
2008年にアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻したことをきっかけに、世界を襲ったグローバル金融危機。実はその伏線は、はるか以前から張り巡らされていた――。
このように主張するのはギリシャの元財務大臣で経済学者のヤニス・バルファキス氏だ。一体どういうことなのだろうか。いま話題の書籍『テクノ封建制』より一部を抜粋、再編集して紹介する。
世界金融危機を招いた「悪魔的な思いつき」
それはいにしえの無害なアイデアからはじまった。何十年にもわたって、農家の人々は作物の価格低下に備えるため、事前に合意した価格で翌年の収穫を売る権利(オプション)を買っていた。
これは保険契約以外のなにものでもなかった。小麦農家は保険料を支払って小麦価格の暴落に備えていたのである。
このアイデアが最初に有害な何かに姿を変えたのは、保険の対象となる「モノ」がたとえば小麦のような実体のあるものでなく、賭けやギャンブルになった時だった。
ジャックが100万ドル分の株式を買おうとしていると考えてみよう。小麦価格の暴落から身を守るために保険をかける農民と同じように、ジャックはジルから「逃げ道オプション」、つまりジルに自分の株式を、たとえば80万ドルで売る権利を買うことができる(するとジャックの損失は最悪でも20万ドルにとどまる)。
ほかのどんな保険でも同じだが、災厄に見舞われなければ(つまり株価が2割減の80万ドルを下回らなければ)、ジャックの保険(またはオプション)は何の得にもならない。だが、もしジャックの株価が4割下がれば、ジャックは損失の半分を取り戻せる。これなら最悪ってわけでもない。
このようなオプション(またはデリバティブ)は、ブレトンウッズ体制(注:1944年に提唱された、米ドルを基軸通貨とする大胆なグローバル金融システム)のもとでも存在した。これが本当に危険な何かに姿を変えるには、ブレトンウッズ体制がまず崩壊しなければならなかった。
ブレトンウッズ体制の崩壊によって、銀行はニューディールの鎖から解き放たれ、まずは他人のカネで、その後は自分たちが無から生み出したカネで、株式市場で賭けを行うことが許されるようになった。
まもなくウォール街は活況になり、1982年以降は特に勢いを増した。金融業界の成功者たちは何の理由もなく、みずからを宇宙の無敵の支配者だと思い込むようになった。
その思い込みに影響されて、彼らはあることを思いついた。(価格下落に備えるための保険として)株式を売るオプションを買う代わりに、さらに多くの株式を買うオプションを買えばいいのでは?
おそらく、皆さんはクレイジーだと思うに違いない。だが、その狂気が莫大な金儲けの不協和音の中で気づかれることはなかった。
「株を買う」よりもさらに儲かるインチキな方法
ジャックの例だとこうなる。マイクロソフトの株式を100万ドル分買ったうえで、さらにジルに10万ドルを支払って、1年以内に今日と同じ金額(100万ドル)で同じだけのマイクロソフトの株式をジルがジャックに売ることを保証する。
彼らの用語にすると、ジャックはジルから「1年以内に今日と同じ株価でマイクロソフトの株式を買うオプション」を買ったのである。
なぜそんなことをするのか? もし、この先の12カ月のあいだにマイクロソフトの株価がたとえば4割上がったら、ジャックはふたつ得をする。まず、すでに買っていたマイクロソフト株で40万ドルの利益が発生する。
ジャックはマイクロソフト株を実際に買う必要はなく、そのオプションをだれかに40万ドルで売却できる。ジルにオプション代として支払った10万ドルを差し引くと、ジャックの利益は70万ドルになる。100万ドルでマイクロソフト株を買うだけのリターン(40パーセント)と比べて、110万ドルを使った投資のリターンははるかに高くなる(約64パーセント)。
何年間も継続して強気相場が続き、なにもかも値上がりしていたウォール街で、とめどない欲望の連鎖(オリバー・ストーン監督の映画『ウォール街』にその様子が再現されている)がジルやジャックをさらに過激なアイデアへと導いた。
そもそも株を買わなくてもいいのでは? オプションだけ買っていればいいのでは?
