クイズ中に行われる『赤坂五丁目ミニマラソン』などはすっかり同番組の名物コーナーとなっている。
島崎和歌子の適性を見抜いた島田紳助
この番組は、1991年の10月5日に第1回目の放送が行われている。4択のクイズをベースとした構成は、この頃放送された『クイズ!当たって25%』から取られている。この番組の司会が島田紳助と島崎和歌子であったため、『オールスター感謝祭』も同じならびとなった。
当時、20代はじめであった島崎のメイン活動はアイドル歌手であり、バラエティ番組への出演はほとんどなかった。だが、紳助が彼女の適性を見抜き番組に起用したという。その後の島崎のしぶとい活躍を見る限り、紳助には先見の明があったと言えるだろう。
「オールスター感謝祭」で起きたトラブル
番組開始当初の90年代にはさまざまなトラブルが生じた。スタジオのクイズは、番組が独自に設計したキーパッドを用いる。そのため、水分は大敵であった。だが、参加者が持ち込んだ飲み物をこぼしてしまい、システムがダウンすることもあった。もちろん、その間をアドリブでつないだのは島田紳助の驚異的なトーク力だ。
1994年春の第6回大会の『赤坂五丁目ミニマラソン』では、警備が手薄だったために参加者のジミー大西が、何者かにエアガンで狙撃される事件が発生した。そのため、翌年からはTBSの敷地内から出ないコースへと変更を余儀なくされる。
バブルの余韻を色濃く残した賞品も
この番組は一問正解するごとに賞金が獲得できる、芸能人にとっては“オイシイ”番組である。
実際、90年代の『オールスター感謝祭』はバブルの余韻を色濃く残していた。1998年春の第12回大会では優勝賞品に苗場のリゾートマンションが登場した。優勝者はバカルディ(現・さまぁ〜ず)の三村マサカズ。豪華商品に戸惑うだけでなく、固定資産税や登記料は自己負担のため払いきれず、やむなく手放したという。
いまは視聴率も低下し、参加者数も半減してしまったが、かつての『オールスター感謝祭』は、年に二度の番組改編期に行われるテレビ局をあげてのお祭であったのだ。
(下地直輝)
※イメージ画像はamazonよりTBSオールスター感謝祭2003秋 超豪華!クイズ決定版