
コンプラ意識ゼロの怒濤の常識、非常識。昭和時代に存在したなつかしくもおかしいテレビ番組がたくさんあった。
スマホをいじる暇もないくらい見逃せないシーンが目白押しだった昭和のテレビについて『不適切な昭和』より一部抜粋・再構成してお届けする。
芸能人の水泳大会が放映されていた
1970~1980年代には、芸能人の水泳大会が民放でしばしば放映されていた。最初は競泳のタイムを競い合うなどカタい内容だったが、だんだんとお色気要素が強まり、女性アイドルの水着姿をどれだけ、どのように映すかがテーマとなっていった。
そのため、発泡スチロールの浮島によじ登ろうとする女性アイドルを後ろから撮影したり、平泳ぎする姿を水中カメラで後ろから追いかけたり、とかなりえげつない映像が流れることも多かった。
途中からは、騎馬戦の際にビキニのブラ(トップス)が外れて「ポロリ」となる場面が定番化し、番組の目玉となったが、もちろんこれはヤラセ。「ポロリ要員」と呼ばれる無名のお色気タレントが動員されており、どんなに間違っても松田聖子や河合奈保子のブラが外れることはなかったのである。
ただし例外もあって、1981(昭和56)年頃にSという当時売り出し中の清純派アイドルのブラがずれて、予期せずポロリになってしまう、という悲惨な事故が起きたことがあった。もちろんテレビではカットされていたが、その頃は観覧者の写真撮影が自由だったため、後日にはアクション系の雑誌にそれが多数掲載されてしまったりもしていた。
こうしたこともあって、ビキニを着るタレントは次第に減り、1990年代からはワンピースが主流となるなど、肌の露出は激減していく。やがてはトップアイドルたちの事務所も出演させること自体を次第に拒むようになり、平成ひと桁頃を最後に水泳大会は行われなくなってしまった。
ゴールデンタイムの番組でも「ポロリ」シーンがあった
昭和時代は、ゴールデンタイムでも「おっぱいポロリ」シーンがよくあった。一番有名なのはドラマ『時間ですよ』(1965〈昭和40〉年に単発放映、1970〈昭和45〉年~1973〈昭和48〉年で連続ドラマ化、その後も『時間ですよ昭和元年』『時間ですよふたたび』などシリーズ化:TBS系)では、脱衣所や洗い場で胸が丸出しの女性がよく映し出され、ドラマの名物シーンとなっていた。
『大江戸捜査網』や『影の軍団』でも女湯が出てきていて、後者のシリーズ最終話はタイトルが「乱入!女湯の24時間」だったりした。
『志村けんのバカ殿様』(1986〈昭和61〉年~2020〈令和2〉年:フジテレビ)で初期の頃はポロリがあったりしたがこれも次第に消滅していったし、平成以降では『水戸黄門』(TBS系)で由美かおるが入浴するシーンが話題になったりしたが、ここでも肩・背中・足やらのみで、「丸出し」ということはなかったのである。
なお、全裸シーンはCMでも時おりは出てきていた。有名なのは1973(昭和48)年東洋陶器(株)[現・TОTО]バスタブCM「お魚になったワ・タ・シ」での高沢順子(当時18歳)の入浴シーン。このCMは大きな話題となって、1985(昭和60年)には、三東ルシア(当時17歳)出演の続編も出された。
ちなみに、昭和40年代前半までは内風呂がまだあまり普及していなかったため、夏には庭で行水をする女性も実際多く、ドラマや漫画ではそれを覗くシーンも定番となっていた。木の塀のフシ穴から男が覗いて、それに気づいた女性が「キャーッ」と叫びながら水をぶっかけるのだが、当時は犯罪だとか警察出動だとかいう大げさな話にはなることはなく、たいていの場合は男が「てへへー」といいながら逃げて終わりだった。
今考えてみても、やはり昭和はつくづく大らかな時代であった。
テレビでは11時以降が「大人の時間」とされていた
