「伝統」という言葉では逃げきれないパワハラ問題…宝塚歌劇団と相撲界にみる制度に埋め込まれた理不尽
「伝統」という言葉では逃げきれないパワハラ問題…宝塚歌劇団と相撲界にみる制度に埋め込まれた理不尽

立場が強いものが、逆らうことができない弱者に対して行うハラスメント、パワハラ。無論あってはならない行為だ。

だが日本では「伝統」という言葉でこうしたパワハラを正当化し、これまで逃げ仰せてきた組織が存在する。宝塚歌劇団と相撲の組織はその代表だという。

書籍『日本型組織のドミノ崩壊はなぜ始まったのか』より一部を抜粋・再構成し2023年に発覚した宝塚歌劇団におけるパワハラ問題、そしてやっとメスが入り始めた相撲という組織の実態を明らかにする。

「伝統維持」「人格形成」が生む独善──宝塚歌劇団

組織を崩壊の危機に陥れた背景に、絶対君主型は独裁的な権力を握るトップの存在があり、官僚制型では制度化された権限の序列構造があった。そしてもう1つ、どちらにも属さない第3のタイプがある。伝統の継承を大義名分、あるいは後ろ盾として堅固な上下関係が受け継がれる組織である。

その伝統をかたくななまでに維持しようとする体制のなかで不祥事が起こり、組織を揺さぶる。それゆえ伝統墨守(ぼくしゅ)型と呼ぶことができよう。

2023年1月、週刊誌での報道によって発覚した宝塚歌劇団におけるパワハラなどの問題は、その典型的な事例である。

宝塚歌劇団の宙組に属する俳優が、2023年9月に自宅マンションから転落死していたことが判明。月250時間を超える長時間労働や、上級生によるパワハラが原因にあると指摘された。

劇団側は当初の調査でパワハラの存在を否定していたが、2024年3月に一転してパワハラの存在を認め、遺族に謝罪した。

パワハラの有無をめぐって当初、劇団側と遺族側との間で意見が対立した。

その背景には、「伝統」というものの存在があったと解釈されている。

「宝塚音楽学校からの厳格な上下関係と、入団後も続く上級生からの厳しい指導という『伝統』があった。多くのOGが『芸の継承において必要なシステム』と口をそろえ、110年の歴史を支えてきた面もある」(2024年3月29日付「読売新聞」)。

しかし、時代の変化のなかで、「伝統」が必ずしも免罪符にはならなくなったと理解すべきだろう。

また団員が劇団内部の実態を外に話すのは「外部漏らし」といって怒鳴られたそうだ。そこには「内輪のことを外へ漏らすのを禁ずるのは当然」という、ある意味で確信犯的な態度がうかがえる。

一般の企業なら社員の入れ替わりや人事異動があるし、顧客や取引先などを含め、ある程度は外部の目にさらされる。その点では民間企業の隠蔽体質以上に深刻な構造的問題が存在しているといえるのではなかろうか。

さらに、後にも触れるように自分たちが選ばれたメンバーによる特殊な集団であるという、一種の「エリート意識」が口外を禁じ、そのルールを守ることに疑問を持たせなかった可能性もある。

制度に埋め込まれた理不尽──相撲部屋

ところで、興味深いことにジャニーズがミュージカル・グループとしての自立を目指すにあたって参考にしたのが宝塚だったといわれる(周東美材『「未熟さ」の系譜│宝塚からジャニーズまで』新潮選書、2022年、152頁)。

たしかに男女の違いがあるだけで、10代の少年少女を共同生活のなかで純粋培養し、芸能人としての活動機会を組織が一手に握るというシステムはうり二つだ。

ジャニーズも宝塚も教育機関としての役割を担い、「歌と踊りのレッスンを通じて人格形成を目指」した(矢野利裕『ジャニーズと日本』講談社現代新書、2016年、27~28頁)という点は何とも皮肉だが。

