
ひとり1票制の多数決には決定的な問題があると説くのは、哲学者の李舜志(り・すんじ)氏である。極端な政治思想を持つ政治家が当選してしまうのは1人につき1票しか投票権がないためであり、そのロジックがヒトラーとトランプを世に出したともいう。
書籍『テクノ専制とコモンへの道』より一部を抜粋し、ひとり1票制の限界とQV投票と呼ばれる新たなシステムについても解説する。
多数決がヒトラーの独裁を招いた?
ひとりが複数の候補者からひとりを選択し、最も多くの票を獲得した候補者が選ばれる。私たちはこのルールを疑いもしない。しかし、このありふれた多数決ルールがヒトラーの独裁を招いたとしたら、どうだろうか?
現在の主要な投票制度では、「ふたつの悪のうち、よりマシな方」の力学が働く。人々はABどちらの選択肢も嫌だと思っていても、最悪のAを避けるためにBに投票するというふうに、主要選択肢のどちらかに投票せざるをえない。
たとえばワイマル共和国において、ドイツ国民のうちナチスを強く支持したのは10%にすぎなかった。
しかしスターリン主義の台頭に加えて、労働者や左派たちが共産主義を支持したため、「ヒトラーが負けたら共産主義者が勝ってしまう」という中流階級の不安が強まることによって、相互不安、暴力、不信が連鎖する負のスパイラルが加速していき、ナチ党に投票する人が増加した。
その結果、ヒトラーは首相に任命され、ナチ党は独裁体制を確立した*1。
同様のケースとして、2016年のアメリカ大統領選が挙げられる。ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプはふたりとも幅広い層から嫌われており、両党の他の候補者は大衆から広く支持を得ていた。
それでもヒラリーとトランプが争ったのは、自分の票を死に票にしないためには、ふたりの主要な候補者のうちのひとりに投票するしかないと人々が考えたためだ。
このように、多くのひとり1票のシステムでは、「他の有力な候補が勝ったら大変なことになる」という不安が循環して、全員が嫌っている候補が勝つ可能性が生まれる。「○○だけは嫌だ」というモチベーションが、本当に支持されている候補者を選挙で勝てなくさせてしまうのだ。
コンドルセのパラドクス
また、ひとり1票制度は投票者の関心の度合いを正しく反映できない。この問題は、すでに18世紀フランスの哲学者ニコラ・ド・コンドルセが指摘していた。それは「コンドルセのパラドクス」と呼ばれる。
たとえば3人(アントワーヌ、ベル、シャルル)がルイ16世の身に起こりうる次の3つの結果に投票するように言われたとする。
A.斬首される B.王位に復権する C.民間人として追放される
アントワーヌの選考順位はA.斬首、B.復権、C.追放であり、ベルはB.復権、C.追放、A.斬首であり、シャルルはC.追放、A.斬首、B.復権である。
最初に斬首と復権のふたつで投票してもらうと、2対1で斬首が勝つ。復権と追放で投票してもらうと、2対1で復権が勝つ。斬首と追放だと、2対1で追放が勝つ。斬首が復権に勝ち、復権は追放に勝つが、追放は斬首に勝つのである。これでは誰が勝つべきかまったくわからなくなってしまう。
問題は、アントワーヌ、ベル、シャルルが、3つの提案に対する関心の強さの度合いにもとづいて投票できないことである。今の投票システムでは「度合い」がきちんと伝わらないのだ。
票が伝達するのは、ある結果を別の結果よりも好んでいるということだけで、その結果をどれくらい好んでいるかはわからない*2。
したがって投票は集団の意思の全体的な感覚を表すものではない。結果的に、民主主義は多数派の専制でしかなくなる。
投票が抱える問題のまとめ
悪しき候補者が逆説的に勝つ。多数決を繰り返すと独裁体制が生まれる。少数者の権利が守られず、多数派が支配している。そして、民主主義では見識の高い人の意見が無視される傾向にある。
