一般的な映画館で作品上映が終わった時の雰囲気を思い浮かべていただきたい。
エンドロールが流れ出して早々に席を立つ人、それを苦々しく横目でにらみつつスクリーンを見続ける人、出るのを待てずに感想を言い合う人、持て余したポップコーンをほおばる人。

出演者の舞台挨拶でも無い限り、そこには「同じ作品を見た観客の一体感」など無いのが普通である。

しかし、90年代、上映が終わった瞬間、観客全員が一体となり、スタンディングオベーションしそうな勢いで拍手喝采した作品があった。
インド映画「ムトゥ踊るマハラジャ」である。

1998年、映画評論家の江戸木純が発掘し、渋谷のミニシアター・シネマライズで単館上映された同作品は、異例の大ヒットを記録。口コミが口コミを呼び、渋谷スペイン坂周辺は連日のように行列ができる事態となった。

「ムトゥ踊るマハラジャ」のストーリー


ストーリー自体は王道で、主人と従者、わかりやすい悪役、ヒロインをめぐる恋の鞘当て、出生の秘密などが絡み合う90年代当時でもベタすぎる展開。
しかし、スクリーンに次々現れる各シーンが妙に過剰で、日本人が考える「だいたい普通の映画ってこういう感じだよね」という想像をいちいち超えてくる。


冒頭の主人公ムトゥが馬車に飛び乗るシーンでは、くそでかい跳び箱を飛ぶときの池谷直樹ばりにジャンプ。
悪役のアンバラッターは真っ黒な牛のエンブレムがついた黒塗りの車で登場。
馬車が崖から落ちるというピンチでは、「E.T.」の自転車ばりに馬車が宙を飛ぶ。
当時のシネマライズではこのようなシーンが登場するたびに、館内は爆笑と拍手の渦。

そして、あまりにも新鮮だった合間合間で挟まれる歌と異様なほどキレッキレのダンス。やけに耳に残るメロディーに乗せ、原色のゴージャスな衣装で踊る映像はマサラムービーの代名詞として多く引用されることとなった。


主人公は吉幾三にも似ていた


また当時、映画のポスターではヒロインであるミーナが前面に出ていたため、主人公が吉幾三にも似たひげのおっさんラジニカーントであると知ると多くの観客が「えっ」と戸惑った。
しかし、映画が進むにつれ、キレのある動きや画面からもわかるカリスマ性で彼が徐々にカッコ良く見えてくる。そして見終わる頃には現地で「スーパースター」と呼ばれていることにすっかり納得して帰るのだった。

インド映画ブームを巻き起こした「ムトゥ」は最終的に5ヶ月以上ロングラン上映。2016年1月にその歴史を終えた渋谷シネマライズの歴代興収ランキングで「アメリ」「トレインスポッティング」に次ぐ3位(シネマライズで興収2億円を超えたのはその3作品だけ)となる実績を上げた。

ブームに便乗する芸能人も続出


そのブームは映画館にとどまらず、サントラのCDが出れば渋谷でバカ売れ。更には、山口智充がモノマネ番組でムトゥに扮したり、南原清隆が日印合作映画「ナトゥ」を製作したりとブームに乗っかる芸能人が続々と出るほどであった。

個人的に思い出深いのは、当時のテレビ番組「超アジア流」のスペシャル「超アジア通」で小林聡美がインド映画風のダンスムービーを本気で現地で撮影した「インドは踊る聡美も踊る」の回。
現地の振付師にも褒められた小林聡美の妙にキレの良い表情豊かなダンスは、当時ビデオで何度も見返してはその度に爆笑してしまった。

もともとは95年の作品のムトゥ。撮影当時19歳だったヒロインミーナは今年で40歳。
今では彼女の娘さんも子役として映画に出演している。
主人公ムトゥ役のラジニカーントは、2012年には「さらに進化したダンス」と「斜め上の発想の特撮」で話題になった「ロボット」が日本で上映されるなど、60代の今も「スーパースター」である。


筆者は当時「ムトゥ」を劇場で3度鑑賞した。
会場であった渋谷シネマライズ自体がこの映画の上映に際して「拍手・掛け声・爆笑大歓迎」の姿勢だったこともあり、毎回大盛り上がり。
あれから20年近くが経ったが、あんなに一体感のある映画館は経験がない。

いつの日か「えっ?こんな国の映画が?」という意外な映画が、劇場を熱狂の渦に巻き込む日がまた来ることを期待したい。
(前川ヤスタカ)

※イメージ画像はamazonよりムトゥ 踊るマハラジャ[Blu-ray]