そして意図されていたか否かはともかく、結果的に問題の隠蔽につながるような慣行や風土まで、宝塚を「模写」した可能性がないとは言い切れない。



伝統の名のもとに一般社会では許されない行為が見過ごされてきたという点では、宝塚のはるかに上をいくのが大相撲の世界だろう。

幕内最高優勝45回を誇るかつての大横綱白鵬(宮城野親方)が率いる宮城野部屋では、2024年になって幕内力士による後輩力士に対する度重なる暴行が明るみに出た。

それを受けて加害力士には引退勧告相当として引退届を受理、宮城野親方には委員から年寄りへの2階級降格と報酬減額という処分が下され、宮城野部屋は当面閉鎖されることになった。

日本相撲協会が揺れ、一時的ではあっても宮城野部屋という基礎組織の崩壊が起きたわけである。

大相撲の世界では、これまでにも日馬富士、朝青龍の両横綱が不祥事で引退に追い込まれたほか、部屋のなかでの暴行疑惑もたびたび報じられた。

一昔前までは親方が力士の尻を蹴りあげたり、竹刀で叩いたりするなどの行為は当たり前のように見られ、それが暴力であるという認識は薄いのが現実だった。そのような指導方法が伝統だという受け止め方に加え、相撲は格闘技という一面を持つだけに少々の暴力は見過ごされやすい。しつけや稽古も暴力とは紙一重なのだろう。

部屋、一門、相撲協会という三重の入れ子構造

しかも背景には、やはり組織の閉鎖性がある。力士のなかでもいわゆる「たたきあげ」組は、中学を卒業したばかりの、まだ十分な社会経験も判断力も備わっていない段階で入門する。

入門するといずれかの「部屋」に属し、親方やほかの力士たちと一緒に集団生活を送る。よほど特殊な事情がないかぎり、ほかの部屋に移ることは認められていないので、各力士は入門した部屋で力士生活を終えるわけである。

さらに大相撲の世界には、部屋どうしの師弟関係を中心にした「一門」があり、現在、伊勢ヶ濱一門、二所ノ関一門など5つの一門が存在する。

歌舞伎の一門と似ており、役員選挙などの際に数の力を発揮するという点では自民党の派閥とも共通するところがある。このように大相撲の世界は、部屋、一門、相撲協会という三重の入れ子構造になっている。

相撲は「神事」(否定する説もあるが)とされ、大相撲は江戸時代以来の歴史を持つことからも想像できるように、日本型組織の特徴を最も凝縮した形で体現している。そこで部分的にせよ組織の崩壊をもたらすような不祥事が発生したことは、日本型組織のあり方そのものが問われているとして深刻に受け止めるべきだろう。

もっとも不祥事そのものはいまに始まったことではない。前述した横綱による暴力事件のほかにも、2007年には時津風部屋で起きた力士の暴行死、2010年には年寄株の不透明な売買疑惑、2011年には力士による八百長問題が発覚するなど、この世界の異常な体質をうかがわせる出来事がたびたび発生している。

そして、そのたびに大相撲界の閉鎖的で不透明な体質が問題視された。

そこへ近年になって、公益財団法人である協会に対し外から厳しい目が向けられるようになったわけである。しかし内部から改革を唱えた親方が逆に孤立するなど、闇の深さもまた印象づけられた。

そのことは日本型組織の改革もまた、一筋縄ではいかないことを示唆しているように思える。

写真/Shutterstock

日本型組織のドミノ崩壊はなぜ始まったか

太田 肇
「伝統」という言葉では逃げきれないパワハラ問題…宝塚歌劇団と相撲界にみる制度に埋め込まれた理不尽
日本型組織のドミノ崩壊はなぜ始まったか
2025年3月17日発売1,012円(税込)新書判/224ページISBN: 978-4-08-721354-6

旧ジャニーズ事務所の性加害事件や、ダイハツ、ビッグモーター、三菱電機、東芝などの企業不祥事、自民党の裏金問題、宝塚、大相撲のパワハラ、日大アメフト部の解散、そしてフジテレビ…、近年、日本の名だたる組織が次々と崩壊の危機に直面した。

そこには共通点がある。

「目的集団」であるはずの組織が、日本の場合は同時に「共同体」でもあったことだ。

この日本型組織はなぜ今、一斉におかしくなってしまったのか? 日本の組織を改善させる方法はあるのか? 

組織論研究の第一人者が崩壊の原因を分析し、現代に合った組織「新生」の方法を提言する。

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