
グーグル、iPhone、アマゾンなど、海外のIT企業が提供するサービスの利用は、今や我々の生活に欠かせないものとなりつつある。それらサービスへの利用により、日本の「デジタル赤字」が続いているという。
『世界経済の死角』(幻冬舎新書)より一部抜粋・再構成し、トップエコノミストふたりの解説をお届けする。
日本から毎日、海外に巨額の支払いが発生している
唐鎌大輔(以下、唐鎌) 私は、2022年3月に円安局面が始まって以降、日米金利差だけではなく、もっと需給構造、端的には国際収支をもっと丁寧に分析すべきだと主張してきました。その際、特に大きな変化を強いられている項目として「サービス収支」、とりわけ「その他サービス収支」の赤字が急拡大していることに着目してきました。
ちなみに読者のために整理させていただくと、サービス収支は「旅行収支」、「輸送収支」、「その他サービス収支」の3項目から構成されています。輸送収支はあまり大きくなく、旅行収支は、いわゆるインバウンド黒字で猛烈に稼いでいます。
では、「その他サービス収支」とは何か。「その他」という曖昧な名称のせいで軽視されそうなので、私はこの赤字を「新時代の赤字」と呼んできました。
この赤字は「研究開発サービス」、「再保険サービス(次節『新たな円安要因と考えられる「外貨建て生命保険」とは』を参照)」、「コンサルティングサービス」など多様な取引で膨らんでいるのですが、最も大きいのが皆さんもよくご存じの「デジタル赤字」です。「新時代の赤字」のフレーズは流行らず、こちらは爆発的に流行りました(笑)。
河野龍太郎(以下、河野) たとえば、ネットフリックスやアマゾン・ミュージックのような動画や音楽の配信サービスを利用する人が増えていて、こうしたサブスクリプション(定額課金)サービスの利用料として、日本から毎日、海外に巨額の支払いが発生しているという話ですね。
唐鎌 その通りです。いわゆるGAFAMに代表される海外プラットフォーマーへの支払いを中心に構成されていますが、2015年に約▲2.6兆円だったものが、2024年は約▲6.8兆円に膨らんでいます。
日本政府もマイクロソフトやグーグル、アマゾンといったプラットフォーマーとクラウド契約をしていますが、国民生活に目を向けても、ユーチューブやネットフリックスなどは娯楽上、欠かせない存在になりつつあります。iPhoneのクラウドストレージを契約している人も多いでしょう。もはや彼らのサービスは、日本の社会インフラの一部です。
しかし、そのインフラ利用料が、円ではなく外貨で支払われる状況になっているため、これらは円安相場の一因として注目せざるを得ないわけです。
なお、針小棒大に解釈する向きもあるので強調しておきたいのですが、あくまで「一因」であり、これが円安を直接的に引き起こしているとまで言うつもりはありません。ただ、このまま放置すれば、そうなる可能性は捨てきれないとは思っています。
河野 ならば、日本人がGAFAMのプラットフォーム上で画期的なコンテンツを作り、新たな付加価値を生み出すことができれば、デジタル赤字はそこまで問題にはならないはずだ、といった「根拠のない楽観論」が以前はありました。
現実にはデジタル赤字がどんどん膨らんでいるということは、日本が十分な付加価値を生み出せず、海外企業に支払う利用料ばかりが増えているということです。
なぜそんな話をしているかというと、近年、日本政府は企業にデジタル化を進めよと、ずっと旗を振ってきたのですが、結局、民間企業がデジタル化を進めれば進めるほど、海外への支払いが拡大し、デジタル赤字が膨らんでいくのではないか、そんな疑問をずっと持っていたからです。これについてはどうお考えですか。
唐鎌 その通りです。
少なくとも、「プラットフォーマーのサービスを利用してお金を稼ぐ」という構図が続く限り、それは地主に地代を納め続ける小作人、さしずめ「デジタル小作人」と揶揄されるような状況と言わざるを得ません。
「デジタルサービスを活かして高付加価値を生み出す」は「豊かな小作人になろう」という文脈と理解できます。その考え方ももちろん必要だとは思いますが、敗北主義的な結論でもあります。もっと根本的な解決思想はないものでしょうか。
本来許されてはいけなかったビジネスモデル
河野 「デジタル小作人化」しているという意見に私も同感です。GAFAMなどの巨大IT企業の収益の源泉は、彼らが持っている膨大なデータですが、そのデータを提供しているのは、実は私たち利用者です。
私たちは、GAFAMのプラットフォームを利用し、せっせと喜んでデータを提供しているわけですが、そのデータが生み出す付加価値は持っていかれ、利用料ばかり支払っているのが現状です。
「デジタル小作人化」、いや「デジタル農奴化」と言うべきかもしれませんが、この問題は日本だけではなく、世界的な課題です。ただ日本では、この問題を指摘する声が、つい最近まで少なかったのが特徴的です。『成長の臨界』でも、この問題にフォーカスを当てました。
私たちは無料の検索や無料のメールを、当然のように喜んで使っています。しかし、そもそもこのようなビジネスモデルは、本来許されてはいけなかったのです。
「ただ」だと思って利用しているうちに、我々の個人データは知らぬ間に収集・流用され、ビジネスに活用されています。そして気がつけば、私たちはその仕組みにがんじがらめになり、抜け出せなくなっているのです。もしお金を払わずに済んでいるのだとしたら、それは私たちが「顧客」ではなく、「売られる商品」になっているということですかね。
他の業界では、このようなビジネスモデルは決して容認されていません。たとえば、弁護士や医師が「弁護費用や診療費は無料でいい。その代わり、あなたの個人情報を他のビジネスで自由に使います」と言ったらどうでしょうか?
