
「7浪1留4退」――学歴にフォーカスしただけでも波瀾万丈な人生が垣間見える女性がいる。みぞのりほさん(36)だ。
中学までは順調にエリートコース
取材当日、みぞのりほさん(本名:吉松希美)は「ええと、どこから話せばいいですかね」と唸った。
7回の浪人と1回の留年と4回の退学……学歴は本人すらさかのぼるのに苦労するほど紆余曲折があるが、中学生までは図抜けた学力の持ち主だったという。
「中学時代に知能指数(IQ)を測ると、各検査項目が満点で、IQ180という数値が出たのを記憶しています。確かに、勉強はよくできました。小学校受験をして鹿児島県内トップの小学校へ進学して、内部進学がなかった附属の中学校へは中学受験して合格しました。
勉強以外でも幼い頃からやっていた音楽にものめり込んで、小学校のときには吹奏楽の全国大会に出場しました」
県内トップの小学校から、附属の中学校に進学するところまでは何の変哲もないエリートコース。学力に加えて、音楽の才能にも恵まれた。
その後、高校受験では音楽科のある高校へ進学したが、「不良が多かったから」とわずか3か月であっさり中退。17歳で鹿児島県の名門・鶴丸高校に入学した。
県内有数の名門校においても、相変わらずペーパーテストの点数は全教科でハイスコアを叩き出していたみぞのさん。しかし、この頃から徐々に雲行きが怪しくなる。
「昔から勉強や音楽以外にも、さまざまなことが器用にこなせるタイプでした。たとえば中学時代には足が早くて、駅伝部に助っ人として駆り出されて陸上部の顧問からスカウトされたこともあります。でも、その分、大人から期待されるのが怖くなったんですよね。
だんだん学校を休みがちになり、あるとき、出席日数を計算すると鶴丸高校を卒業できないことがわかりました。それで思い切って高校を辞めました。
高校在学中に高卒認定試験はパスしていたのですが、留年して高2だった18歳から23歳までの5年近くずっと家に引きこもっていました。大学受験をしようと願書を出しても、試験を受けないといったこともありました」
大学受験を経てようやく明治大学に入学できたのは、24歳のときのこと。しかし再び履歴書の学歴欄が忙しくなる。
「入学した学部は自分が学びたかった学問と違ったので、すぐに明治大学を辞めました。そして音楽科があるという理由で東京学芸大学へ入り直しました。でも周囲が教員志望の学生ばかりで音楽に傾ける情熱に温度差があったので再び辞めて、明治大学に入学し直したんです。
大学を卒業するときには、29歳になっていました」
あふれる才能がありながら、どこか不器用で不安定。もしかすると、その生育歴も無関係ではないかもしれない。
「高卒の父とは折り合いが悪いのですが、父もまたIQがとてつもなく高かったそうです。
他方で父の兄は大学教授として勤めた秀才で、父はそのコンプレックスからいつも私に『名門校へ行け』と言っていました。
当時、私が音楽科のある高校へ進学したときも、父はことあるごとに『(進学校の)鶴丸高校へ行けばよかったんだ』と口にしていました」
30歳をすぎて父親を殴る
父親がみぞのさんの気性や精神に与えた影響は大きい。
「父は自身の学歴コンプレックスから、その代理戦争を私にやらせようとした人で、子どもの気持ちを推しはかることはしません。粗暴な側面があり、私は母や祖母が父に殴られるのを見て育ってきました。
唯一、母が味方でいてくれたことが救いでした。私のために父という暴君に抵抗してくれたのを今でも覚えています。
高校時代に父から殴られた私は、『もう1回手を上げられたら、家を出たい』と母に伝えました。そしてその約束通り、『もう1回』のタイミングで高校近くに家を借りて、父とは別居して一緒に住んでくれたんです。そして、そのまま両親は離婚に至っています」
横暴な父に対するみぞのさんの感情とその結末を、彼女はあまりに晴れやかに語る。
「家庭内で暴れる父親をみて、昔から私は父を『一度でいいからぶん殴ってやろう』と思っていました。
婚活して妊娠、しかし夫はW不倫
現在、みぞのさんはシングルマザー。学歴や生育環境だけでなく結婚生活においても一波乱を経験している。
「29歳にして新卒の私は就職活動がうまくいかないことはわかっていたので、婚活のほうへ舵を切りました。
所属していたオーケストラサークルの先輩と結婚することができたのですが、私の出産時期に彼が同じサークルの私の同期とW不倫をしていたことがわかりました。
別居後に裁判所から分厚い書類が送られてきて、夫側が子どもの監護権を主張して闘う姿勢を見せるなど、結構な泥沼に。もっとも、その後、裁判所が夫に対して不倫をしていた事実を確認すると、申し立ては取り下げられたのですが」
しかし、意外にもみぞのさんは夫と関係性の再構築を試みたのだという。
「子どもにとっての父親でもあるので、また一緒に暮らすことにしました。しかし子どものことはかわいがるけれども、『りほに対しては気持ちがない。今後も好きにならない』などときっぱり言うので、もうやっていけないと判断して、離婚をすることにしました」
母への感謝と子どもの今後
高IQをいかんなく発揮して名門校に入り、音楽においては小学校高学年で吹奏楽の全国大会に出場するなど、多岐にわたる才能を感じさせるみぞのさん。一方で、不登校や引きこもりや家庭内暴力など苦境にあえぐ時間も長かった半生を振り返る。
「学生時代、いろんなことを人よりも高いレベルでこなせていた自覚はあります。
……でも、疲れちゃったんです。あるとき、心がぽっきりと折れてしまって。人に期待されることから逃げたくなってしまったんですよね」
いいときも悪いときも傍で見守ってくれた母親には、こんな感情があるという。
「母は私が引きこもったときも、住む家を用意してくれて、一生働かなくても大丈夫なくらいの蓄えを築いてくれたようです。もちろん、私はいずれは大学で学んで社会に出て、働ければとは思っていましたが、その気持ちがうれしいですよね。
母が私のために、あの父に抗って離婚という選択をしてくれたことも愛情を感じます。今は私も一児の母なので、そんなふうに子どもを守れるようになりたいですね」
人は器用貧乏、宝の持ち腐れと笑うかもしれない。けれども回り道の末にたどり着いた場所で、みぞのさんは人生に欠かせない愛情の手触りを感じ始めている。
取材・文/黒島暁生 写真/本人提供