
YouTubeで累計3000万回再生されている「元鑑識官の警察ウラ話ちゃんねる」。その投稿主である藍峯ジュン氏が、警察関係者から集めた戦慄の怪談実話集から、科学捜査では説明のつかない現象を紹介する。
『警察怪談 報告書に載らなかった怖い話』(KADOKAWA)より、一部抜粋・再構成してお届けする。
※紹介する全ての話は個人情報の特定ならびに捜査情報流失を防ぐため、事件事故および場所や人物の状況等を元の話から一部変更を加えている。また本書には、詐欺を目的に行われている悪質な霊感商法を肯定する意図は一切無い。
交通事故捜査係をしていた巡査部長のAさんが体験した恐怖の夜
夜間に自動車を運転している時、急に歩行者が視界に現れて驚いた経験はあるだろうか。屋外における夜間の視認性は歩行者が着用する服の色によって大きく変わる。
車のライトをハイビームにして走行していた場合、白い服を着ている歩行者は約154メートル手前から視認可能になるのだが、黒い服を着ている歩行者は視認距離が約85メートルになる。倍近い差が両者にはある。
これは夜間の視認性を確認するための実験によって算出された距離である。被験者は実験だと分かった上で集中して運転しているが、公道を運転している者が同じように前方に注意を払っているとは限らない。そのため実際に運転者が歩行者を認識する距離はもっと短くなることもあるだろう。
夜中に人身事故が起きた場合、警察は、後日に事故発生時と同じ条件下で被疑者立ち会いの下、再現を行い視認性を調べる実験を行っている。同じ場所、同じ時間帯、同じ車両を使って見分を行うのだが、この実験中に不可解な事が起きた。
これは某県警の交通事故捜査係をしていた巡査部長のAさんが体験した話である。
ある夜、自宅で就寝していたAさんは携帯電話の着信音で目を覚ました。
夜中に警察署から電話が掛かってくることは警察官にとっては日常茶飯事だが、問題は電話の内容である。重要事件であっても他部署管轄の事案ならば、現場応援だけで終わるため自分の業務に支障は出ない。Aさんは交通課勤務であるため、例えば刑事事件の現場応援に呼び出されたとしても、あまり気落ちはしないのだ。
(頼むから交通事故じゃありませんように……)
祈りながら電話に出たのだが、その思いとは裏腹に、当直員は少し慌てた様子で次のように伝えてきた。
「死亡事故が発生。歩行者が自動車に撥ねられて、救急搬送されたが亡くなった。交通課長から全員すぐに招集しろとの指示が出た」
Aさんはすぐさま飛び起き、警察署へと向かった。
死亡事故の状況は次の通り。
仕事を終えて帰宅中の男性が住宅地にある川沿いの細い道を運転していた。
変則的な勤務に加えて最近残業続きだったこともあり酷く眠かったのだという。うつらうつらとしながら車を走らせていると、道路上を女性が歩いていることに気付いた。
しかし、それを認識したのは自分が運転する車が女性を撥ねるまさに直前だった。
闇夜を照らすライトの灯りの中に急に女性の姿が浮かび上がり──反射的に急ブレーキを踏んだが間に合わず、鈍い音と衝撃が車内に伝わってきた。
男性は慌てて車から降り、道路に倒れている女性に声を掛けたが返事は無く、震える手でなんとか救急車を呼んだが、女性は搬送先の病院で死亡が確認された──という痛ましい事故であった。
交通課はこの男性の身柄は拘束せずに在宅捜査を行っていくことに決め、まずは現場と遺体の見分を行い、その他諸々の捜査は後日改めて行うことにした。
死亡事故を起こした運転者はその場で必ず逮捕される訳ではない。交通事故において身柄を拘束するか否かの判断基準は過失割合の高さや悪質性である。
飲酒運転・信号無視のような重過失事故や、責任逃れをしようと証言がコロコロと変わる、噓をついて逃走しようとする、警察官に反抗し捜査妨害をするなどの悪質性が明らかに認められる場合は、被害者の負傷の程度にかかわらず逮捕されるが、そうでない場合は死亡事故であっても逮捕せずに在宅捜査とするケースも多い。