そんな契約は法的に絶対に許されないはずです。それなのに、なぜかGAFAMのような巨大テック企業には、こうした行為が長らく黙認されてきたのです。この問題については、ユヴァル・ノア・ハラリが新著『NEXUS』(河出書房新社、2025年刊)で詳しく論じています。
その点、EUは早くからGAFAMによる「搾取」のリスクをきちんと議論し、規制を進めてきました。
一方の日本はというと、GAFAMなどの巨大テック企業の経営者の言うことを無批判に信じ、自分たちが「デジタル農奴化」していることに気がついていません。
唐鎌 まったく同感です。日本社会ではどことなく、資本主義ゆえに「ウィナー・テイクス・オール(Winner takes all/勝者総取り)」は仕方ないという、妙な物わかりのよさがあるように思います。
すでに世界は、市場機能を万能とする新自由主義的な考え方を離れ、いかに政府が民間の経済活動に介入し、自国を勝たせるかという視点を持ち始めていると思います。そのあたりの危機意識は、日本はまだ薄いのかもしれません。
たとえば、iPhoneでアプリをダウンロードすると、まずアップルが料金を受け取り、その後、アプリの開発者に収益が配分されます。この際、アップルが約3割の手数料を差し引いているのですが、これが「高すぎるのではないか」と問題視され、EUはこの部分への課税を提案しました。こうした新たな税制がEUのスタンダードになった場合、日本も同様の課税措置を検討するのか。
第二次トランプ政権発足以降は関税交渉の行方も考慮しなければならず、先行きを検討するのは難しくなってしまいましたが、プラットフォーマーに対するEUの姿勢からは、日本が学べる部分もあるのではないかと思っています。
日本は搾取されているという意識が希薄なまま、妙な納得感を持ってしまっているように思います。もっと早くから声を上げておくべきだったと思いますが、これから声を上げるとなると、トランプ政権に対抗する構図になるのが悩ましいところです。
デジタルサービスも原油などの天然資源に近い
河野 消費者保護といった問題だけでなく、独占がもたらす弊害という「市場の失敗」の側面もあるので、本来はGAFAMの本拠地のアメリカにおいても、政府が早くから公的に介入すべき問題だったと思います。独占力を持つ彼らは、実はイノベーションの阻害要因になっているということです。
ちなみに、貿易収支の黒字や赤字はよく話題になりますが、デジタルサービスは財と違って目に見えないため、「デジタル収支の赤字」が長い間、意識されなかったのでしょうか。
唐鎌 その潜在的な影響が認識されていなかったわけではないと思います。2022年7月に行われた経済産業省の「半導体・デジタル産業戦略検討会議」の資料を見ると、クラウドサービスへの支払いから構成されるコンピューターサービス赤字に関し、2030年までには原油輸入に匹敵するとの試算が紹介されています。
原油と比較することは、秀逸だと私は感じました。「経済活動に必要不可欠だが、相手に価格決定権がある」という意味では、デジタルサービスも天然資源に近い種類の生産要素だと私は考えています。
当然、原油価格の上昇は企業の生産コストを押し上げるため、利益を圧迫する要因になります。GAFAMなどが提供するデジタルサービスも、これと同じではないかと思います。
GAFAMで働く人たちの賃金は上がり続けているわけですから、彼らが提供するサービスの利用料は、今後も値上がりが予想されます。
それでも「デジタル赤字それ自体が問題なのではない。それを活かして付加価値の高い財・サービスを生み出せばよいのだ」との主張を繰り返すのでしょうか。私は、ややナイーブすぎるのではないかと感じます。
河野 “デジタルサービスも天然資源に近い種類の生産要素”というのは、極めて重要な指摘ですね。
