
江戸時代に「金肥」として重宝されていたウンコは、明治時代以降、都市への人口集中と下水道の整備により、その存在価値は資源からゴミへと変わってしまった。しかし、今、ウンコの価値が再評価され、近く宇宙事業でも活躍しそうだという。
『ウンコノミクス』 (インターナショナル新書)より、一部を抜粋・再構成してお届けする。
牛糞を発酵させてバイオガスを発生させる「バイオガスプラント」
人間の50倍もの重量のウンコをするのが乳牛だ。酪農家の数が減り、一戸当たりの飼養頭数が増えている。酪農家が頭を悩ませるのが、家畜糞尿の処理だ。
北海道道東の大樹町は、農業生産額の8割を酪農が占め、「酪農王国」と呼ばれる。ここで、乳牛を中心に、約2700頭を飼育する株式会社サンエイ牧場は、牛糞を発酵させてバイオガスを発生させる「バイオガスプラント」を二基導入した。代表取締役の鈴木健生さんは、きっかけは臭気対策だったと振り返る。
同社では毎日約200トン、年間では7万3000トンほどの糞尿や雑排水が生じる。以前は貯留してスラリー(液肥)を生産していたが、これは散布すると強烈な臭気を発する。そこでバイオガスプラントを導入し、よりにおいの少ない液状の有機質肥料「消化液」の生産に切り替えた。
「地域の基幹産業だから、ある程度臭くても許される。これからはそういう考え方ではやっていけない。
消化液は、においの少なさや、発酵途上で雑草の種子が死ぬことなどが評価され、周囲の農家からも引き合いがある。全量を農地に還元している。
送電網のパンクで売電できず
消化液を作るとメタンや二酸化炭素が混じったバイオガスが生じる。以前なら、これを燃やして発電・売電をして、利益を得ることができた。だが現在、送電網の容量が足りず、これ以上発電しても電気を送れない。
北海道は、太陽光や風力など、再生可能エネルギーによる発電の潜在可能性が大きい。糞尿処理もそこに加わる。
道内で発電量が一気に伸びたきっかけが、固定価格買取制度(FIT制度)が2012年に始まったことだった。再生可能エネルギーで発電した電気を高値で一定期間買い取ることを、国が電力会社に義務付けた。
なかでも大規模な太陽光発電「メガソーラー」が急激に広がった。釧路湿原に「海」と呼ばれるほどソーラーパネルが敷き詰められた景色を報道で目にしたことがある人も多いだろう。
そのため、新たにバイオガスを利用して発電しても、電力会社に受け入れてもらえない。
サンエイ牧場が一基目のバイオガスプラントを設置したのは、まさにFIT制度の始まった2012年のことだ。その後、一基だけでは足りなくなり、二基目を建設したいと思ったものの、送電網の容量不足の壁に阻まれてしまった。
液化バイオメタンという新手法
他にバイオガスの活用法はないか。そう考えた同社は、産業ガスメーカーのエア・ウォーター株式会社(大阪市)に声をかけた。
同社のエネルギーソリューショングループGI(グリーンイノベーション)事業部バイオメタンチームの大坪雛子さんは、「糞尿を適正に処理したい酪農家が増えている一方で、バイオガスの使い道がないという問題があります。産業ガスメーカーとしても放置できないと考え、解決に取り組みました」と言う。
エア・ウォーターはサンエイ牧場ともう一カ所の牧場と連携。環境省の実証事業として、「最終的に一般の人にも使ってもらえるようなエネルギーを作る」という試みを2021年から開始した。
バイオガスからメタンを抽出・精製する。プラントでそれを液体窒素で冷やして液状の「液化バイオメタン」にし、容積を600分の1にすれば、輸送に便利で扱いやすくなる。
液化バイオメタンを液化天然ガスの代わりに工場のボイラーやトラック、船舶の燃料にしたり、気体のバイオメタンを家庭で使う都市ガスに混ぜたりしてきた。
乳業発「カーボン乳(ニュー)トラル」?
