2020年、東京での五輪開催が決定した。フェンシングの太田雄貴選手、陸上の佐藤真海選手、滝川クリステルさんらが行ったプレゼンテーション(以下プレゼン)は、東京の魅力や日本の文化、スポーツが持つ力を、世界に向けて十分にアピールした。


五輪招致を成功させるために結成された招致委員会の中には、上記プレゼンターのように表に立って活動した人もいれば、それを影で支える人たちがたくさんいた。その中の一人、写真家の竹見脩吾さんに話を聞いた。

2011年、当時26歳の若さで招致専属の写真家として抜擢された竹見さん。招致委員の中でも若手だが、大学ではスポーツ写真を専攻し、卒業後は国内外問わずスポーツの現場で経験を積んだ。Yahoo! Japan「写真家特集」では、森山大道氏や蜷川実花氏ら有名写真家とともに掲載され、バンクーバー五輪、ロンドン五輪と世界の舞台で活躍してきた実力の持ち主だ。

招致での竹見さんの役割の一つは、安倍晋三首相らが行ったプレゼンの間に映し出されたイメージ写真の撮影だ。
「プレゼンのスピーチに合わせ、スポーツに対する『熱狂』や東京のインフラ整備、安全性など、一枚の写真で伝えるにはどうすればいいのか、常に考えていました。都内を1日中歩いて『答え』を見つけられない日もありました」(竹見さん)。こうして、サンクトペテルブルク、ローザンヌ、ブエノスアイレスで数回にわたり行われたプレゼン用写真を、2011年頃から約2年かけて形にした。

プレゼンで使用された写真は、選手はもちろん、スポーツを取り巻く環境、スタジアムや応援団、家族の笑顔や東京の街並み、日本の心など幅広い。ときに、運営者やスポーツイベントに携わるボランティアの役割や思いに考えをめぐらせ、その瞬間を一枚の写真に落とし込んだ。世界に発信する写真に、重圧を感じることはなかったのだろうか?


竹田恒和理事長は、東京大会が有する「Delivery(安全・確実な大会運営)」「Celebration(世界中を魅了するダイナミックな祭典)」「Innovation(革新がもたらす未来への貢献)」の3つの強さをアピールした。
例えば、竹見さんは大会運営能力を写真で表現するために、純粋にスポーツを楽しんでいる子供たちや、救護、水配りのボランティア、大会前日にバナナや水を各所に配布する裏方とコミュニケーションを取りながら撮影したそうだ。

また、震災から一年経ち、気仙沼大島マラソンのイベントを取材したときのこと。島全体が全国から参加するランナーを暖かく迎え、震災時の支援に対する感謝を、一人ひとりに伝える場面を目の当たりにした。「この日本人の心を写真にし世界に伝えたい。そうすれば、日本人のスポーツに対する情熱は十分にアピールできると感じました」(竹見さん)。写真を見て話を聞いて感じたことは、彼が持つ若さならではの素直な好奇心だ。



五輪開催の運命をかけたプレゼンで、世界に向けて発信される「日本の姿」。世界の人たちが東京開催をどう見るのか……。「日本の安全性や機能性、普段見過ごすような、それでいて外国の人には珍しい日本の日常を撮ることは、面白い経験でした。日本に来て間もない外国人と日本に長く住む外国人をインタビューしたり。ほかにも、街を散歩している方や、スポーツ観戦をしに来ている市民の方など、撮影にご協力頂ける人が増えることで、招致の支持率が高くなっていく様子を肌で感じ、私も日本を代表している気持で撮影に励みました」

竹見さんは、学生時代から海外留学中も「スポーツ写真」を撮影してきた。招致の仕事に関わるまでは、試合中に魅せるアスリートの躍動感や醍醐味を伝える写真を撮ることが、「スポーツ写真」だと思っていたという。


「当たり前ですが大会を運営するのには、それを影でサポートする人たちがいる。例えば、数日も前から芝を整え環境を整備する人や、当日は選手を応援する人の笑顔がある。試合中の選手だけを切り取って撮影することだけが『スポーツ写真』ではないのかもしれないと、招致の仕事を通じて気付きました」


彼にとってオリンピックとは何だろう?「バンクーバー、ロンドン五輪の撮影でも感じたことですが、『五輪』といっても大会には国民性の違いが明確に現れます。7年後、『東京』という場所でしか撮れない五輪の雰囲気や選手たちをいかに表現するか。体ひとつでは、もったいないくらい、それぞれの会場で歴史的な場面が見られる東京五輪になると思います。世界中の人が東京という街に来て、日本や日本の文化とどうコミュニケーションするのか。
そこからみえる『五輪』を撮影するのが今から楽しみです」

東京生まれ東京育ちの彼が写す「東京」。素直な好奇心に牽引されて写真を撮り続ける竹見さん。7年後の彼が撮る「一枚」を楽しみにしたい。
(山下敦子)