「センター英語で180点以下を取る奴はゲジゲジや!」京大・東大合格が当たり前の進学校に実在した英語教師を“学歴狂”たちが信仰したワケ
「センター英語で180点以下を取る奴はゲジゲジや!」京大・東大合格が当たり前の進学校に実在した英語教師を“学歴狂”たちが信仰したワケ

子どもの頃から神童と呼ばれ、自身のことを「天才」と思い込んでいた小説家・佐川恭一氏。高校受験では東大寺学園とラ・サールに合格し、地元の超進学校に進んだ。

その入学した進学校には彼同様に「学歴」への異様なこだわりを見せる “学歴狂”たちがいたが、それにも勝る“怪物が”いた……。

『学歴狂の詩』より、一部を抜粋・再構成してお届けする。

〈伝説の英語教師〉宮坂の恐怖政治

私たちが高校三年生になると、伝説の英語教師と呼ばれる男、そして今も伝説を作り続けている男の授業がカリキュラムに組み込まれるようになった。名は仮に宮坂とさせてもらう。

一発目の授業の時、私たちは「なんかまあ有名な奴らしい」程度の認識で、特に何も考えていなかったのだが、宮坂はものすごい勢いでバキーン、バキーン!と教室のドアを開けて閉め、一番前の席に座っていた生徒の机の上にあった英和辞典「ジーニアス」をいきなり引っつかみ、教室の端のゴミ箱にブン投げたのである。

「お前らァ!!」と宮坂は言った。

「日本の英語力はな、アジアでべべから二番なんや! べべがモンゴル! その次が日本や!! こんなもん使っとったら英語はいつまでたってもできるようにならん! 辞書は英英辞典のロングマンを使え!! 単語の語源をつねに意識しろ!!」

私たちはそれで度肝を抜かれ、みんな英和辞典をスッと机の中に隠した。

そもそも学校が推奨している英和辞典が「ジーニアス」と「ライトハウス」だったのだから、私たちは何も悪くないのだが、「いや、学校がジーニアスかライトハウスって言ったんですよ!」と反論でもしようものなら龍虎乱舞を食らうことは間違いなかった。

彼は毎回自作の英作文のプリントを用意し、生徒を指名して黒板に答えを書かせた。私たちはその番に当たった時にはビビり散らかしていた。

書いた答えは大抵の場合ケチョンケチョンに貶され、吊し上げられてしまうからだ。

書かれた英文に鼻を近づけてクンクンと臭いを嗅いで、「神戸大学の臭いがする!」「というか教室全体が神戸大学臭い!!」と叫んで東大・京大・国公立医学部志望の私たちを辱めたり、英文を見た瞬間に「蛍の光」を歌い出して「駿台入学おめでとう!」とものすごい鬼畜スマイルを見せたり、本当に話にならない時は英文の上に高校の校章を書きながら「パンパパーン、パンパパーン♪」と校歌を前奏から歌い出すのだった。

こう書いてきて、みなさんはなんとひどい教師なのかという印象をお持ちだと思うが、彼の授業はすばらしかった。

恐怖を感じながらではあったが、「こいつの言う通りにしてさえいれば東大・京大の英作文はクリアできる」という信仰を私たちは抱いていた。

濱慎平のような天才ならいざ知らず、私やその他大勢の凡人が難関大に挑むという時、この手の信仰はかなり有用である。スポーツ選手などが「ゾーンに入る」という言い方をすることがあるが、当然ながら受験勉強にもその状態はある。

だが、そのためには目の前の問題や自分の勉強法に価値があるという前提を相当程度信じていなければならない。「カリスマ教師」と呼ばれる教師の真の価値は、その授業内容や表現力そのものよりも、強烈な信仰をもたらしてくれるという点にあるとすら言える。

私が直接授業を受けた経験のある中では、この宮坂と、駿台の生物を担当する大森徹先生(実名)が「カリスマ教師」のツートップだった。

私は文系なので生物はセンター試験にしか使わず、普通にいけば9割は切らないという感じだったのだが、「遺伝」の問題だけはややこしいものが来ると微妙だなと思っていた。

だが、夏期講習で大森徹先生の講義を受けるやいなや、「あ、遺伝いけるわ」となったのである。おそらく教室の空気感からして、一緒に受講していた多くの生徒が「遺伝いけるわ」となっていたと思う。

