2017年の『FNS27時間テレビ』(フジテレビ系)の総合司会をビートたけしが務めることが決定した。フジテレビ系の夏の長時間特番においてたけしが司会を務めるのは、1996年の『FNSの日十周年記念1億2500万人の超夢リンピック』以来、21年ぶりとなる。


ここ数年は、深夜の「火薬田ドン」コーナーに出演しているたけしだが、かつては、この長時間特番に出ずっぱりだった。そんなたけしの活躍を90年代を中心に振り返ってみたい。

夏の長時間特番が始まった1987年


フジテレビ系の夏の長時間特番が始まったのは、1987年の『FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島』が最初である。総合司会はタモリと明石家さんまであった。
この放送では、フライデー襲撃事件で謹慎中だったたけしが、テレビ復帰したことで話題となった。

以来、英語禁止のゴルフ対決や、愛車の破壊といった“BIG3”企画が毎年恒例のものとなる。

総合司会を務めたたけし、放送途中に日テレ出演


そんなたけしが同番組の総合司会を務めたのは、1992年の『FNSスーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ』が最初である。フジテレビを退職しフリーとなっていた逸見政孝と組んだ人気番組『たけし・逸見の平成教育委員会』を下地とする番組であった。


当時、たけしは日曜の午後に『スーパージョッキー』(日本テレビ系)の生放送レギュラーを持っていたため、放送時間中に番組を抜け出し、日テレへ出演するハードスケジュールをこなした。
たけしは『平成教育委員会』の白衣のまま出演。疲労が溜まっていたためか、放送中に「起きてますか」と突っ込まれる一面も。

1996年まで出演を続けたたけし


翌1993年も放送された『平成教育テレビ』は、FNS各局が競い合うクイズ企画をはじめ、一体感のある企画が人気となった。1994年も放送が計画されていたが、1993年末に逸見政孝がガンで死去したことにより、1994年はたけしの単独司会による『平成夏休みバラエティー』が放送された。
その後、出演時間を減らしながらもたけしは1996年まで出演を続ける。


たけしがフジテレビへ出続けたのは、親友であった逸見への義理と友情もさることながら、“アンチ日テレ”の意識も強くあっただろう。
たけしは感動を売り物にする『24時間テレビ』を「偽善番組。チャリティとかいうなら芸能人はノーギャラで出ろ」と激しく批判している。お笑い一色のフジテレビの『27時間テレビ』を象徴する存在がたけしであったのだ。

※イメージ画像はamazonよりゴールデン☆ベスト ビートたけし