
⽇産⾃動⾞は7月15⽇、神奈川県横須賀市にある追浜⼯場が2027年度末に、神奈川県平塚市にある子会社・⽇産⾞体の湘南⼯場が26年度末までに、それぞれ生産を終えると発表した。数千人の職場が消え、地域の経済に大打撃となりそうだ。
「2か月たってやっと公式に認めた形です」
日産のイバン・エスピノーサ社⻑は同日開いた記者会見で「⾮常に⼤きな痛みを伴う決断だ。成⻑軌道に戻るためにはやりきらなければいけない」と話した。
日産の説明では追浜工場の車両生産は日産自動車九州(福岡県苅田町)に移管する。工場跡地の用途は決まっていない。追浜にある総合研究所や衝突試験場などは残すという。
神奈川県は日産自動車創業の地で、本社も横浜にある。中でも追浜工場は生産技術を確立する「マザー工場」の役割を持つ国内の主力生産拠点で、湘南工場とともに消えることで神奈川県内の完成車工場はなくなる。
「日産の工場閉鎖は2001年の村山工場(東京都武蔵村山市)以来で、今回2工場がなくなれば国内の完成車工場は3か所になります。生き残りをかけホンダと統合協議を進めた日産は、ホンダが出した日産を完全子会社にする案に反発し今年2月に統合を破談にしました。
そして25年3⽉期連結決算では最終的に6708億円もの巨額の赤字を出し、5⽉に経営再建に向け世界に17ある完成⾞⼯場のうち7⼯場を2027年度までに閉鎖する計画を発表しました。このうち国内は追浜、湘南両工場が対象になると読売新聞がすっぱ抜きました。地元や取引先には不安が広がっていましたが、日産はこの報道について2か月経ってやっと公式に認めた形です」(全国紙経済部記者)
約2400人が働いているとされる追浜工場では15日に従業員らに発表があるとアナウンスがあった。
「家を買ってしまった人と寮で暮らす人とでは人生設計も変わる」
追浜工場で小型車「ノート」と「ノートオーラ」の生産に携わるAさんが職場の空気を話す。
「生産シフトは通常8時間のところが30分短縮されています。シフト中に200台くらいつくるかな。そのシフトが1日2交代で回っています。以前に比べれば稼働率はものすごく落ち込んでいます。この生産規模では耐えられないだろうと思っていたので、読売の報道が出た時も『まあ、そうなるだろうな』という感じでした。
なので、正式に工場閉鎖を言われたのは今日ですけど、『転勤の希望には沿う』とは会社から言われてきました。九州の工場だけでなく関連会社も選択肢としてあるみたいです。まだ2年あるから考えますが、この近所に家を買ってしまった人と寮で暮らす人とでは人生設計も変わってくるでしょうね」(Aさん)
日産の車が好きで同社に入ったというAさん。今の苦境の原因に話が及ぶと、
「中国のBYD(の電気自動車)が出てきたり、アメリカの関税問題もそうですけど、自分らが考えているのよりも変化に追いつけていなかったのかと思いますね。
“e-POWER”(日産独自のハイブリッドシステム)もありますが、他のメーカーに比べるとやっぱり開発に時間がかかったところがありますし、似たり寄ったりな車になっていたというのもあるかもしれません。今は“大企業でもこんな感じなんだな”と思っています」
と淡々と答えた。
「ホンダと合併するとかしないとか言っていたときも、会社はいつも急に知らせてくるんです。それに社内では猛反発が出ています。工場がなくなるのでは、という噂はもちろん回っていましたが、不意をつく発表に振り回されることで会社を信用できないと嘆く人もいます」(Bさん)
工場閉鎖が及ぼす影響の大きさを考えれば、会社の説明は雑ではないかとの思いがあるそうだ。
「閉鎖される工場だけでなく原材料を納入している業者も含め、十数万人の仕事がなくなったり減ったりするのではないでしょうか。工場で働く人の新しい勤務先はどうなるのでしょう。2年先の閉鎖までに間に合うのっていう感じです。
方針は決まりしだい知らせると会社は言いますが、決まるまで不安でたまらないと思います。宙ぶらりんに置かれた人に九州への転勤を打診したら嫌がられて人材が流出することもあり得るでしょう。
売り上げが良くないのは事実です。でも本社は一等地にあるし、広告も有名芸能人ばかり起用していて、経費を削減できるところは多くあるのではないかと思います。今回の策が収益改善のために本当に妥当なのか知りたいですが、具体的な情報を私たちは知ることはできません」(Bさん)
「カルロス・ゴーンさんに再建を託して良いことがあったんでしょうか」
追浜工場周辺には他社の大規模な事業所があったり、海上自衛隊員や米海軍の将兵も暮らしている。
だが飲食店を営む女性、Cさんらには死活問題だ。
「日産の寮に住む若い独身の子や期間工さんがいなくなるとこの辺りの飲食店のお客さんがどれほど減るか、ちょっと分かりません。飲食店だけでなく、そうした大勢の工員さんの生活に関わる全部の産業もいっぺんに仕事がなくなってしまうでしょう。すでにこのあたりでも日産の減産の影響か、自動車関連の下請け会社がなくなったりしています」
そう話すCさんは、“日産の街・追浜”が衰退を続け工場閉鎖にまで至った近年のことを残念がった。
「カルロス・ゴーンさんに再建を託していいことがあったんでしょうか。多くの社員のクビを切って経営再建だーって言って、自分だけものすごい報酬をもらって最後は(国外へ)逃げて行っちゃった。その後、コロナの時の工場は大変で、生産ができずにラインが全部止まった時もありました。そんな時は社員が総出で掃除をしたりしてました。
結局コロナ禍が終わっても昔のような賑わいは取り戻せないままで…。今の経営陣はなんでホンダとの合併をやめたんだろうって思います」(Cさん)
地元では東京や横浜への交通の便が良いため京急電鉄追浜駅前にタワマンが2棟建設される計画があるなど人口が増える余地もある。
追浜工場の存在感は圧倒的で、これが消えた先に別の企業が工場跡地に進出してきてくれるだろうかとの不安感が街を覆っている。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班