短期間しか受けていないので何がそんなにすごかったのかは忘れてしまったのだが、この「いけるわ」感を生徒に残すことが教師の大きな仕事であることは間違いない。

極言すれば広義のすべてのゲームは「受験」の亜種

「ゾーン」の話に戻ると、フィギュアスケートの羽生結弦選手がどこかのインタビューで、「ゾーンというのは意識でコントロールできるわけではないが、『擬似ゾーン』ならばいつでも意識的に作り出すことができる」と言っていた。

これも受験と同じである。自分の勉強法や目の前の問題の価値を信じていることは大前提として、受験勉強にも気分が乗る日と乗らない日、調子の良い日と悪い日がある。

そういう時、「擬似ゾーン」に入るための儀式を確立しておくと、悪い日にも悪い日なりの勉強ができるようになる。

この方法は何でもいいと思うが、私の場合は小学校時代にそろばんを習っていたこともあり、勉強前に頭の中でゆっくりと「65」を足し続けるというルーティンをやっていた。65、130、195、と足していき、1300もしくは1950あたりになるまで続ける。

すると頭の雑念がある程度取れ、すっきりした状態で勉強に入れる。この方法は本当に人それぞれだと思うので、ぜひ自分に合ったルーティンを見つけてみてほしい。

私の考えでは受験とスポーツは似ており、執筆とスポーツも似ている。したがって受験と執筆も似ている。極言すれば広義のすべてのゲームは「受験」の亜種であり、受験に使えた方法は他のすべてのゲームで応用可能である。

村上春樹『ノルウェイの森』の主人公ワタナベは、同じ大学に通う女性に「仮定法過去と仮定法現在の違いを説明できるか、それができることが何の役に立つか」と聞かれた時、「何かの役に立つというよりは、物事を系統的に考える訓練になる」と答えている。

私なりに言い換えると、これは思考のフォームを作るということであり、またその前段階である努力のフォームを作ることである。

もちろん村上春樹はその作風からして受験勉強がどうのこうのという話はほとんどしないが、この訓練を受験勉強の土俵で行い、そして一定以上の学歴を手に入れることは、現実的に「役に立つ」と言い切って構わないだろう。

語学など受験で得た知識がそのまま役立つ場合も多々あるし、学歴がその後の就職等に及ぼす影響力には信じがたいほど甚大なものがある。

私は客観的には学歴を活かすことに失敗している人間だが、それでもなお、受験ほど確実で大きなリターンのある競技は他にほとんどないと思っている。

さて、宮坂の英作文の話に戻ろう。私は京大英作文の対策はかなり難しいと思っていて、どのテキストをやっても心細かったのだが、宮坂のプリントをもらってからは、そこにある表現を繰り返し頭に叩き込めばそれで大丈夫だ、という安心感に包まれながら勉強できるようになった。

おそらくこのプリントを土台にした本は現在書店でも売られている。いい時代になったものである。

また当時、彼は「センター英語で180点以下を取る奴は人間でなくゲジゲジである」という凶悪な思想を持ちながらセンター英語の参考書を執筆しており、各所に過激なコメントを書き込んでいったら編集者に全部直されたと言っていた(「180点以下は○ね!」と書いたら「180点以下は取るなよ!」に変えられたらしい)。

彼の授業があまりにもわかりやすいので、生徒の中にはそれを毎回録音している者もいた。

実は上位進学校もある意味「荒れている」

ある日、私たちでも「これはヤバイ……」と感じるレベルの英作文を書いてしまった者がおり、宮坂が蛍の光や校歌を通り越して本気でブチギレたことがあった。

そして教壇を降りてそいつのところへ行き、胸ぐらを掴んで「あqwせdrftgyふじこlpmzcv!!!」と叫んだ。何と言ったかはわからなかったが、その時掴まれた生徒の学ランのボタンがプチン!プチン!と二つ弾け飛んだ。

私は思わず吹き出しそうだったが、絶対に笑ってはいけない空気だったので我慢していた。宮坂もボタンが取れた音で我に返り、そのボタン二つを拾って返し「スマン」と小声でつぶやき、教壇に戻って授業を続けた。

