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アントニオ猪木の引退試合を振り返る

2017年8月8日 13時00分

ライター情報:せんじゅかける

※写真はイメージです

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キャッチフレーズは“燃える闘魂”、元プロレスラーで現国会議員といえば、アントニオ猪木だ。
その日本人離れした言動は、多くの物議をかもすと同時に、世の男性のココロをわしづかみにしてきた。

モハメド・アリとの伝説の一戦とともに、語りぐさになっているのが引退試合だ。相手となったのはプロボクシングの経験をもち、柔道三段の腕前の持ち主でもあるドン・フライだった。

プロレス界に入ったきっかけ


太平洋戦争末期の1943年、アントニオ猪木(本名:猪木寛至)は横浜で誕生。父親を早くに亡くし、終戦後は家業が倒産して貧しい生活を送っていた。
猪木と同居していた祖父は、貧困を抜け出そうと新天地をもとめてブラジルへの移民を思い立ち、一家でブラジルへ渡ることとなる。当地で一家はコーヒー豆の農場を営み、猪木自身も朝から晩までコーヒー豆の収穫などの労働にあけくれた。

そのころ、日本ではプロレスが大衆のエンターテインメントのひとつだった。なかでも力道山は熱狂的ファンが多いカリスマレスラーだった。
そんな力動山がプロレスの興行でサンパウロを訪れた際、当時17歳の猪木と出会う。

17歳の猪木はコーヒー豆の収穫で鍛えられたがっしりとした体つきをしており、筋肉隆々。これを見た力道山は猪木をスカウトし、日本に連れて帰ることになった。

プロレス界を牽引したアントニオ猪木


猪木は、ジャイアント馬場とともに、力道山率いる日本プロレスに入団。その後、日本プロレスで活躍するも、度重なる確執から1971年に追放処分に。

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ライター情報: せんじゅかける

下町は千住に住む昭和生まれのおばさんライター。もつ焼きとハイボールをこよなく愛す。好きな番組はマツコの知らない世界。

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