〈東大受験生刺傷〉「偏差値70以下は人間じゃない」「自分には勉強しかない」と裁判で語った少年加害者の嗚咽
〈東大受験生刺傷〉「偏差値70以下は人間じゃない」「自分には勉強しかない」と裁判で語った少年加害者の嗚咽

2022年1月、高校2年の少年は東京都文京区の東京大学前で受験の日に人を刺し、自らも死のうとした。伸びない成績に悩み、勉強中に眠くなると自傷するほど自身を追い詰めていた。

法廷で「勉強以外にも人を測る『ものさし』を考えてみてください」と語り掛けた裁判長の言葉は少年の胸にどう響いたのか――。

日本経済新聞「揺れた天秤」取材班著『まさか私がクビですか? なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』より抜粋・再構成してお届けする。

「人を殺せば罪悪感で自殺できると思った」

2022年1月15日、都心は朝から冷え込み、空はうっすら雲がかかっていた。午前8時半ごろ、高校3年だった女性は大学入学共通テストを受けるため、会場の東京大に向かって歩いていた。セーターにジャンパーを重ね着し、マフラーを巻いて寒さ対策は万全だった。

キャンパス前で突然、体に衝撃を感じた。走り去る学生服姿が見えた。リュックサックと服を貫通するほどの力で背中を刺され、その場に倒れ込んだ。

女性を含む3人に対する殺人未遂などの疑いで逮捕されたのは、名古屋市内の進学校に通う少年。法廷では凶行に及んだ理由を「人を殺せば罪悪感で自殺できると思った」と語った。何にそこまで追い詰められていたのか。

法廷供述によると、少年は中学2年の頃、世界で活躍する医師をテレビ番組で見て憧れを抱いた。好きな漫画などを断って勉強にのめり込み、呼応するように成績は伸びた。

3年時に学年で1桁台の順位をとり、通っていた塾から愛知県外の進学校の受験を勧められた。これが結果的にターニングポイントとなった。

県外高はすべて不合格で、県内の進学校に通うことになった。塾の仲間は全員が一緒に受けた県外の高校に受かっていた。

「自分だけ落ちたという醜態、失態が許せなかった。汚名返上、名誉挽回をしたいという気持ちになった」。医学部に進む東京大理科3類の合格を自分に誓った。

「理3に行く」。高校入学時、少年はクラス全員の前で宣言した。当時のクラスメートは「ひとりひとりに使っている参考書を聞いて回っていた。印象に残っている」と振り返る。休み時間も勉強していたという。

2年に進級した頃、睡眠は2時間ほどになっていた。起きているほとんどの時間は勉強に充てた。眠くなったときはカッターナイフなどで自分の体を傷付けた。

周囲も同じように受験勉強に力を入れだすと学内の順位はみるみる落ちた。勉強しても一向に上がらない。両親や担任は志望校の再考や文系への転向を促した。その方がいいと頭で理解しつつ「理3を諦めたら周りに負け犬だとばかにされる」と考えた。

「素直に生きていきたい」

成績が伸び悩む自分を許せなくなった。2年の冬には「偏差値70以下は人間じゃない」と父親に話すほどに思い詰めていた。後に精神鑑定に携わった専門家は「勉強からどう逃れようか苦しさが垣間見える時期だった」と分析した。少年は自殺と家出を考えるようになり、1カ月後、事件を起こした。

「受験戦争」が過熱したのは1960年代の高度経済成長期。大企業への就職の足がかりとして難関大学を目指す学生があふれた。

それから半世紀以上。現在は東京大に多数合格する進学校でも海外の大学を受ける生徒が少なくない。進路の選択肢は多様化している。

リクルート就職みらい研究所の「就職白書2023」によると、企業側が採用選考で重視する要素(複数回答)で最も多かったのは「人柄」で93.8%を占めた。続いて「自社への熱意」(78.9%)「今後の可能性」(70.2%)などが上位に入り、「基礎学力」は36.5%、「大学・大学院名」は17.2%で10番目だった。いわゆる「学歴フィルター」は薄まりつつあるといえる。

だが、少年は意識を変えられなかった。事件を起こす前、自分の学歴や収入をあげるためなら他人は蹴落とす対象だと捉えていた。逮捕後も拘置所内で開いたのは参考書だった。「自分には勉強しかない」。罪を償うため、稼げる職業につくには学力が必要だと考えていた。

検察側は懲役7年以上12年以下の不定期刑を求刑。

弁護側は保護処分を求めた。更生を願っていたのだろうか。「周りからの救いがあれば事件を起こさなかったのではないか」と投げかける裁判員もいた。

法廷で証言に立った両親は、進学先や将来の職業について強要したことはなく、息子の内心は事件後に初めて知ったと明かした。「勉強ばかりしていて心配だった」「もう少し気にかけてあげられれば」と悔やんだ。

「勉強以外にも人を測る『ものさし』を考えてみてください」。被告人質問でそう諭した裁判長は23年11月の判決公判で「正面から向き合って、改善する努力をしてください。人生に対する希望を見つけて、社会復帰してほしい」と説諭した。判決は懲役6年以上10年以下の不定期刑。閉廷後、少年は背中を曲げ、頭を下げ続けた。

「虚栄心や功利、学歴で自分を押し殺したり、自分の価値を決めたりせず素直に生きていきたい」。最終意見陳述で嗚咽をもらしていた少年。

価値観を変えるのは勉強よりも難しいかもしれない。視野を広げるために周囲や社会がどう関われるのか。事件はそんな教訓も残した。

文/日本経済新聞「揺れた天秤」取材班  サムネイル写真/Shutterstock

まさか私がクビですか? なぜか裁判沙汰になった人たちの告白

日本経済新聞「揺れた天秤」取材班
〈東大受験生刺傷〉「偏差値70以下は人間じゃない」「自分には勉強しかない」と裁判で語った少年加害者の嗚咽
まさか私がクビですか? なぜか裁判沙汰になった人たちの告白
2025/3/131,980円(税込)320ページISBN: 978-4296207503法廷で次々明らかになる、本当にあった怖い話。
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