その後、授業を録音していた生徒のところにみんなで集まり、ボタンが「プチン!プチン!」と弾ける音を聞いて腹を抱えて笑った。

彼の私塾ではそれどころではないほど過激な指導を行っているという噂もたくさん聞いたが(注・あくまでも噂です)、さすがに今は時代の流れに合わせてやり方も変えているだろう。

そもそも、宮坂は私が浪人した時に通っていた予備校でも授業を持っていたが、高校での姿と予備校での姿はほぼ別人と呼べるほど違うものだった。彼が型破りな人間であることは間違いないが、当時から暴れ度合いをTPOに合わせて調節していたのだ。

おそらくほとんどの受験生は予備校での宮坂や彼の書いた参考書しか知らず、それで宮坂のイメージを形づくっているものと思われるが、私が二十数年前に高校で見た宮坂は(言えないこともあるものの)それらのイメージをはるかに凌駕するものだった、ということは伝えておきたい。

それだけ大暴れして恐怖政治を敷いていた宮坂だったが、私たちの中で彼のことを嫌っている人間は――少なくとも私の知る限りでは――一人もいなかった。

彼が日本の英語教育を何とかしたいと本気で思っていることは間違いなかったし、私たちの学力を真剣に引き上げたいと思っていることも痛いほど伝わってきた。

その指導方法に問題がなかったかと聞かれれば、たぶんあったのだが、彼は私たちに信じるに足る姿を見せ、私たちにがむしゃらに頑張る気持ちを持たせることに成功していたのである。

上位進学校の生徒というのは、はっきり言って教師をすぐにナメてしまう傾向がある。東大・京大・国公立医学部を目指しているのだから、教師がそれ以下の大学だと微妙な感じになるし、さらに教え方まで微妙だと「もうええってお前……」みたいな感じが教室中に充満する。

私は中学時代とは違い高校ではわりと模範的な態度で授業を受けるタイプの生徒になっており、それほど「もうええって」感は出さなかったつもりだし、大体の先生のことは優秀だと思っていた。

しかし、やはりそうではない生徒もそこそこいて、先生のことをイマイチだと判断すると授業中に勉強の内容でケンカを売る生徒もいたし、完全に捨てて寝る生徒もいたし、別の教科の内職をする生徒もいた。

低偏差値のヤンキー校も当然荒れているのだが、実は上位進学校も別の意味で「荒れている」と言えるのだ。

この事実は教師を志す方にも知っておいてもらいたい。

受験に関係のない科目の先生はかなりかわいそうで、家庭科の先生などはあまりにもみんなが話を聞かないので、「お料理のこともわかったほうがモテますよぉ」とか「お裁縫ができる男性、素敵だと思いませんか?」とか、一生懸命興味を持たせようとしていたのだが、どうがんばっても全員青チャートをやってしまうのでしまいにはブチギレて、「これが本当に日本を背負って立つ人たちの姿なのでしょうか!? 先生は、あなたたちのような人間に国を任せたくはありません!!」と叫んでいたし、

体育の水泳の時間、多くの生徒がズル休みで見学して英単語クイズに興じていたので、体育教師が「お前らみたいなもんはほんまもんのクソじゃ! クソみたいな人間はどんなええ大学行ってもクソのままじゃ!!」とキレ散らかしたこともあったし、

音楽の時間には居眠りしている生徒が多すぎて廊下に立たされまくっていたし、居眠りや内職が度を越したために「お前、もうここで宇多田ヒカルのファーストラブ歌え! ファーストラブ!」と言われてマジで歌わされた奴もいた。

そう、進学校の生徒というのはケンカが強い代わりに筆記試験が強い、精神的ヤンキーなのである。そうした荒くれ者どもをまとめるには、それなりの剛腕が必要になってくる。その点、宮坂はヤンキーをまとめるための抜群の腕とカリスマ性を兼ね備えていたのだ。

センター試験に惨敗した私たちに宮坂は…

しかし残念なことに、私たちのクラス52名は全体的に出来が悪かった。

センター試験後、英語180点以下を人間でなくゲジゲジと呼んでいた宮坂は、教室のお通夜のような空気を察してか「180……いや、160点なかった奴は立て!!」とハードルを下げて言った。

それでもかなりの生徒が立ち上がり、宮坂は「何しとんジャーッ!!」と言いながら順に生徒の頭を両手でひっつかみ、激しくシェイクしていった。しかし宮坂は途中で「もうええ、座れ」と言ってシェイク攻撃をやめ、教壇に戻って語り出した。

