば、芝生のグリーンと座席のブルーという鮮やかなコントラストが目の前に広がって、夢の世界に迷い込んだ気分になるんです。
そんな空間で飲むビールが最高においしい(笑)。
――一部ファンからは“居酒屋神宮”なんて呼ばれていますね(笑)。
ひとつはやはり再開発ですね。神宮外苑地区の再整備により新神宮球場の建設について都からの承認を得たというニュースが2015年にあって、そのときは正直何も思ってなくて。
それが2018年に具体的なスケジュールが出てきて、「意外ともうすぐだな」とちょっと焦ったんです。
――当時は再開発についてどう思ってましたか?
愛着があるから、単純に「壊さないでほしい」と思ってました。
それからしばらく経って、神宮球場がいずれ今と違う形になるなら「球場の歴史についてちゃんと調べてみよう」と思い、資料を集めるようになり……。「調べるからには本にしたいな」「本にするからにはちゃんと調べよう」と思ったことがスタートにはなります。
痛感する神宮球場の不便さ
――再開発に関しては反対を訴える声もニュースなどでよく取り上げられていました。
そうですね。再開発が事実としてあって、それに対して反対運動が起きている。そのなかで当初は自分の立ち位置がよくわからなかったんです。
残してほしい、という素朴な思いがある一方で、毎日のように神宮球場へ通っていて、観戦に不都合な部分もたくさん見てきたからです。
他球団の球場に行くと、特に比較的最近できたマツダスタジアムや楽天モバイルパーク宮城はスゴいと感じていたし、当時はまだありませんでしたが北海道にメジャーのようなボールパークができる(エスコンフィールド北海道)という話もあった。
――具体的には?
度重なる改修の継ぎ足しによって幅、高さがまちまちな階段につまずいて転んだり、ビールをこぼしたりする人を見るのは日常茶飯事ですし、車椅子の方へのバリアフリー対応はほとんどなされていません。
前後、左右のシートピッチは非常に狭いため窮屈な思いでいつも観戦しているし、敷地も限られていることから試合終了後のコンコースや球場外周の混雑もスゴい。車と人が混在する歩車分離もなされていない。
――神宮に足繁く通うファンならみんなが感じていることですね……。
選手目線で見ても、球場内にグラウンド以外に練習するスペースがないから、近くにある軟式野球場や室内練習場でアップしてから徒歩数分かけて球場入りしなくてはいけない。ヤクルトは毎年のように故障者が多いと言われますが、こういう不便な環境も遠因になっている気がしています。
もちろん、その動線で選手と触れ合えるのがヤクルトと神宮球場の良さでもあります。
僕も小さい頃にそこで大杉勝男選手に頭を撫でてもらったことは、40年以上経った今でも鮮烈に覚えてます。けれど、それで村上宗隆選手や長岡秀樹選手といった今の人気選手がケガでもしたら本末転倒だし、ずっとどうにかならないかなと思ってました。
――それも出版の動機のひとつだと。
はい、ノンフィクションライターとしての性というか、自分の考えだけじゃなくて、「他の人はどう思ってるんだろう?」って知りたかったんです。
そして、取材を進めるうちに、神宮球場はやっぱり建て替えるべきだと思うようになりました。
――なるほど。
「ただの環境破壊だ」と主張する人もたくさんいます。けれども、その一方では、かなり綿密な計画のもとで再開発のプランニングがなされているということもこの本を通して知ってほしいなと思います。
もちろん、まだ完成イメージも発表されていないので今の計画がベストかどうかはわからないですし、それがファンや選手をないがしろにするようなものだったら、「それは間違っている」と声をあげたいと思っています。
失いゆくものへの郷愁を感じてほしい
――それと本書の巻末にある四季折々の神宮球場の写真集には思わず見とれてしまいました。
取り壊しが決まってるなか、現在の球場で起こる出来事や取り巻く風景はいつか見られなくなる。だからその記録として四季折々の神宮球場を残しておきたい気持ちが間違いなくありました。
個人的には雨に濡れた座席の写真がすごく好きですね。これだけでも「神宮球場だな」って一目でわかる。
天気が悪いと観戦中はすごく鬱陶しいんだけど、それも含めて神宮なので、その表情を収められてよかったです。
――改めて本書で伝えたかったことを教えてください。
滅びゆくものに対する郷愁とでもいいましょうか。なくなってから初めてその思いに気づいてからじゃ遅いじゃないですか。
だから、誕生99年の今年に本を出版して、今の段階から100周年に向けて読者とカウントダウンしたかった。
みなさんも今のうちに神宮をどんどん見て、触れて、100年という歴史と、いつかはなくなるかもしれないという郷愁を感じてほしいですね。
取材・文/武松佑季
『神宮球場100年物語』(朝日新聞出版)
長谷川晶一