彼らはこう考えた。もしジャックが110万ドルをすべて、「マイクロソフト株を今日の株価で来年買えるオプション」だけに使ったらどうなる?
株価が4割上がれば、純利潤はなんと330万ドルになる。投資リターンは驚きの300パーセント!
これを見たジャックは全振りすることに決めた。カネを借りられるだけ借りて、ジルからこのオプションを買おう!
ジルは、自分が売ったオプションでジャックが儲けているのを見て、彼の真似をすることに決めた。ジャックから受け取ったカネを使い、さらにカネを借り入れて、ほかのトレーダーから同じようなオプションを買い入れたのだ。
なぜ誰も狂騒を止められなかったのか?
ここで疑問に思う人がいるかもしれない。ウォール街で警鐘を鳴らす賢い人間は、ひとりもいなかったのかってね。もちろんそういう人はいた。
毎月毎月、ジルやジャックたちは莫大な利益を手に入れた。彼らに異を唱えたトレーダーは、愚痴っぽい負け犬として敬遠された。デリバティブの複雑さを理解していない経営者は、自分たちの金庫をカネであふれさせてくれるデリバティブに気をよくして、反対意見を封じた。
反対者は選択を迫られた。やめるか(実際にやめた人もいた)、それともこうしたレバレッジ稼業の仲間に入るか。レバレッジというのは、莫大な負債を元手にとんでもない賭けに出ることをオブラートでくるんだテクニカル・タームだ。
彼らはまるで自宅の居間にATMがあるのを見つけたようなものだった。市場が好調な限り、銀行口座に預金がなくてもATMから無限の現金を引き出せる。先のことなど気にせず、カネを借りるだけでいい。
そんなわけで、2007年までには人類の総収入のおよそ10倍にものぼる資金が、ウォール街やロンドンのシティのルーレットに賭けられていた。
この新たな金ピカ時代において、テクノストラクチャーは最も優秀な人材を惹きつけることができなくなった。
フォードやヒルトンから、ゴールドマン・サックスやベア・スターンズやリーマンへと力は移行した。テクノストラクチャーの大部分はウォール街の仲間入りをすることで、その推移に順応した。
この金融化バブルが崩壊したあとの2009年、倒産したゼネラルモーターズの監査に入った監査人は、自動車やトラックの製造で名をなした有名企業が、オプション売買を行うヘッジファンドと化していることを発見した。自動車製造は名目を取りつくろうためのお飾りになっていたのだった。
文/ヤニス・バルファキス 写真/shutterstock
テクノ封建制 デジタル空間の領主たちが私たち農奴を支配する とんでもなく醜くて、不公平な経済の話。
ヤニス・バルファキス、斎藤幸平、関 美和
《各界から絶賛の声、続々!》
世界はGAFAMの食い物にされる。
これは21世紀の『資本論』だ。
――斎藤幸平氏(経済思想家・東京大学准教授)
テクノロジーの発展がもたらす身分制社会。
その恐ろしさを教えてくれる名著。
――佐藤優氏(作家・元外務省主任分析官)
これは冗談でも比喩でもない!
資本主義はすでに死に、私たちは皆、農奴になっていた!
――大澤真幸氏(社会学者)
私たちがプレイしている「世界ゲーム」の仕組みを、
これほど明快に説明している本はない。
――山口周氏(独立研究者・著作家)
資本主義はすでに終焉を迎え、グーグルやアップルなどの巨大テック企業が人々を支配する「テクノ封建制」が始まっている!テック企業はデジタル空間の「領主」となり、「農奴」と化した私たちユーザーから「レント(地代・使用料)」を搾り取っているのだ。
異端の経済学者が社会の変質を看破した、世界的大ベストセラー。
目次
第一章 ヘシオドスのぼやき
第二章 資本主義のメタモルフォーゼ
第三章 クラウド資本
第四章 クラウド領主の登場と利潤の終焉
第五章 ひとことで言い表すと?
第六章 新たな冷戦――テクノ封建制のグローバルなインパクト
第七章 テクノ封建制からの脱却
解説 日本はデジタル植民地になる(斎藤幸平)