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マンガ本にはなぜ作者プロフィールがないのか

写真は相原コ−ジ・竹熊健太郎『サルでも描けるまんが教室』の、パロディ風記事。確かに昔は、連載作家陣総顔出しのこんな企画、ありました。さらにこの写真、よく見ると、作者の2人に混じって小学館の少年マンガ界を今も支え続ける超大物マンガ家がいたりも……。

好きな本を見つけると、決まってすぐしたくなるのが、作者のプロフィールチェック。何歳ぐらいの人で、これまでどんなものを書いてきたのかなど、知りたくなる人は多いのではないだろうか。
でも、小説やノンフィクションの本には必ずあるプロフィール、どういうわけかコミックにはほとんどない。
カバー袖に同版元の同シリーズの本が記載されてたりする場合はあっても、たいていは自分で調べないと、その作者の他の作品を知る術がないのだ。

これってどうして? あるマンガ編集者に聞いてみると……、「あくまで私の推測としては」として、以下のような話をしてくれた。
「小説家はずっと尊敬される職業で、読者からも『どういう人か知りたい』という欲求があり、作家さんで選ぶ読み方があったと思うんです。それに対して、マンガは貸本の時代から、絵かきさんが素性を隠してかいたりしていたこともあり、小説家に比べて地位が低かったのでは?」

とはいえ、手塚治虫や藤子不二雄、赤塚不二夫をはじめ、「憧れの存在」とされてきたようなマンガ家は、掲載誌のグラビア企画にもよく登場し、多くの人が顔を知っている存在ではある。そのあたりは、読者の傾向も変わってきているのでは? と言う。
「たとえば、近年の少年マンガの場合、『ワンピース』『名探偵コナン』がどれだけ売れているといっても、メインの読者は少年なので、意外と誰が作者か知らなかったりしますよね? メイン読者の子どもはまず、『作品至上主義』で、『作家買い』というのはないのかも……」
最近の少年マンガは、その世界を描くマンガ家よりも、その作品から派生する、ゲームやフィギュア、カードとかのグッズなんかに興味がいってしまうという傾向はありそう。
その一方で、少女マンガは、単行本に作者のプロフィールを今でも時々見つけることがあるので、少年マンガの読者に比べて、少女マンガの読者は今も、マンガ家自身に対する興味が強いのかもしれない。

ところで、マンガ家の場合、性別すらわからないペンネームを使う人もけっこういるが、
「小説家に比べて、マンガ家さんは匿名性を大事にしている人が多いかも。これは、自意識の部分でそうしているのかもしれないですけど、小説家の場合、『顔出しをする』というのが、伝統的にあったんじゃないかと思うんです」
これは、電車の中吊りを見ると違いがわかりやすいというが、確かに、小説の中吊りには作家の顔が入ることが多いのに対し、マンガの中吊りにはマンガ家の顔があるものはない。
「小説の場合、美人やかっこいい人が書いていると、それは十分ウリになるんです。そもそも顔出ししなくても売れるマンガに比べ、小説は売れないから、作家性をウリにする必要もあるのでは?」

最近では、CLAMPのようなマンガ家ユニットがいたり、『デスノート』の作者のように、正体を謎のままにしている人(おかげで、実は正体は〇〇説などけっこうあるけれど)もけっこういる。これも一つの戦略なのだろうけど、驚くべきことに、70年代ぐらいの『週刊少年ジャンプ』『週刊少年サンデー』などでは、連載作家陣がみんな顔出しでガッツポーズする表紙があったり、さらに、ファンレターのあて先として、自宅の住所が載っていたりした時代もあった。

いまどきのマンガ家の匿名性は、近年ますます進み、プロフィールは求められない時代になってきているのだろうか。
(田幸和歌子)
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2007年7月25日 00時00分

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