すべては、現行の投票制度では人々の要求や関心の度合いも、一部の有権者の優れた知見や経験も反映されないことに原因がある。
要求も関心もより強い人に資源を割り当て、特別な才能や洞察を示した人に報いる良い方法がある。それが市場である*3。
QV─投票とオークション
市場と言うと「金権政治を肯定するのか」と叱られそうだがちょっと待ってほしい。たとえば選好の強さを競うオークションの背景にある考え方は、「対象の財を最高額入札者に配分すること」ではない。
そうではなく、「自分の行動が他人に課すコストに等しい金額を個々人が支払わなければいけない」ということだ。
私的財の標準的なオークションでは、私が落札すると別の入札者が財を手に入れられないため、落札した最高額入札者は、落札できなかった第2位の入札者の入札額を支払わなければいけない。
この点についてE・グレン・ワイルは次のように説明する。
あなたが自分の車を運転していて誰かにぶつかったら、相手に与えたケガ、痛み、苦痛に対して補償をすることが法律で義務づけられている。
それと同じように、投票では、集合的決定が行われる国民投票(あるいは他の種類の選挙)で負けた人にあなたが与えた損害を補償しなければいけない。
あなたが支払う金額は、あなたの投票によって負けた市民が選好していた別の結果になっていたら、その人たちが獲得していたであろう価値に等しくなる*4。
たとえば発電所は低コストの電力を供給することで街のすべての住民に便益を与えるが、汚染も排出する。発電所の便益は、住民が電力に支払う価格に十分に反映されているものの、汚染によって生じる損害は不確実である。
健康被害が起こる可能性もあるし、悪臭も発生する。政府が規制することもできるが、規制が厳格であればあるほど、汚染量は減るが電気代は上がる。そうすると、人々が汚染のことをどれだけ気にしているかが問題になる。
この問題に答えを出すためにひとり1票の投票を実施するとしよう。そうするとたちまち多数派の専制が生まれる。というのも、ほとんどの人は汚染のことをそれほど気にしていないからだ。
しかし少数者の中には、たとえば喘息の患者など、汚染が死活問題の人もいるはずである。
したがって、街の全員の全体的な幸福を考えるのであれば、ひとり1票ではなく、少数者の選好の強さが、多数者の選好の弱さを上回っているかどうかを判断する方法が必要になる。
もちろん、単に選好の強さを聞いただけでは、各々が「100万!」「100億!」と好き勝手に言うだけである。そのため選好の度合いを強くすることに対して、「自分の投票が他人に課すコスト」の支払いを課さなければならない。
公共財に影響を与える個人が支払うべき金額は、その人が持つ影響力の強さの度合いに比例するのではなく、その2乗に比例するべきだとされる*5。
この選考の度合いを反映する投票制システムを、グレン・ワイルは二次の投票(Quadratic Voting, QV)と呼ぶ。
ボイスクレジット
この方式では、まず市民一人ひとりに投票用のボイスクレジットが毎年与えられる。予算はその年の投票に使っても良いし、将来使うために貯めておくこともできる。
ボイスクレジットを票に変換するには、予算を使って、残高の範囲内で買いたいだけ票を買う。票の数はクレジットの平方根にあたる。
たとえば環境問題に強い関心がある人は81クレジットで9票を買うことができるし、環境問題に少し興味があるが少子化問題の方により興味がある人は、16クレジットを使って環境問題に4票、64クレジットを使って少子化問題に8票、というふうに使い分けることができる。
もし投票のコストの増え方がもっと急で、たとえば投票数の4乗だったとしたら(2票投票するためには16クレジット、3票投票するためには81クレジット必要になる)、強い選好を持つ人の投票数が少なくなりすぎて、多数派の専制状態に戻ってしまう。
反対に投票のコストの増え方がもっとゆるやかだったら、強い選好を持つ人の発言力が大きくなりすぎる。
QVならトランプは大統領にならなかった?