国際収支で見て、デジタル赤字は、今後どのくらい増えると予想しておけばいいですか。為替レートの基調にも影響するでしょうから、ぜひお聞きしたいと思います。
唐鎌 難しいところですが、簡単な試算はあります。たとえば、前出の経済産業省の会議では、デジタル赤字の一部でしかないコンピューターサービス赤字について「2030年までに▲8兆円」という試算でした。他のデジタル赤字と合わせれば優に▲10兆円を超えてくるでしょう。
2024年の輸入金額を商品別に見ますと、液化天然ガス(LNG)で▲6.2兆円、原油が▲10.7兆円でしたので、その試算が正しければ、2030年にはデジタル赤字が主要な天然資源の輸入額を凌駕してきそうです。
ちなみにデジタル赤字全体という意味では、2022年から2024年の増加ペースが年平均して+16%程度でした。もし、このペースで2030年まで伸び続けると、デジタル赤字は▲15兆円を優に超えます。
ある程度の幅を持って見たとしても、非常にラフな言い方ですが、「2030年にはデジタル赤字だけで優に▲10兆円以上」というのが一つの目線ではないかと思っています。
河野 とはいえサービス収支全体で見れば、旅行収支黒字で、全部とは言いませんが、デジタル赤字をかなり相殺できていますよね。
唐鎌 たしかにサービス収支には、旅行収支という稼ぎ頭もあります。これは2024年、約+6.1兆円と過去最大の黒字を記録しました。その結果、サービス収支全体の赤字は、まだ抑制されています。
しかし、人手不足が極まる日本の状況を踏まえると、労働集約的な観光産業だけで外貨を獲得し続ける戦略は、持続可能とは言えないでしょう。
「デジタル赤字は増え続ける一方、旅行収支黒字はピークアウトが近い。結果的にサービス収支赤字は拡大基調に入る」というのが、基本シナリオではないかと思います。
河野 資源配分の話なので、収支の赤字、黒字そのものが問題ではないのですが、だとすると、やはりドル円相場に大きな影響を与えると考えてよさそうですね。
唐鎌 私はそう考えています。非常に長い目で見れば、サービス収支赤字だけで▲10兆円の大台が定着する時代も視野に入ると思っています。
ちなみに貿易・サービス収支の赤字が▲10兆円を超えたことは、歴史上3回しかありません。2013年、2014年、2022年です。いずれも円の対ドル相場が2桁以上の下落率を記録した年です。その因果はここで詳しく議論はしませんが、無関係のはずはないでしょう。
加えて、それら3回の大きな赤字は、すべて貿易収支の赤字にけん引されたものでした。それが、サービス収支の赤字にけん引される時代に変わっていく可能性はあると思います。
文/河野龍太郎、唐鎌大輔
『世界経済の死角』 (幻冬舎新書)
河野龍太郎 (著), 唐鎌大輔 (著)
渡辺努氏推薦!(経済学者、『世界インフレの謎』の著者)
多くの人が抱く疑問に2人のトップエコノミストが果敢に挑戦。
日本経済と世界経済の先を見通す”直観力”を養うのに絶好の書。
超人気エコノミストによる初めての深堀り対論。
今こそ知るべき、国際金融のリアル。
〈内容紹介〉新NISAの導入をきっかけに海外の金融資産を保有する日本人が増加するなど、日本経済はかつてないほど世界経済への依存度を高めつつある。
そうした中、トランプ大統領による相互関税措置を受け、国際金融市場は大きく揺れ動いている。
しかし、そもそも世界経済には、日本人が見落としがちな「死角」がいくつも存在する。それらを押さえずして先の見通しを立てることはできない。
そこで本書では超人気エコノミストの2人が世界経済と金融の“盲点”について、あらゆる角度から徹底的に対論する。
先の見えない時代を生き抜くための最強の経済・金融論。