「お前ら、センターで完全に終わったと思ってるかもわからん。確かにセンターは大事や、でもたかがセンターや。二次までまだ時間もある。そもそも、俺はお前らが二次で点取れるように本物の英語を教えてきたつもりや。

センター失敗から逆転した先輩も山ほど見てきた。ええか、今から死ぬ気でやれ。絶対にあきらめんな。試験前も試験中も、最後まで1分1秒たりとも妥協すんな。こんな受験なんか軽くクリアして、アジアの上に立つ人間になれ!! わかったな!!」

そして宮坂はチョークで黒板に、いつも私たちに口酸っぱくして言っていた言葉を書きつけて教室を出て行った。

「まあええか その一言で あと一年」

しかし宮坂の激励もむなしく、私たちのクラスは最終的に現役東大一名(濱慎平)、現役京大二名、現役国公立医学部ゼロ、浪人四十余名という史上最悪の結果を叩き出すことになる。

そして浪人したクラスメイトたちは駿台や河合塾、代ゼミや関西文理学院(2010年閉校)へと飛び散り、互いの無事を模試の成績優秀者欄で確認し合いながら延長戦に挑むことになった。

結果から言えば一浪でかなりの割合の人間が第一志望に合格したのだが、少なくとも私にとって、合格するかどうかわからない不安とともに過ごした一年はつらいものだった。

だが、あの高校の小さな教室で受けた宮坂の授業を超える負荷が自分にかかったことは、浪人中にはなかったかもしれない。現在、宮坂は私の出身高校で授業を持っていないらしいが、ぜひまたあの強烈な授業を、予備校より羽目が外せる高校の教室でも展開してもらいたいところである。

(注:この章での神戸大学を否定するような記述について、編集部から疑義を呈された。念のために書いておくと、宮坂が東大・京大・国公立大学医学部しか認めないというニュアンスの発言を繰り返していたのは、まさにそこを目指す生徒が集まっている環境の中で全体を鼓舞するためのレトリックに過ぎず、彼自身が本当に差別意識を持っていたわけではないということは強調しておきたい。事実、センター試験が終わってからの宮坂はその手の話はしなかった。

別の話に置き換えさせてもらうと、甲子園の優勝を目指す名門野球部の監督が練習中に「まあ準優勝でもいいぞ、ベスト8でもいいよな、いや、出場できてもできなくても頑張っているお前らはすばらしい!」などと言うだろうか? 

言う人もいるかもしれないが、「優勝以外価値なし!」と言って追い込むタイプの鬼監督もいるだろう。そういう監督も、大会が終われば結果にかかわらず「よくやった」と優しさを見せるに違いない。これは賛否あるだろうが、いわば「勝負」が終わるまでのマインドをどう持っていくかという教育の流派の話なのである。

私含め、当時宮坂の言うことを真に受けた生徒はたくさんいたかもしれないが、今現在もそんな差別意識を持ち続けている友人は私の知る限りいない。当時の友人の多くは現在パパになっているが、子供が神戸大学に合格したとなれば全員泣いて喜ぶだろう。)

文/佐川恭一

『学歴狂の詩』 (集英社ノンフィクション)

佐川恭一
「センター英語で180点以下を取る奴はゲジゲジや!」京大・東大合格が当たり前の進学校に実在した英語教師を“学歴狂”たちが信仰したワケ
『学歴狂の詩』 (集英社ノンフィクション)
2025年3月26日発売1,540円(税込)四六判/192ページISBN: 978-4-08-788112-7

あまりの面白さに一気読み!
受験生も、かつて受験生だった人も、
みんな読むべき異形の青春記。
――森見登美彦さん(京大卒小説家)

ものすごくキモくて、ありえないほど懐かしい。
――ベテランちさん(東大医学部YouTuber)

なぜ我々は〈学歴〉に囚われるのか?
京大卒エリートから転落した奇才が放つ、笑いと狂気の学歴ノンフィクション!

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がくれき-きょう【学歴狂】
〔名〕東大文一原理主義者、数学ブンブン丸、極限坊主、非リア王など、
偏差値や大学名に異様な執念を持つ人間たち。
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