さきほども指摘したように、ひとり1票のシステムでは、ふたりの候補者のうちマシな方を選ばなければいけなくなることがある。
その結果、2016年のアメリカ大統領選のように、他の有力な候補が勝ったら大変なことになるという不安が循環して全員が嫌っている候補が勝つ可能性が生まれる。
ひとり1票のシステムだと、候補者Aを支持する票と、対立する候補者Bを支持しないために仕方なく候補者Aに投じられる票が、同じ1票としてカウントされてしまう。
そこで、候補者を支持するためにも支持しないためにも票を投じることができて、複数の候補者にボイスクレジットの予算内で好きなだけ支持票や不支持票を投じられるQVシステムを考えてみよう。
票の価格は2次関数的に変動するので、自分のクレジットを支持する候補者への投票と対立する候補者への不支持票に分ける方が、支持する候補者だけにクレジットを使うよりもコストが安く済む(たとえば候補者Aを支持する票と、候補者Aを支持する8票+候補者Bを支持しない6票はどちらも100クレジット消費する)。
その場合2016年のアメリカ大統領選挙はどうなるか? トランプが当選しないようにするためだけにヒラリーを支持しようとしている投票者は、トランプに対する不支持をさらに強く表明したいと考えるようになる。
反対に、ヒラリーだけは避けたいと考える人も、ヒラリーに対する不支持をさらに強く表明する。
今までのひとり1票制度では、「トランプだけは嫌だ」「ヒラリーだけは嫌だ」という動機だけで、投票者はなけなしの1票をどちらかに投票していた。QVの場合、支持票と不支持票を複数投票できるので、戦略投票は打ち消しあい、広く嫌われているふたりの候補者が沈んでいく。その結果、ふたりほど嫌われていない候補者が浮上する。
ワイルたちのシミュレーションによると、2016年のアメリカ大統領選挙に向けた予備選挙でQVが導入されていれば、極端な政治的見解が排除されるため、穏健派とされていた共和党の候補が勝っていた可能性が一番高い。トランプは全候補者の中で最下位になっていた。
同様に、ワイマル共和国において共産党への忌避感がナチスの躍進を招いたのだとしたら、
QVが導入されていた場合、ヒトラーが政権を握ることはなかったかもしれない。
脚注
*1 以上はポズナー&ワイル『ラディカル・マーケット』の記述だが、「ナチ政権の成立にとって決定的だったのは、大統領個人によるヒトラーの首相任命であり、大統領官邸周辺のごくわずかな『奸臣』たちの動きであろう」と歴史学者の原田昌博は指摘する。ヒトラーが首相に任命されたのは多数決だけが原因ではないのだ。
そもそも大統領によってヒトラーが首相に任命されたのは、ナチズム運動が、多くの人々の支持を集め大衆的な運動へと発展していたからであった。ナチスは社会を「敵」と「味方」に分け、敵を徹底的に非難する一方で、民族共同体の理想を強調することで、世界恐慌の影響や共和国への不満を抱える人々の支持を集めていった。
このように「敵/味方」の単純な二元論を用い、「敵」を徹底的に攻撃することで支持を集めていったナチスのような動きを食い止めるには、投票だけでなく、書籍で取り上げたさまざまな多元的テクノロジーを駆使しなくてはならないだろう。
同*1 原田昌博『ナチズム前夜 ワイマル共和国と政治的暴力』集英社新書、2024年、361-362頁。
*2 エリック・ポズナー&グレン・ワイル、安田洋祐監訳『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』東洋経済新報社、2020年、149-150頁。
*3 ポズナー&ワイル、同前、156頁。
*4 ポズナー&ワイル、同前、160頁。
*5 QVがなぜ平方根を取るのかについては次の論文を参照。Steven P. Lalley and E. Glen Weyl, “Quadratic Voting: How Mechanism Design Can Radicalize Democracy,” AEA Papers and Proceedings, May 2018.
またこの論文でも言及されているが、QVは経済学者のデニス・ミュラーとチャールズ・レインの投票理論marginal pivotalityを下敷きにしているため、自分の投票によって結果が変わる可能性を投票の動機とするような、合理的な有権者でなければうまく機能しない。そのため、本格的な政治改革のためには、QVだけでなく本書で取り上げたようなさまざまな制度およびテクノロジーの改革も合わせて必要となるだろう。
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テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?
李 舜志
しかし、オードリー・タンやE・グレン・ワイルらが提唱する多元技術PLURALITY(プルラリティ)とそこから導き出されるデジタル民主主義は、市民が協働してコモンを築く未来を選ぶための希望かもしれない。
人間の労働には今も確かな価値がある。あなたは無価値ではない。
テクノロジーによる支配ではなく、健全な懐疑心を保ち、多元性にひらかれた社会への道を示す。