
職場で無駄話をしていると怒られる――この常識が、令和のいま塗り替えられつつある。実は無駄話こそ、脳を活性化させ、素晴らしい成果を生み出すとされているのだ。
100万部突破のトリセツシリーズ最新作『対話のトリセツ ハイブリッド・コミュニケーションのすすめ』(黒川伊保子著)より抜粋・再編集してお届けする。
無駄話ができないと、企業価値が創生できない
コロナ禍が始まる少し前のこと。アメリカのグーグル社が、4年にも及ぶ社内調査の結果、明らかになったことがあった、と発表した。「成果の出せるチームと、そうでないチームの差はたった一つ。心理的安全性(Psychological Safety)が確保されているか否かだ」と。
心理的安全性、それは「なんでもない、ちょっとしたこと(頭に浮かんだり、心によぎったりしたこと)を素直にしゃべれる安心感」のこと。そう、なんでもない話(無駄話)ができるチームにしか成果が出せないと、グーグルは言い切ったのである。
言い換えれば、「無駄話ができないと、企業価値が創生できない」ということになる。これは、あまりにも斬新な発表ではないだろうか。
斬新すぎて、いち早くキャッチアップした日本の優良企業の多くは戸惑ったようだ。この国の企業風土では、無駄話は集中力を削ぐ行為として、長らく忌避されてきた。それに、グーグルのこの発表だけでは、なぜ無駄話をするとチームの成果が上がるのか、それがわからないから腹落ちしないし、社内に浸透させようにも今一つ説得力に欠ける。
対話力の低い上司は、部下の発想力を奪う
しかしながら、グーグルの発表を聞いて、私は、雷に打たれたような気持ちになった。あまりにも、真理をついていたから。心理的安全性ということばは、AI時代に、最も重要なビジネスワードになるだろうと、私は直感した。
「言うと嫌な思いをする」あるいは「言っても無駄だ」と感じると、ヒトは発言するのを止める。こんなこと上司に言ったって、親に言ったって、夫(妻)に言ったって、どうせわかってもらえない……そんなふうに感じると、たいていの人はことばを呑み込むでしょう?
最初の何回かは意図的に止めるのだが、やがて、その人の前で、ことばが浮かばなくなる。脳が発想の信号から止めてしまうのである。脳は無駄なことなんかしない、出力しない演算をわざわざ起動しないのである。つまり、対話力の低い上司は、部下の発想力を奪うのである。
グーグルはデジタル産業だ。新機軸のデジタルワールドを創生する企業である。こんな会社で社員の発想力が潰(つい)えたら、企業価値を作れない。だからこそ、世界に先駆けていち早く、こんなすごい発見をしたのだろう。
でもね、もはや、これはデジタル産業だけの問題じゃない。これまで人間がやってきたタスクの多くをAIが代行する時代、人間の役割は、勘やインスピレーションを働かせて、うまくAIと対話しながら発想力を羽ばたかせることにかかってきている。
今や、すべての組織に、心理的安全性を確保する対話術の導入が急務なのである。もちろん、次世代人材を育てている、家庭という組織にも。
「心理的安全性を確保する対話術」なんて難しく言ったけど、要は、日ごろから、なんでもない話ができるようにしようってことである。
無駄話が起こした奇跡
そして実は、なんでもない話こそ、脳にとって、あまりにも素晴らしいエクササイズなのだ。そのおかげで、野球少年たちに起きた奇跡を聞いてほしい。
2022年の春、東京は千代田区麹町の少年野球チームが廃部の危機にあった。メンバーが最後の一人となり、その子の中学卒業に伴い、60年の歴史に幕を下ろそうとしていたのである。胸を痛めた支援者が、スポーツ指導のスペシャリスト木村匡宏(まさひろ)さんに要請して、彼の後方支援によるチームの再建が始まった。
木村さんは、慶應義塾大学SFC研究所や、子どもの発達科学研究所の研究員も務め、プロスポーツ選手の指導にもあたっている。私は木村さんと、時折、脳と身体の関係性についてディスカッションさせていただいていて、その折に、この話を聞かせてもらった。
バックボス就任にあたって、木村さんの脳裏に浮かんだのは、夏休みにシアトルから木村さんのところに野球留学しにくる少年のことだったという。
