素人俳優が映った映像のCMソングに美空ひばりが放った衝撃の一言「シングルにしたほうがいいと思うんだけど」…『愛燦燦』誕生の舞台裏
素人俳優が映った映像のCMソングに美空ひばりが放った衝撃の一言「シングルにしたほうがいいと思うんだけど」…『愛燦燦』誕生の舞台裏

39年前の1986年5月29日に発売された美空ひばりの『愛燦燦』。彼女の死後も数々の有名アーティストがカバーするこの曲は、もともとCMソングとして作られていたという。

その知られざる誕生秘話をお届けする。

映像の仕上がりが良かったので、それにふさわしい歌が欲しいと思った

ハワイのサトウキビ畑で働く農夫とその家族。夕方、収穫を終えた一家が馬車で家路をたどる。母に抱かれて眠る少女。突然の激しい夕立に、小屋の軒先で雨を避ける一家が、やがて真っ赤な夕日に染まる。

美空ひばりの『愛燦燦』は、企業CM(味の素)のためにつくられた作品で、素人俳優たちによる「家族愛」をテーマにした映像が先に完成していた。

この曲がCMソングとして生まれたきっかけは、映像担当プロデューサーだったホリプロダクションの岩上昭彦が、映像の仕上がりが良かったので、それにふさわしい歌が欲しいと思ったことに始まる。

いい音楽がつけば、さらに「家族愛」のメッセージが際立つだろうと思ったときに浮かんだのは、1978年にスタッフとして関わった山口百恵・三浦友和主演の映画『ふりむけば愛』で、主人公の心情を的確な歌詞で表現した小椋佳だった。

では小椋佳が曲を書いたとして、歌うのは誰がふさわしいのか? 岩上はホリプロの所属歌手を思い浮かべたが、イメージが結びつかなかった。

だが、映像の中の大家族を支える気丈な母親から、急に「美空ひばり」が思いついた。

突拍子もないアイデアだとは承知の上で、ホリプロの原盤制作部門だった東京音楽出版のプロデューサーで、小椋佳とも親交のある鈴木正勝に相談した。

鈴木がそのアイデアに頷いたことによって、大胆な企画が美空ひばりの担当プロデューサーで、日本コロムビアの境弘邦のところに持ち込まれた。

幸運だったのはその時、美空ひばりがデビュー40周年にあたる1986年に向けて、全曲を小椋桂が作詞・作曲するアルバム『旅ひととせ』を準備中だったことだ。

境は、コロムビアに所属する石川さゆりや榊原郁恵などを通じて、鈴木とは旧知の間柄だったので、まず出来上がっていた映像を見せてもらった。

「協力していただけませんか」と鈴木に切り出されたとき、「話に乗ってみよう」と思った。

「これってアルバムに入れるよりシングルにしたほうがいいと思うんだけど」

美空ひばりを担当して以来、CMの仕事は一度もない。

しかし時代は変わり、ヒット曲作りのプロモーション媒体としてCMの影響力は無視できなかった。制作中のアルバムの中からどれか1曲使ったら、最高のプロモーションになることは必至だ。

デビュー40周年がより華やかになるかもしれない、境はそう思った。だが、新曲にトライしてほしいと頼みに来た鈴木と岩上は、映像のイメージを尊重することにこだわって、その話はいったん物別れに終わる。

しかし、業界一の大物歌手にCMを歌ってもらうこと自体が、極めて高いハードルであることを考慮した鈴木は、その後も何度か交渉していく中で境の提案を受け入れて、クライアントにプレゼンをすることにした。

美空ひばり本人にはアルバムの中の1曲をCMに使いたいという話があるとだけ報告しておいた。

ところが数日後、プレゼンした曲が企業イメージに添わないという理由で全て却下されて、境は窮地に立たされた。下心が見抜かれて失敗に終わったのだ。

鈴木からは悲壮な顔で、「あの映像に合ったオリジナル曲を作ってください」と依頼された。

境も天下の美空ひばりに対して、「クライアントに断られました」などと言えない。決断の時が来た。美空ひばりに内緒で、イメージに合った作品を作るしかない。

映像を見た小椋佳からは、数日後にデモテープが届いた。それを聴いて境は鳥肌が立つほどの興奮を覚えた。さっそくデモテープを持って、美空ひばりの自宅を訪れた。

当然、アルバムの中の一曲をCMで使う話では?という反応が返ってきたが、「まずは聴いてください!」と、質問に答えずにテープを流した。

応接間。歌い手は黙って最後まで耳を傾けた。そして微笑みながらこう言ったという。

「これってアルバムに入れるよりシングルにしたほうがいいと思うんだけど」

こうして生まれた『愛燦燦』は、1986年になってCM放映が開始された。クレジットはされなかったので、多くの人は歌っているのがまさか美空ひばりだとは気がつかなかった。

ヒットチャートも69位という結果に終わるが、境には確かな手応えがあった。

『愛燦燦』が21世紀にまで歌い継がれる名曲となったのは、心からこの歌を気に入った美空ひばりが、ステージで歌って、自らの表現力で命を注ぎ込むことによって、普遍的な人生賛歌へと成長させていったからだ。

奇跡的な名曲が誕生してくる背景には、歌手の力、ソングタイターの力、さらに裏方たちの力、それら表現者たちのドラマが潜んでいる。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP 

参考引用文献
「歌こそわが命 美空ひばり思い出のエピソード」(境弘邦 著/産経新聞ニュースサービス)

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