
「編み物」の動画投稿を始めて半年、著作権侵害の疑いで突然、複数の動画が削除された。削除要請をしたのはライバルの編み物系ユーチューバー。
日本経済新聞「揺れた天秤」取材班著『まさか私がクビですか? なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』より抜粋・再構成して騒動の顛末をお届けする。
ライバルからの削除申請で動画が次々と削除され……
北陸地方に住む女性は2019年夏、趣味の編み物をテーマにした動画の投稿を始めた。子育ての合間に週1本のペースで制作し、ブログで編み物の手順を示した「編み図」も公開した。ほかの人と一味違った作品を紹介している自負はあった。
チャンネル登録者数が半年で約6千人まで増え、広告収入も月1万円強となった頃、スマートフォンにユーチューブ側から1通のメールが届く。「著作権侵害通知があったため動画を削除しました」。消された動画はブックカバーを編んだもの。憧れのユーチューバーが動画で紹介していた編み模様を参考に、本人の許可を得るなど細心の注意を払っていた。
思いも寄らない嫌疑にスマホを持つ手が震えた。メールには著作権侵害を訴えたアカウントが記載されていた。
「何か誤解しているに違いない。きちんと説明すれば分かってもらえるはず」。メッセージを送ると、返ってきたのは突き放したメール。「動画を上げる前に著作権を勉強された方がいいと思います」「ご納得いただけないのであれば裁判を考えてください」。具体的に相手のどの動画の著作権を侵害したとされたのかは分からずじまいだった。
そうしている間に相手の要請で別の動画も削除された。編み方や編み模様を自分で考えた自信作だった。ユーチューブは著作権侵害で削除要請を3回受けるとチャンネルが停止される。あと1回ですべての動画が削除されてしまう。寝付けないままスマホを手に、夜通し手がかりを探した。
同じ相手から削除要請が出ていたのは自分だけではなかった。ブックカバーで参考にした憧れのユーチューバーは8本削除されていた。しかも相手は自身のチャンネルのコメント欄で自分たちを激しく攻撃していた。誤解を解きたい一心で自分のブログに経緯を記すと、相手のコメント欄にそのままコピペされ「二度あることは三度ある。三度目は命取り」と脅された。ブログは炎上し、アクセス数は見たこともない数字に跳ね上がった。
「速やかな削除対応」の仕組みが悪用される
そんなとき救いの手を差しのべる人物が現れた。手芸歴60年以上、チャンネル登録15万人を誇る編み物ユーチューブ界の「レジェンド」。著作権に詳しい弁護士を紹介してもらい、ユーチューブに動画削除に対する不服を申し立てるとともに削除要請した相手に損害賠償を求める訴訟を起こした。
裁判では、相手が編み物や編み方は著作物とならないことを認識しながらも、けん制目的で競合動画の封殺を狙ったと主張した。同じく動画を削除された他の編み物ユーチューバーらも書面を提出するなどして加勢した。
これに対し、相手側は「自身の投稿動画は著作物に当たる」と反論した。得意の英語を生かして海外の文献や動画を調べ、日本で知られていなかった編み方を分かりやすく紹介したのだという。
米デジタルミレニアム著作権法(DMCA)は著作権者から権利侵害の指摘を受けた場合、直ちに投稿を削除すればサイト運営者は法的責任を免れると規定する。多くのプラットフォームが手軽に削除要請できる仕組みを採用し、要請があれば速やかに削除に応じている。
だが、著作権への理解不足による誤った要請やライバルを封じるための悪用も少なくない。ユーチューブではウェブフォームなどから削除要請を出せるが、23年7~12月に約17万人から提出があった152万件の要請のうち1割以上が誤りや悪用だった。
一審判決は編み方の技術や手法は著作権法の保護の対象とならず、技術的な説明の表現が似るのは自然だとして「多くの場合、創作性があるとはいえない」とした。その上で、今回は双方の動画の編み方の説明や表現方法が特に似ているとは認められないと判断。相手側は著作権侵害が成立しない可能性があると認識しながら削除要請したなどとして7万円の賠償を命じた。
二審判決はさらに踏み込み、削除要請の仕組みを使ってライバルの動画削除に至った行為を「制度の乱用」と指摘。賠償額を26万円に増額し、最高裁でそのまま確定した。
「かぎ針もユーチューブも見るのも嫌」なところまで追い込まれていた北陸の女性。今もコツコツと投稿を続け、チャンネル登録者数は3万人近くにまで伸びた。
文/日本経済新聞「揺れた天秤」取材班 サムネイル写真/Shutterstock
まさか私がクビですか? なぜか裁判沙汰になった人たちの告白
日本経済新聞「揺れた天秤」取材班
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……積水ハウス「地面師事件」にソフトバンク部長の隠れ副業、有名企業の社員も例外ではなく、私たちの日常は意外に怖い。身につまされて学びになるリーガル・ノンフィクション。日本経済新聞電子版の人気連載を書籍化。