読者の皆様が万が一事故を起こした場合はすぐに負傷者の救護と通報を行い、素直にありのままの証言を行うことを推奨する。変に誤魔化そうとすると軽微な事故でも逮捕される可能性はあるということを覚えておいてもらいたい。
被疑者立ち会いの下で実施した照射実験
Aさん達は女性が搬送された病院処置室の一画を借りて遺体見分を行いつつ、駆け付けた遺族から被害者の女性について聴取をした。
彼女は女手一つで幼い子供を育てているシングルマザーであり、いわゆる夜職に出勤するために家を出たあと、すぐ事故に遭ったことが分かったのだが、見分を行ったAさん達はある事に気付き、事故発生原因の一つを特定した。
全身黒系の服を着ていたこと──
彼女が身に着けていたこの服の色は、街灯の無い暗い道を歩くにはあまりにも危険だった。運転者の前方不注意と、この視認性の悪さが相まって事故が起きてしまったことが判明した。
待合所のソファには被害者の母親に連れられてきた幼い子供が横になってスヤスヤと眠っていた。母親が亡くなったことをまだ理解していない無垢な寝顔を見たAさん達は胸が締め付けられるような気持ちになった。
後日改めて被疑者の取り調べや車両破損状況の見分が行われ、そして「照射実験」と呼ばれる視認性確認の捜査が行われることになった。
この照射実験という捜査は被疑者立ち会いの下で実施される。
車両がどの位置に来た時に被害者はどの程度見えるのか、事故当時はどのタイミングで被害者が認識されたのか、といった状況が第三者にも理解できるように再現を行っていくのである。
照射実験において重要なのはあらゆる環境を事故当時と同じにすることだ。同じ時間帯で再現をしなければならないのはもちろんだが、車両や天候、月齢まで合わせて再現している。満月と新月では運転時の視界は違うし、晴れと雨でも大きく変わってくる。
大雨の日に死亡事故が起きたけれど、そこから暫く雨降りの日が無ければいつまで経っても照射実験が実施できないため、事故捜査の警察官はこの実験を適切なタイミングで行えるように細心の注意を払っているという。
また、事故を起こした車が大破して走行不能になっている場合は意地でも同型の車を見つけなければならない。時には同じ車に乗っている一般市民を街中から探し出し、頼み込んで実験に使用させてもらうこともあるそうだ。
そして後日、気象条件などが事故発生時と一致する日が来ることが分かり、被疑者立ち会いの下で照射実験が行われることになった。
事故当時と同じく曇天で月は出ておらず、深い闇夜だった。
被疑者の車は一部破損があるが自走可能な状態であったため、乗っていた車両をそのまま照射実験に使用することになり、被疑者とAさんを含めた二人の警察官が同乗することになった。
「私と目が合ったんです……」
事故現場から約100メートル離れた位置に車を停め、改めてAさんが被疑者に実験の説明を行う。
「さっきも言ったけど、実際どのように見えるのかが分かるように再現をしていきます。ゆっくりでいいから車を進めて下さい。この先に被害者と同じような格好をした警察官が事故が起きた地点で同じように歩いているから、見え始めたら教えてね。その都度、地点の計測をして状況を写真に撮って行くからね。大丈夫?」
被疑者に説明をしたところ、彼はブルブルと震え始め呼吸がだいぶ荒くなっていた。
「すみません……どうしてもあの事故の事を思い出してしまって……ここを通るのが怖いんです……女性を撥ねた瞬間の振動と、ガラスにぶつかる直前の顔が忘れられないんです……私と目が合ったんです……」
俯きながら震える体を両手で押さえ、絞り出すようにそう言った。
(大丈夫かな……)
場合によっては実験ができないかもしれない、そう心配したAさんであったが、被疑者は腹を決めたのか大きく深呼吸をすると
