
新守護神・ライデル・マルティネスが開幕から15試合連続無失点と、大活躍を見せている2025年の読売ジャイアンツ。だが、過去20年の巨人でクローザーを務めた投手のなかで長く活躍できた例は、マーク・クルーン(2008~2010年在籍)の3年が最長。
「スコット鉄太朗」の愛称も
――西村さんが巨人でクローザーを務めたのはプロ9年目、2012年からの2年間でした。任された時はどんな心情だったのですか?
西村 プロでちゃんと成績を残せたのがその前年くらいだったので、「山口鉄也さんもいるのに、自分でいいのかな。務まるのかな」と思っていました。
――前年に20セーブを挙げた久保裕也さんが故障したため、西村さんがクローザーに任命されたそうですね。
西村 はい。ただ、当時の首脳陣からはっきり言われた記憶はないんです。この流れからすると、自分が投げるんだなと察しました。
――西村さんと言えば、控え目な性格という印象があります。
西村 グイグイと前に出るタイプではないですし、目立ちたがり屋ではないですね。
――「巨人の9回」を任されるのは、相当な重圧がかかるのでしょうか。
西村 そこはあまり気にせずにやっていました。
――当時は西村さんを入れた3人の勝ちパターンは「スコット鉄太朗」と呼ばれました。セットアッパーにいい投手がいると違うものですか?
西村 僕の前のふたりが完全に流れを断ち切ってくれるので、投げやすさはありました。相手からすると、ふたりのように何年も抑えてきた実績のある投手が出てきたら「嫌だな」と感じたはずです。ふたりとも普通に打者3人で抑えてしまいますから。
――クローザー転向1年目は一時、マシソンとの配置転換がありましたが、マシソンの故障離脱後は西村さんが完全にクローザーに定着しました。紆余曲折ありましたが、自信を深めたきっかけはあったのでしょうか。
西村 僕はクローザーと言えば、「大魔神」と呼ばれた佐々木主浩さん(元マリナーズほか)のイメージを持っていました。圧倒的な力で完全に抑え込むような。でも、僕は佐々木さんのように三振をたくさん取れるタイプではありません。
そんな時に、久保さんからアドバイスをもらったんです。「抑えは3点リードで登板して2点取られても、勝てばいいんだ」と。
――クローザーは勝てば監督と握手できますし、やりがいがあると語る経験者も多いですね。
西村 勝って終われるのはいいですよね。勝ち投手にウイニングボールを渡せるのもうれしいですし、やりがいはありました。
――巨人のクローザーともなると、大勢の報道陣に囲まれるのでは?
西村 いえ、クローザーって「抑えて当たり前」というところもあるので、勝って取材を受けることはそんなになくて。むしろ負けた時のほうが取材はくるんですよ。
――選手からすると、きついですね。
西村 そういうものだと思っていました。勝ちパターンの投手は、打たれた時に「どうだった?」と聞かれることはわかっていましたから。
巨人で2年連続30セーブを挙げた初めての投手に
――クローザーで打たれた日はどんな心境になるのでしょうか。
西村 その日はだいぶ引きずります。でも、よく言われていたのが、「次の日には切り替えてこい」ということ。自分にできるのは、それだけでしたね。
――頭で「切り替えが大事」とわかっていても、どうしても失敗を引きずる人間も多いと思います。西村さんはどうやって切り替えていたのでしょうか。
西村 打たれたとしても、自分がどうやって試合に臨めているかが大事だと思うんです。しっかりと準備ができていたなら、打たれても切り替えられるはずです。
――聞きづらいことですが、当時のメディアに「西村はメンタルが弱い」と報じられることもありました。本人はどう感じていたのでしょうか?
西村 うーん、自分では別にメンタルが強いとは思っていないので。よく自滅していましたしね。強い人が「弱い」と書かれたら気にしたと思うんですけど、自分は強いと思っていなかったので気にしませんでした。
――西村さんは期待され、殻を破れなかった時期が長かったからこそ、やり玉に挙がる機会も多かったのだろうと想像します。それも人気球団ならではだと思うのですが、いかがですか。
西村 でも、僕の場合は打たれても我慢して使ってもらっていましたから。チャンスをもらっている分、「ちゃんと抑えないと」とずっと思っていました。
――西村さんは2012年に32セーブを挙げ、2013年に42セーブで最多セーブのタイトルを受賞しました。巨人で2年連続30セーブを挙げた投手は初めてでした。
西村 昔の巨人は「先発完投」の風潮がありましたし、なかなか投手の分業が確立されていなかったと思うんです。早めに確立されていれば、僕が初めてということはなかったでしょう。
――西村さんが巨人に入団した頃には、先発完投至上主義は薄れていたのでしょうか。
西村 あまりわからないですが、阪神でJFK(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の3投手による継投リレー/2005~2008年)が出てきてから、どのチームも役割分担が進んだように感じています。
――クローザー時代に強く印象に残る出来事はありましたか?
西村 2013年のリーグ優勝が決まった日(9月22日・広島戦)の登板ですね。ルーキーだった菅野(智之/現オリオールズ)が8回まで投げて、9回はマシソンと山口さんと「1人1殺」で出ました。また前の2人が簡単に抑えるものですから(笑)、「1点差だし、この流れで打たれたらヤバいな」とプレッシャーを感じました。抑えられた時は本当にうれしかったですし、歓声も普段とは違うように感じられましたね。
「巨人というチームは補強するもの」
――2年で通算74セーブ、防御率1.13と安定した成績を挙げましたが、翌2014年は不振で中継ぎに配置転換されています。フル回転の代償は大きかったのでしょうか。
西村 自分ではそこまで感じてはいないんです。2年間フルで投げた経験もないし、疲れがどうたまるかもわからなかったので。単純に打たれることが増えて、うまくいなかいなと感じていました。
――西村さんがいくら活躍しても、球団は新外国人を獲得するなど、補強の手を緩めませんでした。「自分を信用していないのか?」とプライドを傷つけられることはなかったのですか。
西村 それはなかったですね。巨人というチームは補強するもの、という認識があったので。2012年もマシソンと一度クローザーを入れ替わっていますし、自分が完璧に抑えていたわけではなかったですから。
――今年の巨人はライデル・マルティネスが中日から移籍し、大勢との強力な8、9回の継投を見せています。西村さんの目にはどう映っていますか?
西村 2人ともタイプが違うので、相手からすると嫌でしょうし、どちらがクローザーになるにしても強いと思いますよ。
――両者の疲弊を抑えるために「ダブルクローザー」という考え方もできると思いますが、どうでしょうか。
西村 うーん、そこは何とも言えません。
――歴史的に巨人のクローザーが短命に終わっているのは、なぜだと思いますか?
西村 僕の場合は体力不足が原因だったと思います。藤川さんや久保田さんなんかは、ずっと投げていましたからね。
――巨人という球団ならではの特殊性は感じないですか?
西村 巨人だから……というのはあるんですかね。でも、セットアッパーでは山口さんがずっと投げていた(通算273ホールドを記録)わけですから。もし、山口さんがクローザーをしていたら、すごいセーブ数を記録していたかもしれません。
――今後、大勢が再びクローザーに戻って、球団史に残るセーブ記録を残す可能性もあります。どんな期待を持っていますか。
西村 どの役割を任されるかはわかりませんが、ケガをせずに1年間投げられるように頑張ってもらいたいです。彼はボールも強いし、メンタルも強い。テレビで見ていても、普通にやれればすごい成績を残せると思いますから。
取材・文/菊地高弘