「私は世界一幸せなホームレス」鬼嫁を演じていたカイヤが離婚後も元夫の姓を名乗る思い「末永く幸せでいてほしい」
「私は世界一幸せなホームレス」鬼嫁を演じていたカイヤが離婚後も元夫の姓を名乗る思い「末永く幸せでいてほしい」

人口200人の小さな町で暮らしていた少女が、運命の出会いでスーパーモデルの事務所と契約。一時、離婚騒動などでワイドショーを騒がせたカイヤさんだが、現在は原点に戻ってモデル業に重きを置いている。

そんな彼女が幼少期に抱いた日本への憧れ。結婚、育児、離婚…その軌跡を追う。(前後編のうちの後編) 

カイヤ「日本人になりたいと思いました」

「当時の事務所(「フォード・モデル・エージェンジー」)からは、世界規模での仕事が次々と入ってきました。

あるとき、事務所のフランス支部経由で、私に日本から仕事のオファーがいくつか舞い込んできました。担当者はアイリーンに確認しないまま引受けたのですが、それを聞いたとき、私は本当にうれしくて、うれしくて…。これでやっと6歳からの夢が叶うんだ、と。

なのに、アイリーン(・フォード)から私に直接電話がかかってきて『あなたを日本へは行かせない。私があなたのキャリアを計画しているのだから』と言われました。

アイリーンには本当に感謝しているけれども、日本へ行くことは私の子どものころからの夢でした。彼女には申し訳ないけど、事務所との契約を終了して、新たにエージェントを立てて、日本で仕事をすることにしました」

日本の空港に降り立ったときの気持ちは今でも忘れない、とカイヤさんは振り返る。

「初めてなのに、なんだか懐かしくて、『帰ってきた!』という気持ちでした。

空港の売店で最初に買って食べたのが『納豆巻』だったんですけど、『なにこれ、おいしい!』って。納豆の食感と、海苔、酢とご飯のマッチングに心から感動しました。

今でも納豆は大好き。日本食を作るのは得意なの。梅干しにおかか、発酵食品である味噌や漬物は毎日食べますよ」

日本語はまったくしゃべれなかったものの、仕事はコンスタントに入ってきた。大手百貨店の看板広告を始め、大手メーカーのウイスキーのCMに有名俳優と出演したり、ユニチカの水着のキャンペーンモデルに選ばれたことも。

「日本は思っていた以上に素敵なところでした。風景も、文化も、人も。私はすっかり日本に恋をして『日本人になりたい』とまで思いました」

「私は、世界一幸せなホームレス」

その後、芸能界にも知り合いができ結婚。2人の子どもにも恵まれた。

「モデルの仕事は来ていましたが、1人で子どもを育てなければいけなかったのと、夫から『家にいてほしい』という要望もあったので、休業することにしました。

私はもともとお料理も掃除も裁縫も大好きだから、家のことに手を抜きたくなかったというのもあります。全部一人でやっていました。

でも、収入が不安定だったのと、インターナショナルスクールに入れた子どもたちの学費もかかるため、私は自宅で英会話教室を始めました。一時期は生徒さんが100人くらいいましたが、実家で大人数には慣れていたから、全然気になりませんでした(笑)」

日本語が上手になるにつれ、モデル時代に世界各国で学んだ対人スキルと、エンターテイナーの素養も発揮し始めたカイヤさん。

そこを買われてタレントとしても活躍するようになったのは、周知の通りだ。

「テレビに出たときの“オニヨメ(鬼嫁)”キャラは、演じていました。ふだんと全然違う自分を演じてみせたら、みんながおもしろがってくれた。タレントとして収入ができたのはありがたかったです」

しかし、結婚生活には歪みが生まれ、2017年に始まった離婚裁判は6年の時間をかけ、2023年に正式に離婚へと決着。この際、妻という肩書きのほかに、もうひとつ手放したものがある。