「すみませんでした……大丈夫です、車を進めます」
なんとか落ち着きを取り戻したようだったので、Aさんは無線で他の警察官に照射実験開始の通信を行い、闇夜の中、三人を乗せた車はゆっくりと進み始めた。
事故現場まで90メートル、80メートル、70メートル、じわじわと車は進んで行き、50メートル付近に差し掛かった時、被疑者は急にブレーキを踏んだのだが、まだその位置では被害者役の警察官の姿は全く見えていない。Aさんは彼に急停車の理由を尋ねた。
「どうしたの?」
「あ……見えました……見えました、今見えてます……」
震える手で道の奥を指差しているが、そこは衝突地点とは全く違う場所であり誰の姿も見えていない。
衝突地点については、事故当日に被疑者立ち会いで見分を行っているから、どのポイントで事故が起きたというのは彼も分かっているはずである。
「いやいや、前一緒に見分したでしょ?衝突地点はもう少し先だよ?あと……誰もいないよ?」
「え!?じゃああそこに立ってる女の人誰ですか?なんでこっち見てるんですか!?こっちに来てる!ああああ!!ごめんなさいごめんなさい‼」
完全に取り乱した様子になり、彼は泣き始めてしまった。
交通事故の加害者がPTSDを発症する事は珍しくない。交通事故というのは加害者の心にも大きな傷を作ってしまう。
実際に警察が加害者を立ち会わせて事故の現場見分を行う時に、フラッシュバックを起こし加害者自身が泣き始めてしまうケースというのはよくあるそうだ。(ここまでの状態になるのは初めて見たな……)加害者が多少泣いてしまったときは、いつも落ち着かせてから再開するのだが、さすがにこの精神状態で続けてしまうと、実験そのものの証拠能力が認められなくなる恐れもある。
Aさんは照射実験を一時中断する旨の無線連絡を行い、付近で待機していた他の警察官達に応援を求めることにした。
ベテラン警察官は「いや、見えてるんだろ」と…
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
応援が来るまでの間、なだめるAさん達の言葉には耳も貸さずに、手で顔を覆って下を向き許しを乞う被疑者。
Aさんは被疑者が指を差していたヘッドライトの先——女がいるという場所をちらりと見たが、彼の言う人影など何も無い。
(幻覚を見てしまうほど被疑者は精神的に疲れてしまったのだろうか……?)
面倒くさいことになってしまったなとため息を吐きつつ、ライトの向こうに広がる暗闇を見ていると──急激な寒気が襲ってきた。
被疑者の言葉に釣られてしまったのだろうか?
頭の中は一刻も早く実験をしなければ同条件下の実験ではなくなってしまうといった業務の心配でいっぱいで、お化けのことなんか考えてもいないはずなのに──なぜ急に冷蔵庫の中に入れられたかのような寒気が襲ってきたのだろう。
そう考えているうちに応援の警察官達が車の周りに集まり、Aさんは今起きた一部始終を説明した。
「実験が始まる前からちょっとナーバスになってたんで、思い込んでいるというか精神的にきてるのかもしれないですね。
「いや、見えてるんだろ」
さもありなんとばかりに返事をしたのは交通事故捜査係の中でも一番のベテラン警察官のN巡査部長。定年までいくらもないといった生き字引的な存在であり、制服警察官であるにもかかわらずなぜかチョビ髭を生やすことを署長から許されている変わった人だった。
「たまにあるぞ。昔似たようなこと言う被疑者がおったわ。おう、俺が話するからちょっと待っとけ!」
N部長はそう言って被疑者が乗っている車に近付き、遠慮する様子もなくガチャリと運転席のドアを開けて被疑者に語り掛けた。