2024年5月からは商用利用に移った。エア・ウォーターは〈カーボンNEWトラル!〉というキャッチフレーズで、バイオメタンが持続可能な新しい国産エネルギーであることを発信してきた。
カーボンニュートラルは、「炭素中立」と訳せる。温室効果ガスの排出と吸収の釣り合いを取り、全体でみたときの排出をゼロにすること。政府は2050年までにこれを実現すると宣言している。
繰り返しになるが、動植物に由来する有機性の資源である「バイオマス」を微生物の力を借りて発酵させたのが、バイオガス。
このバイオガスは、もともと大気中の二酸化炭素を動植物が成長の過程で吸収しているので、燃やしても排出量は差し引きゼロとみなされる。
よつ葉乳業株式会社(北海道河東郡)と雪印メグミルク株式会社(東京都新宿区)が、道東の工場でバイオメタンをボイラーの燃料に使っている。エア・ウォーターは、このモデルを他地域にも広めたいという。
まずは酪農を取り巻く乳業の世界で、循環の輪が生まれている。取材していて、「カーボン乳トラル」という言葉が頭に浮かんだ。
「酪農家がバイオガスプラントを建てようとすると、初期投資額は大きい。でも、バイオガスを売ることでその投資を回収できる。
その周囲には、バイオガスプラントを建てたいけれども、売電できないために二の足を踏んでいる酪農家が多い。彼らはガスそのものを売ることに興味津々だという。
バイオガスプラントは、建設に億単位の費用がかかる。そのため国内ではサンエイ牧場のような大規模な牧場に導入が限られている。
だが、海外では規模の小さい牧場でも導入例がある。鈴木さんが視察に訪れたドイツの牧場は、300頭を飼う程度の規模ながら、バイオガスプラントを導入していたという。
ガスの販売が広まっていけば、日本でもそれが当たり前になるかもしれない。
ホリエモンのロケットの燃料に
大樹町は、酪農の大産地であると同時に、1985年から〈宇宙のまちづくり〉を掲げ、航空宇宙産業を誘致してきた。今では〈宇宙版シリコンバレー〉をつくることを目指している。
町内には、宇宙関連企業が拠点を置く。その一社が、実業家でタレントのホリエモンこと、堀江貴文氏が創業者で取締役を務める、インターステラテクノロジズ株式会社(IST)だ。
同社は、ロケットの開発、製造、打ち上げを行う。
先に触れたように、乳牛の糞尿に由来する液化バイオメタンが、トラックや船舶の燃料に問題なく使えることは実証済み。今度はロケットの燃料に使う試みが、同社によってなされている最中である。
ロケットの燃料として主流だった液体水素は、蒸発しやすいため扱いにくかった。それに対して液化バイオメタンは安全性が高く、成分が安定している。蒸発が少なく、密度が高い分、燃料タンクを小さくできる。
こうしたメリットを理由に、メタンの採用が世界で進みつつある。中国の宇宙ベンチャー・藍箭航天空間科技(ランドスペース)は2023年、液化メタンと液体酸素を燃料にしたロケットの打ち上げに、世界で初めて成功した。
起業家のイーロン・マスク氏がCEOを務めるアメリカのスペースXも、燃料に液化メタンを使うロケットエンジンを開発している。インターステラテクノロジズは、新型ロケット「ZERO(ゼロ)」の燃料に牛糞由来の液化バイオメタンを使おうとしている。
エンジンを燃焼させる実験を2023年12月に大樹町のロケット発射の拠点である宇宙港「北海道スペースポート(HOSPO)」で行った。
バイオメタンを使ったロケットエンジンの燃焼試験は、世界で二例目、民間としては初という。
インターステラテクノロジズの実験の映像を見ると、シューッというガスの噴出音の直後に、ゴーッという音をあげて勢いよく炎が噴き出していた。赤い炎が見る見るうちに青白く色を変え、10秒間の燃焼が予定通り成功した。
液化バイオメタンの強みは、99パーセント以上がメタンという純度の高さにある。不純物によるエンジンへの悪影響が少ない。
牛糞由来で安定して入手できるため、同社はエア・ウォーターからの調達を決めた。
ロケットが宇宙へと飛び立つ日を目指して、大樹町で酪農家の夢を背負ったエンジンの開発が続く。
文/山口亮子 サムネイル/Shutterstock
『ウンコノミクス』 (インターナショナル新書)
山口 亮子 (著)
ウンコを経済やエコロジーの視点で見つめ直す!
肥料、熱源、燃料、医療…。その活用分野は想像を超える。
ウンコ活用が日本の切り札になる!
日本人は平均で1日200グラムのウンコを排出する。
米国の150グラム、英国の100グラムと、欧米人と比べても多く、
日本は世界有数のウンコ排出大国だ。
近年、リンの主要産出国である中国が禁輸に動いたり、
ウクライナ危機でロシア、ベラルーシからの肥料の輸入が減ったことで、
世界的な肥料不足が懸念されるなか、ウンコの活用が世界中で注目されている。
肥料だけではない。
養殖海苔に窒素やリンを供給する栄養塩として、
下水熱を使ったビル空調や、冬場に凍結した雪を融かす熱源として、
また、自動車燃料、発電、宇宙ロケットの燃料として、
ウンコの活用分野は、我々の想像よりずっと幅広い。
ウンコとゴミでできた大阪万博会場の夢洲の問題点や、
羽田空港と隣り合う日本最大の下水処理場のレポートを交え、
日本経済を立て直す「ウンコノミクス」の可能性を探る。