私も、その話を聞いて、歓声をあげてしまった。前にも書いたが、陸上の為末大さんがおっしゃった「対象に、遊びで出逢って、遊び心を忘れないこと。それが熟達(超一流)への道」を地で行く野球への導入である。
その成果は、子どもたちの伸びやかさに現れる。アメリカの子どもたちは、三振しても飄々とベンチに帰ってきて、楽しそうに「あのピッチャー、すげえぞ!」なんて言うのだそう。かえりみて日本の子どもたちは、空振りしたとたんにコーチの顔をうかがって硬く緊張する。三振なんかしたら、ひどく暗い顔をしてベンチに戻ってくる。木村さんは、真摯な日本の少年たちが、野球を“遊んで”いないことが気になった。
無駄話が脳を活性化させる仕組み
そこで木村さんは、麹町チームの少年たちに野球を遊んでもらうために、無駄話を推奨したのである。練習の中に、中学生男子ならではの、ちょっとしたくだらないふざけ合いをする「じゃれタイム」を導入。
「それが不思議なことに」と木村さんは首を傾げた。「じゃれタイムを導入してから、試合中の、短い真剣なことばの掛け合いが格段に増えたんです。僕が許したのは、無駄話なのに」
いやいや、これ、脳の機能性からいえば、ちっとも不思議じゃない。むしろ、ごく自然なこと! 私は、嬉しくて大笑いしながら、木村さんに解説をした。
グラウンドに出て、いつも気持ちよくことばを交わす仲間の中に入っていく。そんなとき、脳は、無意識のうちに記憶領域をふんわりとサーチしている。そして、ほんのわずかな情動や五感から入ってくる情報をきっかけに、あるイメージを釣り上げる。それをことばに変換し、さらに筋肉運動に換えて発音するのである。①ふんわりサーチ、②イメージ・キャッチアップ、③ことば化、④発声――この4つの演算をすばやく連携させて、「なんでもない話」をする。そう、なんでもない話って、めちゃくちゃ頭を使っているのだ。
このうち①と②は大脳右半球すなわち右脳が、③は左脳が、④のことばの発声は小脳が制御している。つまり脳全体に神経信号がいきわたり、活性化してるってこと。「なんでもない話」が脳にとって、非常に有効なエクササイズである所以だ。
また、①から③は勘の通り道。これを、毎日繰り返しているのだから、当然、勘がよくなるわけ。さらに④の小脳は、身体制御の司令塔である。勘を「発声する」という身体制御につなげることもできるけど、「手足を動かす」という身体制御につなげることもできる。つまり、ことばがすばやく出るようになった以上、手足もすばやく出ているはず。子どもたちは、声の掛け合いだけじゃなく、野球のテクニックそのものも上がったのである。
風前の灯だったこのチーム、麹町ヒーローズ(KOJIMACHI HEROES)は再建開始からわずか2年半の2024年夏、なんと東京都大会(東都少年軟式野球大会)で優勝したのである。1名だった部員は60名になり、圧倒的な強さで、その夏を駆け抜けたという。
もちろん、指導者や保護者による、そのほかの尽力もたくさんあったと思う。
無駄話が脳にとって、どれだけ大事か、わかっていただけたと思う。
文/黒川伊保子
対話のトリセツ ハイブリッド・コミュニケーションのすすめ
黒川伊保子
上司と部下、先輩と後輩、取引先、夫婦、親子……、いつも会話がすれ違うのは、じつは対話の様式が大きく違っているから。累計100万部超の「トリセツ」シリーズ産みの親が、満を持して書き下ろしたコミュニケーションの秘訣。
たとえば会社で部下として上司に話しかけるとき、家庭で妻として夫に話しかけるとき、親として子どもに話しかけるとき、人は無意識に置かれた立場によって2つの対話の様式を使い分けている。そしてそのとき、人はもう一方の対話様式のことに思いがいたらない。
なぜコミュニケーションはすれ違うのか、なぜ相手にイラっとするのか、なぜわかってもらえないと嘆くのか、すべてはこの対話様式の違いから始まっている。
長年の感性研究から見出された「タテ型」と「ヨコ型」という2つの神経回路。どちらも人類の生存に必須の2つの神経回路の違いが対話様式の違いにもつながっている。
その対話様式の違いを意識し、場面によってハイブリッドに使い分けをすることで、コミュニケーションが変わり人間関係も劇的に改善。全国民必読の対話の教科書。