昭和の時代、小学生らは夜10時位になると、親に「さあ、もう寝なさい」といわれ、テレビをみさせてもらえないのが普通だった。特に11時頃になるとテレビのある茶の間には絶対に入れず、子供は起きているだけでも怒られたりした。
筆者も、この時間にどんな番組をやっているのか疑問に思って新聞のテレビ欄をみると、『11PM』(1965〈昭和40〉年~1990〈平成2〉年:日本テレビ)とか出ているだけでやはりよく分からず、「『じゅういちぴーえむ』って何だ?」などと考えていただけだった。
ただ、その時間そっと襖を開けて覗くと、「シャバダバシャバダバ……」という怪しげな音楽が流れていて、父親が裸の女性の映像をみたりしていたので、「ははあ、なるほど」と思ったこともあった。
なお、『11PM』は、最初割合硬派の番組であったが、数年経つうちには段々とお色気系中心の内容へと変わっている。
そして、やがてはこれに続く形で、『23時ショー』(1971〈昭和46〉年~1973〈昭和48〉年、1977〈昭和52〉年~1979〈昭和54〉年:テレビ朝日)、『独占!男の時間』(1975〈昭和50〉年~1977〈昭和52〉年:テレビ東京)、『トゥナイト』(1980〈昭和55〉年~1994〈平成6〉年、『トゥナイト2』は1994〈平成6〉年~2002〈平成14〉年:テレビ朝日系列)、『サタデーナイトショー』(1981〈昭和56〉年~1984〈昭和59〉年:テレビ東京)などが放送されるようになり、深夜時間帯の民放はみなアダルト向けの番組だらけとなっていった。
一番ひどかったのは、昭和末期~平成ひとケタ頃で、某有名過激コーナーがあったことで知られる『TV海賊チャンネル』(1984〈昭和59〉年~1986〈昭和61〉年:日本テレビ系列)や、アイドルにバスタオル1枚で歌わせたりしていた『花の女子高聖カトレア学園』(1985〈昭和60〉年:テレビ東京)。
全裸が当たり前の『姫TV』(1988〈昭和63〉年~1993〈平成5〉年:テレビ朝日)、『EXテレビ』(1990〈平成2〉年~1994〈平成6〉年:日本テレビ系列)、『平成女学園』(1992〈平成4〉年~1998〈平成10〉年:テレビ東京)、AV女優の上半身を映しながら「今、股間がハケの水車で刺激されているのは誰か」を当てるクイズコーナーなどがあった『殿様のフェロモン』(1993〈平成5〉年~1994〈平成6〉年:フジテレビ)。
『ギルガメッシュないと』(1991〈平成3〉年~1998〈平成10〉年:テレビ東京)、『ロバの耳そうじ』(1994〈平成6〉年~1996〈平成8〉年:日本テレビ系列)、『A女E女』(1997〈平成9〉年~1998〈平成10〉年:フジテレビ)など、深夜は低俗どころではない超おげれつ番組のオンパレードであった。
しかし、2000年代に入るとこうした番組への風当たりや規制が強まり、過激番組は次々と姿を消していった。今の子供たちはもうテレビにもあまり関心を示さないし、夜ふかししているとしてもゲームに夢中になっているかスマホをいじったりしているだけである。
かつてイケナイ時間帯が存在したことなど知る由もないだろうし、中年以降の大人たちにとっても、もはやこれらはギラギラ若さが溢れていた時代の記憶であろう。
文/葛城明彦
『不適切な昭和』(中央公論新社)
葛城明彦
いまとなってはありえない!
これが令和の日本とは同じ国とは信じられない事実の連続。なつかしくもおかしい昭和の時代の景色を今によみがえらせる。コンプラ意識ゼロの怒濤の常識、非常識。
第1章 社会――暗くて汚かった街
第2章 学校――カオスな、もうひとつの小社会
第3章 家庭と職場――のん気なようで意外と地獄
第4章 交通――ルール無用の世界
第5章 女性――差別もセクハラも放ったらかしだった頃
第6章 メディアと芸能界――規制ユルユル、何でもやり放題