「これまで住んでいた家は手放しました。

裁判中に、子育ても一段落しましたし、モデルの仕事を再開するようになって、日本と海外を行ったり来たりの生活に。それからは、ホテルに滞在したり、知り合いの家に泊めてもらっています。

日本では、息子の家に居候しています。『いい大人なのに、定住しないなんて』と呆れられていますが、今の私は、世界一幸せなホームレスだと思います。

離婚して本当に実感したのは、“人間は自分が大切なものと必要ではないものを見極めれば幸せになれる”ということ。いろいろスッキリしたし、今が一番幸せかもしれません」

自分には母親譲りの努力と奉仕の精神が身についていると話すカイヤさんは、離婚を決意してから次のステージへのビジョンも見据えた。

世界各地への物資支援のボランティアを始め、人に寄り添う仕事がしたいと、心理カウンセラーやセラピストなどの資格も取得した。現在はシングルマザーや、セックスに悩む人たちを対象に、カウンセリングのセッションもしている。

 「モデルの仕事は、私を世界中の素晴らしい場所へと導いてくれた。さまざまな文化を体験し、多くの人と出会い、心を通わせる機会がありました。

でもね、ファッションの世界を超えて、私はずっと『人と人とのつながり』に強い関心を持ってきたんです。

世界中に貧困で困っている人たちや、お金があってもつらい思いを抱えている人がたくさんいる。私の人生経験や長年の学びの結晶を誰かのために役立てたい。多くの人々が目標を達成し、自分の内なる力を取り戻せるようにモチベーショナルコーチとしてサポートしてます」

カイヤさんは、これまで自身の身に降り注いだ批判や誹謗中傷を気丈に振る舞いながら受け止めてきたが、その度に深く傷ついたそうだ。そして、今は自分の使命についてこう話す。

「私は、『できっこない』と否定されたり、周囲と違うことで偏見や誤解もたくさん受けてきました。でも、自分を信じる力で、早く立ち直れる方法も身につけてきた。

その秘訣はね、まず自分自身を愛する、大切にすること。

自分の気持ちに正直になり、それから周りの人を幸せにする方法を考えること。

その方法を、悩んでいる人たちに正しく伝えていくのが、これからの私の使命のひとつだと思っています」

100歳までモデルを続けたい

自分を大切にしたからこそ、元夫にも心から感謝ができているという。

「私に、大切な子どもたちを授けてくれたので、彼には末永く幸せでいてほしいですよね」

離婚しても名字を“CAIYA KAWASAKI”のままにしたのも、私の恥じることのない過去、価値観、子どもたちへの愛、日本とのつながり、そしてこれまでのキャリアへの情熱を表しているからです。

私にとって大切なすべてが、この名前に込められています。

それに、私は今でも(元義母の)川崎ママが大好きで、会いに行くんですね。彼女も歓迎してくれて、本当にうれしいです」

絆や人情を重んじるカイヤさん。今年2月には、ニューヨークのタイムズスクエアのビルボードに登場したが、そんな彼女のエピソードには続きがある。

「6歳のころ、私に『日本へ行く』という目標を作ってくれ、『あなたならできる』と後押ししてくれた担任の先生が、娘さんと一緒にタイムズスクエアまでわざわざ見に行ってくれたそうなんです。

2月のニューヨークはとても寒いし、先生はもう80歳を過ぎているのに!

私のビルボードの下に立って撮った写真とともに、『私は今は80代になったけれど、これからも世界を旅し続けるつもりよ。100歳を過ぎてもね』というメッセージをくれました。

なんてパワフル、素晴らしい女性なのでしょう。私も先生に負けず、100歳までモデルを続けたいと思っています!」

有言実行を続けてきたカイヤさんなら、きっとできるはずだ。

 (前編はこちら) 

【プロフィール】 
カイヤ。モデル、タレント。5月25日生まれ、アメリカ出身。テレビ・映画・世界各国でモデル業のほか、カウンセラー・モチベーションコーチとしても活動中。 

撮影/廣瀬靖士
取材・文/木原みぎわ

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