「見えたんだな?そりゃあ当たり前だろう。お前はあの人の人生を奪ったんだぞ、それは事実だろう。もし自分が逆の立場だったらどう思うよ?この野郎って文句の一つも言いに行くだろう?お前はな、その思いに真正面から向き合わなきゃいかん。今のお前ができるのはこの捜査にしっかりと協力して、この事故がどういう事故だったのかをちゃんと解明することだ。そうやって反省している気持ちをしっかりとあの人に伝えろ。泣いてる場合か!顔を上げんか!」
予想外の一喝であった。
取り乱している被疑者に強い言葉をぶつけたら更に状況が悪化するのではないかと心配したが、それは杞憂に終わった。
「分かりました……すみません……ちゃんと最後までやります」
目を泣き腫らしながらも、部長の言葉を聞いてから急に我に返った被疑者の男。
他の交通課員達も彼に色々と話しかけ、どうやら落ち着きを取り戻したと判断されたことにより、実験は再開されることになった。
後日談「ライトの前を、ゆっくりと横切る人影が…」
「はいじゃあ後よろしく、ちょっとキツかったかもな、慰めといてくれ」
そう言うとN部長は待機用の車両に乗り込んだ。さすが百戦錬磨のベテラン警察官といったところだろうか、被疑者に合う上手い言葉をチョイスして落ち着かせるその技にAさんは感心してしまった。
そして無事に照射実験は終わり、その後も取り調べや補充捜査が行われ、最終的に男は過失運転致死の罪で送致された。
これまでも事故現場での見分や再現の際に気分が悪くなったり、泣き出したりした被疑者は何人かいたが、今回のようなケースは初めてだったのでAさんにとっても大変印象深い実験になった。
だが被疑者の言うことを信じた訳では無い。
精神的に落ち込んでいたところをN部長が彼に合うように上手いこと活を入れて励ましただけ──としか思っていなかったのだが、後日驚くような話が出て来たのである。
被害者役として衝突地点で待機していた警察官の話だった。彼は実験当日に見たものを次のように説明した。
照射実験が開始され、現場の物陰に隠れて待機をしていると通りの向こうからヘッドライトの灯りが見え始めた。
(お……来た来た……)
タイミングを合わせてゆっくりと歩き始めた途端、車が急に停まったのが見えた。
(あれ?どうしたんだろう?)
あんな離れた場所で停まるはずがない、何かトラブルでもあったのだろうかと思って遠く離れた場所に見えるヘッドライトの灯りを凝視していると──ライトの前を、ゆっくりと横切る人影が見えた。
(通行人がいたのか?それとも車両トラブルでAさん達が車から降りたのか?)
なんにしても照射実験中に車両の前に出てくるのは被害者役の自分だけのはずである。これはきっと何かあったな……そう思いながら待機をしているとAさん達から無線が入り、実験は一時中断して車に集合することを知った。
車に集合した時は、さっき見たライトの前を横切る人影は、被疑者が取り乱したのでAさんが外に出て車両の周りを歩いたのだろうと思っていたけれど、Aさん達の話を聞く限り、その時誰も車の周りを歩いてはいなかったようだ。
そうなると……私が見た人影はもしかして……。
彼を含めた交通課の警察官数人でこんな話をコソコソとしていたのを、Aさんは聞いたのだ。
N部長の言葉は被疑者に合わせてその場限りの事を言ったのではなく、本当の事だったのだろうか?あの時自分が感じた寒気も勘違いではなかったのか?
何が本当の事なのかは未だに分からないが、この死亡事故はAさんにとって生涯忘れることのできない取扱い事案の一つになったそうだ。
文/藍峯ジュン
『警察怪談 報告書に載らなかった怖い話』(KADOKAWA)
藍峯 ジュン (著)
本当に怖い話は、警察官が知っている。実録警察怪異譚!
死亡事故の現場で、警察官たちが当時の様子を再現して行う照射実験。立ち会った事故の被疑者が恐慌しはじめる。彼だけに見えていたものとは?(「照射実験の夜」)YouTubeで全国の警察関係者から寄せられた怪談を語り、大人気の元警察官の配信者による選りすぐりの実録警察怪談集。