
柔道の祖・嘉納治五郎氏はかつて「自他共栄」(他の人と助け合いながら良い社会を作ろう)を説いた。だが今、氏の像が正面にそびえる講道館の一角に居を構える公益財団法人「東京都柔道連盟」(都柔連)がパワハラ問題に揺れている。
「まるで第2の兵庫県です」
ある連盟関係者が証言する。パワハラ被害を訴え、心身に支障を来した女性職員に対し、弁護士でもある監事が公式の場で、追い打ちとも言える以下のセリフを放ったというのだ。
「私は(女性が提出した)医師の診断書そのものを疑っている」
一方、加害者と認定された専務理事は、当初の「事実無根」主張から一転、処分を待たずに辞任を表明したという。いったい何が起きているのか。
「事実無根」の主張はどこへ…
全日本柔道連盟(全柔連)は3月27日、この専務理事に対してパワハラ行為を認定し、「注意」の懲戒処分を発表。都柔連会長にも「適切に運営されるよう十分な配慮を求める」という訓戒の処分を出した。
問題の発覚は昨年6月。警視庁出身の専務理事が、事務局長だったO氏に繰り返し退職を迫り、罵声を浴びせたとの疑惑が全柔連に内部通報されたと、共同通信や朝日新聞が報じた。
都柔連関係者が証言する。
「実は専務理事ら執行部は報道直後から、真相をただす理事や評議員らに対し、『パワハラはなかった。事実無根だ』と真っ向から否定していたんです」
にもかかわらず、今年3月8日の理事会で事態は急展開を迎える。専務理事が突然、「辞任したい」と宣言したのだ。
「このタイミングでなぜ。パワハラはなかったと断言していたのに…」
録音データに残された〝どう喝〟音声
ここでパワハラ疑惑の詳細を振り返りたい。
証言や内部資料によれば、昨年1月、専務理事の交代を検討する会議で、事前に候補者を理事らに知らせずに理事会に諮ろうとする執行部に対し、事務局長だったO氏が「このような決め方であれば抗議の辞任をする覚悟です」と異議を唱えた。
だが、手続きはそのまま進められた。
昨年3月に執行部の意向通りに就任した専務理事は「いつ辞めるんだ」とO氏を問い詰めた。
これに対しO氏は「手続きに反対しただけで、専務が就任したら辞めるとは言っていない」と応戦した。
証拠として議事録や録音も示したが、専務理事は「どうにでも書ける。編集したんだろ」と発言したという。
さらに専務理事は辞職の日付が入った退職届に署名するよう迫った。「書かなければ懲戒解雇の手続きを取る。それだと退職金ももらえないし、今書いたほうがいい」
O氏は署名を拒否したが、都柔連は「(2024年)4月24日をもって、貴殿の希望通り、退職の意思表示を受け入れ解雇する」と言い渡した。
専務理事は講道館8段で、身長は180センチを超えるという。
O氏は執行部に残業代の不正請求を疑われたこともあった。作成を指示された残業時間の一覧表を提出する際に「宿題です」と発言したところ、専務理事は激怒。
「あ? 何なんだ?」「宿題じゃないよ、業務だよ。ふざけてんのか」「70歳にもなってよく事務局長だって名乗ってんなあ」
他の職員もいる前で怒鳴る様子は録音データにも残っている。
女性の目の前で繰り返されたパワハラ、発症した精神疾患
全柔連に内部通報したのはO氏だけではない。事務局の女性職員もO氏へのパワハラを目の前で再三、見せられ適応障害を発症したと訴えたのだ。
女性は全柔連に救いを求めた。
「上司がパワハラを受け続けたうえ、解雇された。常軌を逸しており、平常心で働ける環境ではない」
医師からは適応障害で自宅療養が必要だとする診断書が出され、女性は執行部が出勤する際は顔を合わせなくて済むよう、在宅勤務を認めることを求めた。全柔連も都柔連側にこの情報を共有したという。
ところが女性が通報した後、専務理事は驚くべき行動に出る。加害者とされた自ら、女性にこう問いただしたという。
「何がパワハラなのか、具体的に説明してもらわないと分からないじゃないか」
ちなみに全柔連は内部規定で、所属する団体を含めて内部通報者に不利益が及ばないよう適切な措置を講じるとしている。
都柔連は執行部と女性が入れ替わりで出勤すると約束したにもかかわらず、女性は専務理事から直接詰問されたという。「さらなる恐怖を覚えた」「約束も守られていない」として全柔連に追加で嘆願書を提出した。
「元」専務理事なら迷惑を掛けない?
そんな中で開催された今年3月の理事会。出席者によると、決算の説明や予算案などの審議が進む中、専務理事の発言が飛び出した。
「突然のことながら、専務理事を辞任したく理事会の承認を賜りたい。辞任届も用意している。一生懸命やってきた。しかし、私がこの職にいると会議がスムーズに進まず、運営に支障が出てくる」
これを受け、弁護士でもある監事の一人が補足説明した。「実は全柔連ではパワハラに当たるという判断が出ている」。そして専務理事はこう言い切った。「処分をしっかり受けて立つ。逃げる気持ちはない。
世間の「普通」との齟齬はさておき、こうも付け加えたという。
「泥を受けようが、マスコミに出ようが、甘んじて受ける。しかし連盟に迷惑を掛けることが心苦しい。元専務理事のほうがまだいいのではないかなと思うので、どうか辞任を認めていただきたい」
つまり「元専務理事」であれば迷惑を掛けないという認識らしい。監事のほか、2人の理事が「引き続きお願いしたい」と慰留した。議論を引き取るとしてついに、会長が口を開いた。
「継続して働いてもらいたいが、いかがか」
関係者は「出席した38人のうち、拍手していたのは2~3人しかいませんでした」と証言する。
「時期を改めて諮るべきだ」との意見が出たが、会長は譲らない。「いや、もう拍手で決める」。結局、専務理事の進退は執行部預かりになったという。
こうした状況にO氏はあきれかえる。
「東京都によれば、公益法人では拍手による決議は認められていません。
医師の診断書に疑義を示した驚きの発言とは
出席者によると、この理事会では、さらなるトンデモ発言が飛び出していた。弁護士資格を持つ監事が専務理事を擁護する中でこう述べた。
「(女性は)精神的にいろいろ問題があるということで執行部が出勤するときには在宅勤務をしているが、もう1年も続いている。本当かと。率直に言って私は、医師の診断書そのものを疑っている」
続けてこうも訴えた。
「本気でやるならこちらも医師を出してちゃんと診断しなきゃならない。専務理事は悩みながらも一生懸命やっていることを皆さんに理解してもらったということで矛を収めてもらえないか、というのが私の希望だ」
繰り返すが、この監事は弁護士だ。内閣府によると、公益法人の監事は健全な運営を監督し、ガバナンスを強化するために重要な役割を果たすとされ、法的な責任を含む具体的な義務も負う、とされる。ハラスメントの被害を訴えた人間に鞭を打つかのような行為が、果たして「健全な運営の監督」なのだろうか。女性の症状は悪化の一途をたどっているという。
都柔連にパワハラへの認識や理事会での専務理事や監事の発言について見解を尋ねたが、
「当連盟では、理事会の審議内容について一切公開しておりません」との回答だった。
都柔連のホームページでは、こううたっている。
「講道館、全柔連の主軸として、これからもリーダー的役割を果たす」
現在の都柔連の姿を、嘉納治五郎氏はどんな思いで見つめているのだろうか。
取材・文/目黒龍