
荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』から生まれた、大人気シリーズの映画化最新作『岸辺露伴は動かない 懺悔室』が5月23日から公開される。主人公の漫画家・岸辺露伴を演じる高橋一生に、「浸透し始めている」と語る自身と役との関係や、日常生活で感じる“幸福”について聞いた。
思った以上に「怒った」ヴェネツィアでの撮影
──2020年に初めてドラマ版で岸辺露伴を演じられてから5年。『岸辺露伴は動かない 懺悔室』で計6回、露伴役を演じられたことになります。
高橋一生(以下、同) 同じキャラクターをこれほど長く演じる機会はなかなかないこと。自分の俳優人生において大きなことですし、幸福なことだと思います。
荒木飛呂彦先生もキャリアの中でほとんど『ジョジョの奇妙な冒険』を描き続けていらっしゃる。骨を埋めるくらいの勢いでひとつの作品を描いていることに、そこはかとない憧れがあるんです。続けていくことのおもしろさ、続けていかないとわからないおもしろさもあるんじゃないかなと思っています。
──同じ役を演じ続けることで、イメージが固定化することに抵抗感を抱く俳優もいると聞きます。
この作品の続編をやるときにも同じことをプロデューサーの方から言われたんです。僕からしたら抵抗感どころか喜びで(笑)。できることなら同じ役をずっとやっていきたいと思っています。
だからちょっと聞いてみたいんです。MCUシリーズで何年にもわたりドクター・ストレンジ役やドラマ『SHERLOCK』のシャーロック・ホームズ役を演じているベネディクト・カンバーバッチに、「同じ役を何年くらいやってましたっけ? そのときの気分ってどんな感じ?」と(笑)。
──『岸辺露伴は動かない 懺悔室』では、どのように役にアプローチされましたか?
これまでのシリーズでは、割と「ここをこう演じてみよう」と意図的にお芝居をしていたんです。でも今回はロケ地のヴェネツィアで、実際に漫画に出てきた風景を目の当たりにしたときに、自分がどんな気持ちになるか想像ができませんでした。
撮影では、謎の男・田宮役を演じる井浦(新)さんのお芝居を目の当たりにしてみて、割とフリーに任せて演じました。だから思った以上に「怒ったな」というシーンもありました。監督の(渡辺)一貴さんから「すごく露伴ぽい」と言ってもらえたりもして。
これまで露伴として構築してきたもの、蓄積してきたものが、あまり考えなくてもちゃんと出せるようになりつつあることを感じました。露伴が自分に浸透し始めていたのだと思います。
──「怒った」シーンとは?
今回は“幸福になる呪い”がテーマになっていて、露伴もやたらめったらいろんな幸福が起きて邪魔をされてしまうんです。
落ちていた宝くじに対しても、「どうせ当たっているんだろう」と足で踏みつけるのですが、台本に書かれていたのは「グリッ」ぐらいでした。でも撮影ではものすごい勢いで何度も何度もバタバタと踏みつけていて。
撮影後、ホテルに帰ってから一瞬「ちょっと逸脱しすぎたかな」と思いましたが、すぐに「まったくそんなことはない」と思い直しました。前もって考えていたことではありませんでしたが、お芝居を振り切っても露伴の人格として成立する感覚を味わえました。
ものすごく地団駄を踏んでいるので、ぜひ笑っちゃってください(笑)。
自分に向けて漫画を描く露伴に、シンパシーを感じる
──高橋さんが露伴にシンパシーを感じる部分は?
例えば露伴は自分が漫画を描く理由を「読者のため」と言っていますが、僕はどう考えても読者のためだけで終わっている気がしないんです。「自分に向けて漫画を描いてるんじゃないかな、この人」と思うところがあって。
──劇中では、「美術館に飾るためでも専門家に鑑定してもらうためでもなく、読者に手に取って読んでもらうためだけに描いている」と、漫画家としての矜持が語られます。
もちろん大前提として読者はいるけれど、もしも読者から反応が返ってこなかった場合、その先にいる自分にボールを投げているような漫画家なのかなと思ったりもして。
それは僕がお芝居をしているときもそう。見てくれる人が仮にいなくなったときに、「じゃあどこに向けて芝居するの?」と言ったら、自分が納得できるかできないかだと思うんです。結局は自分に向けて芝居をしているようなものなんですね。
──究極、見る人がいなくなっても演じるということですか?
はい。舞台に立っているとその感覚が際立ってくるんです。コロナ禍に無観客で舞台を収録したことがあって、そのときのお客さんは誰なのかと定義すると、結局自分でした。いなくなってしまった相手に対して何ができるかと言ったら、やっぱり自分のためにやり通すことだった。
それが2020年に起きたことだったので、同じタイミングで露伴役に出会えたことは、自分の中でものすごくインパクトのある出来事でした。
ほんの些細なことに幸せを感じている
──高橋さんは、日常の中で“幸福”を見つけるのは得意なほうですか?
「今日はめちゃめちゃ暖かいじゃないか」とか、「ご飯が美味しいな」など、毎日本当に感謝しています。年々、ほんの些細なことで幸せを感じるようになってきた気がします。
──その変化にはきっかけが?
仏壇や神棚に手を合わせるようになったんです。最近は時間ができるようになったので、毎朝早く起きて週5日くらいはするようにしています。
別に宗派とかまったくこだわりはないんですけれど、手を合わせているとおのずと「ありがたい」というような気持ちが出てくるんです。
最初は手を合わせるという単なるポーズから入ったけれど、日々の習慣になってしまうとネガティブに思っていたことがたちどころに消えていきました。
──ポーズだけで気持ちが変わるんですね。
もうただひたすらやること。1ヶ月くらいやってみて欲しいです。最初の頃は僕も文句ばかり浮かんできたんですけれど、そのうち脳が感謝モードになってくるんです。
脳をだますくらいの気持ちでやっていくと、意外といろんなものに色がつき始めるというか。日常的に見ていた景色が「思っていたよりいいじゃん」と思えるようになるんです。
──なんだか性格も変わりそうですね。
それと似たようなことなんですが、今回のヴェネツィア・ロケで出会った日本語が話せるイタリア人スタッフの女性のかたがいて、イタリア人同士で話しているときはとても仕事ができるかっこいい感じなのに、日本語を話すときには途端に大阪弁のおばちゃんみたいに気さくな雰囲気になるんです(笑)。
その人は多分、大阪のかたから日本語を習ったのだと思うのですが、言語が性格に影響を及ぼしている可能性はある。
ブラッド・ピットに憧れて英語を勉強していた友人も、普段はすごくおちゃらけているのに、英語をしゃべるとブラッド・ピットみたいなすごくいい男になるんですよ。
つまり性格づけとは心の中にある問題だけではなく、ポーズから何かを抽出して感情めいたものにすることもできるんじゃないかと思ったんです。
そう考えると、人間の感情ってとても曖昧で適当だなと。物理的に脳をだましていくことによって、健全なメンタルにつなげていくこともできる。
自分の性格なんて意外と簡単なことで払拭されちゃうかもしれないと思うと、とても気が楽になるし、おもしろいなと思います。
取材・文/松山梢 撮影/石田壮一
ヘアメイク/田中真維(MARVEE) スタイリスト/秋山貴紀〔A Inc.〕