過激描写が時代に合わず消滅した「昼ドラ」がサブスクで人気再燃…そしてドロドロの愛憎劇は今、深夜ドラマに継承か
過激描写が時代に合わず消滅した「昼ドラ」がサブスクで人気再燃…そしてドロドロの愛憎劇は今、深夜ドラマに継承か

NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)が連日ネットニュースになる昨今。“朝ドラ”に対する世間の高い注目度に対して、かつて「ドロドロ愛憎劇」で人気を博してきた昼ドラの話題はほとんど聞かれなくなった。

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朝ドラをはじめとするドラマ作品に造詣の深いエンタメライターの木俣冬氏に、オワコンとなりつつある昼ドラへの見解、人気再燃の可能性について聞いた。 

意外と幅広い昼ドラの題材と作風

「昼ドラと言えば女性週刊誌に載っているような通俗的なメロドラマのノリがお馴染みで、不倫などを題材にした作品が主流でした。普段は清純そうな人のドス黒い人間関係や隠れた欲望を描くことで、視聴者の興味を惹くという形が昼ドラ特有の世界観の根底にあったように思います」と話す木俣氏(以下同)。

昼ドラの歴史は意外と古い。日本では1969年から2009年3月まで40年間に渡って放送されていた『愛の劇場』(TBS系ほか)や、1964年から『ライオン奥様劇場』(フジテレビ系)として昼の帯ドラマシリーズ枠が始まった。

“新人女優の登竜門”とも言われる朝ドラ(近年は趣が少し異なるようだが)と同様、昼ドラも主婦などの視聴者を意識し、女性を主人公に描かれる作品が圧倒的に多い。

また、1970年代の昼ドラでは家族や主婦を題材にしたコメディやホームドラマ、「連続テレビ小説」のような女性の一代記的な作品が主で、ドロドロ愛憎劇だけではなかった。

現在、昼ドラと聞いて一般的に想起されるドロドロ路線のドラマが目立ち始めたのは、1986年の『愛の嵐』(フジテレビ系)以降のこととされる。

「朝ドラは明るく爽やかな作風で倫理観の高めな作品が圧倒的に多く、これに対抗するように昼ドラは、欲望渦巻くドロドロ愛憎劇という真逆の方向性で差別化されていったように感じます。

朝ドラと昼ドラの作風の違いは当然、NHKを好む視聴者層と民放を好む視聴者層の属性的な違いも反映されていたのだと思います」

もっともリアルタイム視聴が主だった時代は、NHKの朝ドラも民放の昼ドラも 視聴者が明確に棲み分けられていたわけでもない。家事の合間にそれぞれの時間帯で楽しまれていたドラマだったようだ。

「朝ドラが戦前~戦後を生きた女性の一生などを題材にした物語を基本にしながら、たまに若年層を意識した現代作品などにも挑戦するように、昼ドラも昼メロの合間にほのぼの系作品がわりとありました。

そもそも昼ドラは2002年の『真珠夫人』(フジテレビ系)、朝ドラは2013年の『あまちゃん』を機に、その後の新たな視聴者を獲得したところもあります。

それ以前はお茶の間のテレビから“なんとなく流れている放送枠”だったのかなと」

昼ドラの究極形のような作品『牡丹と薔薇』

2002年の『真珠夫人』は言わずと知れた昼ドラブームの火付け役となった作品だ。1920年代の通俗小説を原作に、現代を舞台に置き換えてドラマ化されており、以後、昼ドラといえば過剰な演出による愛憎劇という市民権を得る。

「『真珠夫人』というドラマは妻が内通している夫への報復として、タワシをコロッケの代わりに皿に乗せて夕食に出した、“たわしコロッケ”なしでは語れません。そのインパクトだけで何杯でも白飯が食べられる作品で、視聴者にとってはもはやメッセージやテーマはあってないようなもの。爆発的な人気になる作品の宿命で、作り手の意図から離れたものがブームになってしまう。朝ドラ『おしん』の大根飯もそうでした。

劇中に散りばめられた小ネタのアイデアに、制作者のクリエイティビティのすべてが注がれていたと言っても過言ではないでしょう。

その後はあり得ないネタが再生産され、大胆な演出が拡大。昼ドラ人気は2004年の『牡丹と薔薇』(フジテレビ系)で頂点を迎えました。『牡丹と薔薇』では“たわしコロッケ”にも通じる“牛革の財布のステーキ”が出てきますね。当時は狂牛病が話題だったからでしょうか」

しかし、2009年3月末にTBS系が月曜から金曜13時台のドラマ枠を廃止したことを皮切りに、各局で打ち切られ、2016年3月、日本の地上波から新作の昼ドラは消滅した。

背景には民放局を取り巻く経営環境の変化のほか、2002年の『冬のソナタ』のような純愛系作品や韓国ドラマへ人気がシフトしたこと。レンタル・配信などエンタメの選択肢が多様化したことなども考えられるという。

