
インバウンド需要の急増がもたらす経済的恩恵、いわゆる「ニセコ化」の裏側で、地域の暮らしや自然環境にひずみを生む「オーバーツーリズム」が顕在化。観光客によるマナー違反や生活圏への影響は、いまや全国的な課題となっている。
後編では、実例を交えながら持続可能な観光産業のあり方を探る。
「禁止」より、文化を活かした行動誘導を
話を聞いたのは、観光を軸とした地域活性化に取り組み、著書『観光“未”立国~ニッポンの現状~』でも現状を鋭く指摘する、立教大学客員教授・永谷亜矢子氏。「文化×観光」がカギだと語る、その真意とは?
――オーバーツーリズム対策の一例として、話題になったのが富士山の事例です。2024年5月、山梨県富士河口湖町の「ローソン河口湖駅前店」に目隠し幕が設置され、その異様な光景も相まって話題となりました。撮影目的の観光客が交通の妨げになり、住民生活にも影響が出たための措置だったようですが、この対応をどう見ていますか?
永谷亜矢子(以下、同) インバウンドに限らず、観光客のマナー違反は確かに問題。ですが、一方的に「ダメ」と伝えるだけでは、反発を招くだけで問題解決に近づかないことも往々にしてあります。
富士山の目隠し幕はすでに撤去されたようですが、設置されていたときは何者かによって幕が破られるなど“いたちごっこ”が続いていたとも聞いています。
――より良い対応策はあったとお考えですか?
「禁止」ではなく、選択肢を提示することが重要なのかなと。「こちらの方が富士山を美しく撮れます」と別の場所へと案内すれば、自然な誘導が可能になります。その場にQRコードを設置して、その代替スポットを紹介するような工夫も効果的です。
――永谷さんは山梨県富士吉田市で富士山の観光マネジメントにも携わっていますね。
はい。
――どう対応を変えたのでしょうか?
「禁止」から「共感」へと方針を転換しました。「この場所は私たちにとって大切な場所です。ぜひ一緒に守ってください」というメッセージを、美しい富士山の写真とともに掲示したんです。
それにより、観光客の意識が変わることを促そうという狙いです。
――背景を知ることで、行動も変わると。
その通りです。富士山は‘13年に世界文化遺産に登録されましたが、訪れる人の多くは自然遺産だと思っています。しかし、 富士吉田市には「御師(おし)」の家や、1000年続く織物産業など、精神的・文化的価値が息づいている。こうした背景を伝えることが、観光の質を高めるカギだと考えています。
オーバーツーリズムが社会問題となっている昨今、これからの観光客に求められるのは「量」ではなく「質」であることは自明です。
「富士山だ、写真を撮ろう」と立ち止まって写真を撮ったらすぐ帰るような観光客は、地域に負荷をかけるだけ。特に地方は受け入れの人的資源が限られていますから、よりよい観光客を呼び込めるような施策を打つべきです。
その地域の文化的な背景を知り、地のものを食べたり地酒を飲んだり、地域の人と触れ合ったり。
最新の旅行トレンドの1つに、「レスポンシブルツーリズム」という考え方があるのですが、世界中には「地域の文化を理解し、地域社会に負荷をかけないようふるまう」という意識は芽生えているのですから。
文化財は「見せる」から「伝える」へ
――レスポンシブル=責任、ですね。こうした意識を促すには、どんな施策がありますか?
歴史や文化への理解を、知的好奇心をくすぐる形で刺激するのがよいと感じています。
例えば近年、文化財とテクノロジーを融合させたプロジェクションマッピングが注目されています。建物に映像を投影して空間を演出する手法ですが、文化と結びつけることで体験価値が高まります。
こうした取り組み自体は以前からありはしましたが、多くは文化財に花柄などを投影する“装飾的”な内容が中心でした。
――それがどう変わったのですか?
愛知県岡崎市の「成道山 大樹寺」では、非公開の杉戸絵を襖に映し出すという試みがありました。
ここは徳川家康が自害を思いとどまったという、日本の歴史において非常に大きな意味を持つ場所なんですが、プロジェクションマッピングでありがちなただの花柄の演出にするのではなく、当時の世界観を再現した内容で、文化財の意味そのものを伝える画期的な仕掛けになっていました。
――見せ方の質が観光体験の深さを左右するんですね。
そう思います。そして、こうした取り組みは文化財に限りません。京都府京都市にある「建仁寺 両足院」では、僧侶が日常的に行なっている座禅や掃除といった修行を、体験プログラムとして提供しています。
――日常の延長線上にある観光ということですね。
そう。観光客にとっては非日常でも、提供する側にとっては無理のない“日常”。こうした体験こそが、訪日外国人にはおおいにウケるのです。「文化×観光」はとても重要な考え方で、地域のポテンシャルを引き出す仕掛けとしてうってつけです。
ありふれた日常こそ、非日常を生み出す資源になる
――しかし、すべての地域に富士山や寺社のような文化資源があるわけではありません。そうした地域ではどうすれば?
日本には“何もない”地域なんてないんです。革命のなかった国だからこそ、建築・風習・思想など、多くの文化が今も残っています。
たとえば、富山県射水市の「内川」沿いには、どこか懐かしい港町の風景があります。こうした街並みやお祭りなど、地域に根ざした日常こそ、外国人にとっては特別な“非日常”です。
さらに、立ち飲み文化や居酒屋での小皿料理など、日本の何気ない食文化も人気です。チェーンの居酒屋でさえ、外国人がごった返しています。
――“何もない”と感じていたのは、自分たちだけかもしれませんね。
ええ。自分たちにとって当たり前だからこそ、価値に気づきにくい。でも、その“当たり前”こそが、外から見れば魅力にあふれている。
観光とは本来、文化や暮らしにふれる行為です。それをどう丁寧に伝え、共感を育むか。文化を「守ること」と「楽しむこと」の両立が、これからの観光には求められます。単なる撮影や消費ではなく、地域とのつながりを感じる旅こそが、記憶に残る観光になるはずです。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
観光"未"立国~ニッポンの現状~ (扶桑社新書)
永谷 亜矢子