ドルトムントの香川真司にACミランの本田圭佑、インテルの長友佑都――2016年の今、日本人サッカー選手が海外でプレーするなんて、珍しくありません。テレビや新聞などで大々的に報道されるには、彼ら3人レベルのビッグクラブへ入団し、そこで活躍してやっと、というところでしょうか。

しかし、90年代前半までの日本は、ワールルドカップに一度も出たとこがないサッカー後進国でした。4年に1度のアジア予選では、毎回、韓国やイランの高い壁に泣き続け、世界など遥か遠くに霞がかっていた時代です。

カズの出現で全てが動き出す


長らく停滞していた日本サッカー界において、1994年、一つのエポックメイキングな出来事が起こります。三浦知良のセリエA移籍です。
ヴェルディ川崎を初代Jリーグ王者に導いたこのスタープレイヤーのイタリア挑戦により、「世界」は間違いなく身近なものになりました。遠くに感じていた欧州のサッカーシーンが、カズという媒介を通して、同じ時間軸の中で共有されるリアルな体験となり、日本人の中で躍動し始めたのです。そのタイミングを見計らうように同年スタートしたのが、フジテレビ系列の深夜番組『セリエAダイジェスト』でした。


94年から03年まで放送されていた『セリエAダイジェスト』


1994年――日本がW杯初出場を果たしたのは4年後で、サッカーゲーム『ウイニングイレブン』にて、世界の名門クラブがプレイできるようになるのは2年後のことです。まだ今ほど、海外サッカーがメジャーではなかった時代に、30分のレギュラー枠をイタリアのリーグに費やすなんて、なかなかの英断ではないでしょうか。後の98年に中田英寿、99年に名波浩が移籍し、さらにはジダン、ロナウドなど、世界中の名プレイヤーが集ったセリエA。その盛り上がりを考えれば、今から12年前のフジテレビに先見の明があったのは間違いありません。
番組では、無名時代のジョン・カビラやジローラモを起用するなど、アグレッシブな采配が目立ちました。中でも、ひときわ異彩を放っていたのが、ナレーションを担当していた「マルカトーレ青嶋」こと、青嶋達也アナです。

選手にアテレコする『珍プレー・好プレー的手法』で人気に


彼の持ち味は、まくしたてるような早口と伸びのある甲高い声。実際の試合中継において度々「うるさい」「邪魔」などとネットで酷評されますが、この『セリエAダイジェスト』においては、そのアクの強さが逆に功を奏します。

ナレーションの形式としては、『プロ野球珍プレー・好プレー』における、みのもんたのやり方を踏襲したと言って差し支えないでしょう。特定の選手をピックアップし、映像に合わせてアテレコしていくあの手法です。
野球が静のイメージなら、サッカーは動。攻守が目まぐるしく入れ替わり、たえず選手がピッチを走り回ります。特にダイジェスト映像では、試合中で最もセンセーショナルなシーンをチョイスするため、彼の高速絶叫型ボイスとの相性は抜群。試合展開を追いながらも、選手に独自のキャラ付けをして演じていくその話芸は、方向性こそ違えど、間違いなく本家を凌駕していました(例えば、菅原文太似のイタリア人FW・ラバネッリを広島弁口調で声を当てたり、ウクライナ代表・シェフチェンコの口癖を「ハラーショ」にしたりなど)。

特に「重戦車」と呼ばれた屈強なイタリア人FW・ヴィエリの声を当て込むとき、ほぼ、うなり声のみで表現していたのはインパクト絶大。そのせいで、ビエリの出場試合観戦中、彼にボールが渡ると、青嶋アナの声で脳内再生されるという「ジャッキーチェンの地声≦日本語吹き替えの石丸さんの声」的現象が起こったものです。

実は海外サッカー普及・影の功労者?


他にも、『セリエAダイジェスト』には、地元のクラブチーム・ナポリを偏愛する前述のジローラモや、リバプールを溺愛し、マンUに極端な憎悪を抱くトニークロスビー、当時人気絶頂だった天然系女子アナ・内田恭子など、個性豊かなタレントが華を添えました。
その面々を差し置いて、今でもなお、強烈な印象として残っているのは、マルカトーレ青嶋のあの声、あのテンション、あの怪気炎です。みのさんが『珍プレー・好プレー』で野球をコメディ化して、その魅力を伝える担い手となったように、彼もまたあの時、欧州サッカー普及の大きな原動力となっていたのではないでしょうか。
(こじへい)
※画像はamazonより ヴィエリDVD