
3月31日、お笑いコンビのダウンタウンが2025大阪・関西万博のアンバサダーを退任することが発表された。同コンビは、松本人志が性加害疑惑を報じられたことから2024年1月より芸能活動休止、浜田雅功も体調不良により今年3月10日より一時休養に入ったため、実質、コンビ活動休業状態になっていたのだが…。
なぜ今になってダウンタウンが万博アンバサダーを退任したのか
浜田雅功の健康状態に問題がなければ、ダウンタウンのアンバサダー退任はなかったのだろうか。
あくまで筆者の推察だが、松本人志不在とはいえ、天下のダウンタウンを「降ろす」というネガティブな印象付けがなされる判断は、開幕が直前に迫ったなかで大阪府市、吉本興業ともにさすがに避けたかったのだろう。
なによりアンバサダーとしての名前を残しておけば、浜田が出演する番組やイベントに「大阪・関西万博」のプロモーションを大々的に差し込んだり、関連企画を実施したりすることも可能だったはずだ。
もちろん浜田が休養中でも、そういったプロモーションや関連企画は行なわれるかもしれないが、ダウンタウンの実質的な稼働がなければ、とってつけた感は否めない。
だが、浜田が休養に入ったことでダウンタウンの「アンバサダー」という肩書きは宙ぶらりんに。さすがにそれは具合がよくないということで、年度末にあたる3月31日を区切りとして退任が正式に決まったのだろう。
松本の不在もあって、アンバサダーとしてのダウンタウンはここ1年以上、機能していなかった。にもかかわらず、退任の発表をギリギリのここまで粘ったのはなぜなのか。
それは、「大阪・関西万博」でのダウンタウンの稼働は“大阪”をあげての最大の目玉になっていたからだ。
ダウンタウンは2017年3月、大阪万博誘致アンバサダーに就任。同年11月、大阪のメインストリートである御堂筋を利用した「御堂筋オータムパーティー2017 御堂筋ランウェイ」(通称「御堂筋パレード」)に登場し、当時の松井一郎大阪府知事、吉村洋文大阪市長(現・大阪府知事)とともに「当然、万博は大阪で」とPRした。
さらに松井知事が「今日は2500万人くらい来てくれています」と来場者数を盛ると、浜田が「そんな来てへんやろ!」とツッコミを入れるなど、その掛け合いが関西のメディアを中心に多数報じられた。
さらに翌年、万博の開催地発表間近の「御堂筋オータムパーティー2018 御堂筋ランウェイ」でも、松井知事が「もし万博(開催地)に落ちたらアンバサダーの責任で」と話を振ると、浜田が「なんでやねん」と大声で返し、松本も「うちのおかんが大阪万博決まらんかったら、屁をこいて寝る言うてました」とボケるなどして賑わせ、あらためて「大阪で万博を!」という気運を高めていた。
両年ともに「御堂筋パレード」には、大阪が生んだレジェンド、ダウンタウンを間近で見ることができる貴重な機会を求めて大阪府民が大勢詰めかけた。
そしてダウンタウンが喋り、動けば、関西中のメディアがそれを大々的に伝えた。それらの報道には必ず「万博」の二文字が踊っていた。
その宣伝効果たるや、どれだけ莫大なものであったことか。
事業者たちの万博への落胆
大阪に暮らす者の実感として、当時の「大阪・関西万博」に対する期待感の根底にはダウンタウン効果が絶大にあった。
2018年11月に大阪での万博開催が決定すると、その熱気はさらに上昇。特に中小の企業や事業者からは、万博を念頭に置いた新しいプロジェクトの立ち上げや、長期的な経済効果を狙った動きが目立った。
筆者の周りの事業者らの多くも「万博に向けてやっていきたい」と息巻いていた。ダウンタウンはその熱い渦の、まさにど真ん中にいたのだ。
しかし「大阪・関西万博」の準備が難航する上、2020年からの新型コロナウイルスの影響も含めた経済的ダメージが重なると、市民から開催自体への反発の声が膨らんでいった。
そしてその反発の決定打の一つに、松本の性加害疑惑と芸能活動休止があるだろう。
以降、浜田だけがアンバサダーとして稼働する目立った機会は見られず、ダウンタウンという“目玉”を欠いた「大阪・関西万博」のプロモーションは目に見えて生彩を欠いていった。
関西のメディア関係者たちも、万博開催の1年前、いや、半年前になっても「中身が全然見えてこない」「プロモーションがしっかりなされていない」と首をひねるほど。あまりの進行の遅さに、万博特集企画をとりやめるメディアもあったぐらいだ。
そうしているうちに、前述したような中小の企業や事業者らの口からも、「万博」に期待する言葉がほとんど出てこない状況に陥った。
そういった人たちが集まる会合に行くと、それぞれの頭上に「万博(苦笑)」という吹き出し台詞が浮かんで見えた。
さらに「なぜ『大阪・関西万博』が盛り下がったのか」という話題になると、必ずどこかのタイミングで「ダウンタウンが稼働しなくなったからではないか」という意見が出た。
それだけ、ダウンタウンの存在は「大阪・関西万博」のイメージに大きな礎として結びついていたのだ。ダウンタウンとしても、すでに60歳を過ぎており、お笑い芸人としては間違いなく熟年に差し掛かっていたことから、万博事業を最後の大仕事に位置付けていたように見受けられた。
しかし、さまざまな歯車の狂いが生じた。その狂いが「大阪・関西万博」に落胆の影を落とすようになったのではないか。
一方、万博関連の取材を行なっていると「それでもやっぱり万博には行きたい」という声もたくさん聞く。実際、会場内を取材した関係者は前向きに万博について語っていた。
「大阪・関西万博」の準備に携わったクリエイターは
「2005年の『愛知万博』(愛・地球博)然り、万博は会期中に成長していくものだと捉えています。
また中小企業・事業者が集まる会合などでは、万博出展者、万博事業者に対して依然として尊敬や羨望のまなざしが向けられる。
そういった現場の温度感を踏まえると、ダウンタウンがアンバサダーを退任し、今後の活動復帰も不透明とはいえ、万博会期中の浜田の活動復帰、万博会場への来場はやはり効果的であり、多くの大阪府民が待ち望むことではないか。さらに言えば、「浜田復帰の最初の舞台は万博」がもっとも理想的な流れなのかもしれない。
文/田辺ユウキ