
プールの老朽化や熱中症、教員不足などのさまざまな問題を背景に、学校で水泳の実技授業を廃止するケースが相次いでいる。日本の学校で水泳の授業が広まった経緯や現場が抱える課題、今後の水泳授業のあり方について、教育行政学を専門とする千葉工業大学の福嶋尚子准教授に話を聞いた。
プールの老朽化、熱中症、教員の多忙化…実技授業廃止の裏に山積する課題
——岩手県滝沢市では今年度から市内の全中学校でプール授業を廃止するなど、水泳の実技授業を取りやめる動きが相次いでいます。現在、学校における水泳の授業はどういった状況なのでしょうか。
福嶋尚子准教授(以下、同) 学校の水泳実技授業を廃止したこれまでのケースでは、プールの老朽化の問題が一番大きな理由でした。滝沢市の場合は、それに加えて生徒の欠席率やジェンダー対応の問題なども挙げています。
日本の学校ではどこも同じような時期に似たような構造のプールを作っていて、ほぼ同じタイミングで老朽化しています。さらに教員の多忙化や教員不足の問題、専門性が担保されているわけではない教員にリスクの高い実技授業を担わせている、という側面も残念ながらあります。
これらを考えたときに、今まで通り続けていくのはそもそも無理がある――というのが先に来ているのだと思います。そこで「水泳実技は絶対にやらなければいけない」と決められていればまた違う展開もあったのかもしれませんが、学習指導要領上はそこまで強い言い方をしていません。
——小学校や中学校の学習指導要領には「適切な水泳場の確保が困難な場合には水泳の実技指導を取り扱わないことができる」ともあります。
学校にプールを備えることは必須ではなく、実技をやれるかやれないかは学校の事情にもよります。
「必要な実技がどこでできるか」「子どもたちに必要な泳ぎを学ぶということをどうやったら担保できるか」と考えたときに、必要に応じて民間のプールに移動したり、インストラクターに頼んだりするといった手段をとることも、学校の設置者の判断に委ねられているわけです。
ただ、設置者である自治体としては判断が難しい部分も出てきます。たとえば学校同士の距離がすごく離れていれば、隣の学校の施設を借りに行くのが容易ではなくなるなど、自治体ごとの事情があります。
以前、函館市でバス移動のための運転手が確保できないために、市内の全小学校の水泳授業を中止した事例もありました。
「これまで通りの水泳授業を維持すること」でしか教育目的を達成できないわけではない
——そもそも日本の学校で水泳授業が広まったきっかけは何なのでしょうか。
1955年に起きた連絡船「紫雲丸」沈没事故がきっかけだと言われています。島根、広島、愛媛、高知の4つの小中学校の子どもたちが修学旅行で乗船していて、多くの命が失われました。
ちょうど同じ年に、三重県でも中学校の水泳訓練中に何十人もの生徒が亡くなる事故があり、そういうことが一気に起きたことがきっかけで、水難事故を少しでも防止するというモチベーションが働いたようです。
ほどなくして東京オリンピックが開催され、スポーツにお金を投じる動きが、水泳だけでなくさまざまな場面でかなり見られたと聞きます。その一環で、補助金でプールを作って水泳授業を推し進める動きが一気に広がりました。
——ですが、現状では本来の目的と実態がかけ離れているのでしょうか?
残念ながらそうです。教員免許を持っていることが必ずしも運動神経がいい証明ではないし、ましてや水泳指導ができる証明でもありません。中学校も保健体育の免許があり、それぞれに得意とする競技などはあるのだと思いますが、それが水泳とは限りません。
つまり、中学校の教員ならともかく、小学校の教員は必ずしも体育や水泳に関して専門性が高いとは言い切れないわけです。その中ですべての児童に指導しようと思えば、専門性の高くない教員が数人集まって水泳の授業をしている可能性もあります。
水泳が他の教科や競技と違うのは、非常に管理コストがかかり、リスクも高いという点です。
いざ事故が起きたときの重大性が他と比べてもまったく異なります。必ずしも専門性の担保されていない教員にそれだけの負荷をかけて児童生徒をリスクにさらすということは、本来の目的からかけ離れた実情にならざるを得ません。
「水の事故を防ぐ」「水に親しむ」といったことは不変の目的だとは思いますが、それが「これまで通りの水泳授業を維持すること」によってしか達成できないわけではありません。
——座学なども有用なのかもしれませんね。
台風や地震への備えとして、「こういうときは海や川に近づいてはいけない」といったことを地域ごとに学んでいきます。その地域で海や川の特性などについて学ぶことは、必ずしも実技ではなくてもいいはずです。
「その土地で教育目的を達成するためにどんな工夫ができるか」
——今後は各自治体の教育委員会などが主導して、地域ごとに工夫をしていくという方向になっていくのでしょうか。
そう思います。プールの稼働状況も地域によってかなり違います。今は夏の気温が高いですが、気温が高すぎるときに水泳授業を実施してしまうと熱中症のリスクがありますし、水の中でも熱中症は起こり得ます。
寒すぎても暑すぎてもだめで、ちょうどいい気温のときしか水泳授業が実施できない。
そういう事情は地域によって異なります。個別の状況がある中で、児童生徒が年間一人当たり3時間ずつしか入れないプールを維持するのか、それとも自治体に屋内プールを建てて児童生徒が年間を通して利用できるようにするのか。「その土地で教育目的を達成するためにどんな工夫ができるか」ということが重要です。
それは水泳に限った話ではありませんが、水泳にお金をかけすぎると他の教科活動が貧困になってしまうこともあり得るので、全体を見なければいけません。
水泳の実技授業はあまりにもいろいろな面でコストがかかりすぎるのがネックだから、実技の廃止という判断が増えているのだろうと思います。
——水泳の実技授業を民間に委託する動きも見られます。水泳授業に関して官民を超えた対話が必要だとお考えでしょうか?
基本的には行政のやるべきことだと思います。教育学的な考え方ですが、教員免許を持たない人に授業を依頼するということ自体、そもそもできません。
中学校の場合だと特に、泳ぎの得意な数学の教員がいたとしても、体育の免許を持っていないので水泳の授業ができないわけです。ただ「泳ぎを教えるのが上手」というだけで教員の専門性を取って代われるのかというと、難しいです。
学校の教員は児童生徒の泳ぎの技能だけではなく、参加の態度や他の子との協調性など、さまざまな観点で成績評価しているわけです。
民間委託によって教員の負担は減るし、児童生徒のリスクは少し解消されるとは思います。でも民間に全部頼らなければいけないような水泳授業をそもそも維持する必要があるのかというと、それも少し疑問です。
水の事故の怖さを間接的な形で学べるようにしたり、泳ぐことの楽しさをせめて小学校の間には経験できるようにするなど、さまざまな工夫は必要ですが、今まで通りの規模で、すべての学校で同様のやり方で維持するのは無理だと、多くの関係者は思っているのではないでしょうか。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班