「女性週刊誌のトピックスをイメージするとわかりやすいと思うんですが、朝ドラも昼ドラも、韓国ドラマもひとつの同じ界隈の作品群なので。2016年にはセルフリメイク的に『新・牡丹と薔薇』も制作されましたが、昼ドラ人気が復活することはなかったようです。

ちなみに『牡丹と薔薇』以降も、宮藤官九郎脚本の『吾輩は主婦である』(2006年・フジテレビ系)や、人気ドラマのテッパンのひとつ・温泉旅館を舞台に嫁姑喧嘩などを描いた『花嫁のれん』(2010年・フジテレビ系)など、ホームコメディ路線の作品は制作されていました」

テレビ朝日では2017年から2020年にかけて昼ドラを復活させていたこともあるようだが、やはり新作の制作はなかなか容易ではないらしい。

「『牡丹と薔薇』では、ぼたんが輪姦されるという過激なエピソードをはじめとして、殺人など人間の負の面が満載で、不倫もある種ドリームのように描かれている。当時はそれが醍醐味でもあったのですが、いま真っ昼間から地上波で放送したらコンプライアンスの問題を指摘されるでしょう」

「“直接セリフにしないと心情が理解できない問題”はない」

昼ドラ人気が花盛りだった頃、SNSで感想が可視化・共有されるテレビの楽しみ方はなく、抗議の手段も電話や手紙だけ。ネットで炎上する、ネットで盛り上がりを見せるということもなかった。

「SNSは朝ドラと昼ドラ対照的な道を辿ることになった背景のひとつでしょうね。『あまちゃん』は東日本大震災以降にSNSが幅広い世代へ普及し、Twitter(現X)で感想が共有されることで盛り上がりを見せていたと思います」

その後、不倫恋愛や愛憎劇を題材にしたフィクションのニーズはWeb漫画などにシフト。そのドラマ化などによって、昼ドラ的要素は深夜ドラマに引き継がれている。

「昼ドラに比べれば、深夜ドラマもだいぶ“手心”を加えられている印象ですが、結局、不倫モノが人気です。朝ドラでは『カーネーション』(2011年)でヒロインの不倫が描かれ、そのエピソードを絶賛する視聴者もいた一方で、抗議を寄せる視聴者もいたため、以降、不倫的な描写は控えめになっています。

『花子とアン』(2014年)では、史実だとヒロインのモデルは既婚男性と恋するのですが、ドラマでは奥さんの死後、再婚するという修正がされているほどです」

朝ドラの視聴者が朝ドラに求める倫理観は確かに存在するが、時間帯が変われば一概に許される時代でもない。

記憶に新しいところでは『子宮恋愛』(日本テレビ)がSNS上で物議を醸した。夫とは別の男性に子宮が恋をしてしまう本作だが、同僚男性からヒロインへのセリフ「ねぇその主人ってのやめたら」は、“しきゅれん構文”としてミーム化もした(原作にはないセリフとのこと)。

「朝ドラ『半分、青い。』ではヒロイン(永野芽郁)が離婚を切り出した夫に『死んでくれ』と言うセリフがあり、SNSではいかがなものかという声がありました。あれから6年ほど経ち、『夫よ、死んでくれないか』(テレビ東京)なる深夜ドラマのタイトルが問題視されましたが、そうした倫理観は民放にも例外なく求められる時代です。誰かに『死ね』と言うのはよくないのは当たり前ですけれど」

なお、一部の昼ドラ作品はU-NEXTなどで現在配信されている。音楽はサブスクで往年の名曲が世代を超えて聴かれるリバイバル現象も起きてきたが、昼ドラはタイパの壁を超えられるのか?

テレビドラマ自体は話題作も定期的に生まれているが、そもそもの人口比的な問題もあるのか、若者がそれらの人気の牽引役になってきた印象は正直ない。

「身も蓋もないですが、“テレビっ子”と呼ばれるようなテレビを見て育った、昔からの視聴者が今もテレビドラマを追い続けているのが現実かなと(笑)。仮に昔の昼ドラにハマる若者がいるとすれば、昼ドラはビジュアルのおもしろさや過激さといった瞬間的なインパクト勝負という点が最もユニークなところ。1話の中で変な出来事が次々と起きて話が転がっていくため、タイパを求める今の時代にわりと合ってはいるかもしれませんね」

筆者には1話15分という負担感のなさも朝ドラ視聴の一助となった。昼ドラもテレビアニメと同じ1話約30分であることも考えれば、若年層での“人気再燃”の可能性はあるかもしれない。

「昼ドラは過激な題材のわりに気軽に楽しめるところがありますし、“直接セリフにしないと心情が理解できない問題”もないですから(笑)。

誰だって“たわしコロッケ”を見れば怒りのヤバさはわかりますよ」

さまざまなルールに縛られながら、ストレスやトラブルを抱えて働く現代人。コンプライアンスを意識する一方で、どこか昼ドラのような刺激的なものを求めているのかもしれない。

取材・文/伊藤綾 

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