
『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』浮世絵版画1831年/大英博物館蔵 (c) The Trustees of the British Museum
日本が世界に誇る浮世絵師・葛飾北斎が、今イギリスで絶大な人気を博している。ロンドンにある大英博物館では、5月25日~8月13日にかけて特別展「北斎 − 大波の彼方へ」が開催され、異例なほどの盛況のうちに幕を閉じたのだ。
「北斎 − 大波の彼方へ」と公式に和訳された今回の北斎展の英名は「Beyond Great Wave」である。「The Great Wave」を日本語に直訳すると、文字通り「大波」となるが、実はこれ、北斎の名作中の名作である『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』の英語における俗称だ。同企画展では、 肉筆画、下絵、版画、版本などの北斎の代表作を、日本や大英博物館を含む欧米各国のコレクションから多数かき集め一挙に公開するという大々的なもの。もちろん、おなじみの北斎の『冨嶽三十六景』からの二大名作『神奈川沖浪裏』と『凱風快晴』も含まれている。

『冨嶽三十六景 凱風快晴』浮世絵版画1831年/大英博物館蔵 (c) The Trustees of the British Museum
同展がどれほど盛り上がっているのか、現地からのルポをお届けする!
英メディアが絶賛 博物館には行列も
まず、現地メディアは北斎展をどう評価しているのか。
英デイリー・メール紙と英オブザーバー紙が、それぞれ「率直に楽しい!」「壮大だ!」と評し5つ星を与えた。4つ星を与えた英イブニング・スタンダード紙は、「世界でも最も人気のある芸術家の1人だ!」と絶賛。英ガーディアン紙は「北斎・世界を飲み込んだ大波」と題し、特集記事を組んだ。いずれも高評価である。

それでは「一路、大英博物館へ」と思いきや、早々に足止めを食った。何と前売り券が完売! 大英博物館をはじめとするイギリスの国立博物館・美術館の常設展示は、入場無料の寛容さで知られるが、今回の北斎展などの特別展を見るには入場券が別途必要となる。大英博物館の広報担当に問い合わせてしてみると、何と7月初旬の時点で、もうすでに最終日(8月13日)までの前売り券が完売となる、前代未聞の事態だった。

さらに期間中は連日、数に限りのある当日券を求める来館者で、大英博物館の正門の前には、開館前から長蛇の列ができた。
前売り券、当日券を問わず、混雑緩和のため入場時間が事前に割り当てられていたのだ。
8月初旬、筆者も当日券を求め、開館時間の30分前である朝8時半に大英博物館へ出向いた。雨にもかかわらず、もうすでに行列ができていて、最後尾に付くことに。まるで「悪い天気」と「行列」というイギリスの二大風物詩を一度に体現したようだった。

過去の特別展では、定員オーバーにはなかなか陥らなかったそうだ。券売員も「この上なく成功している(extremely successful)!」と話していた。何とか当日券は押さえることができたが、この日も券売所が開いてから45分間ほどで北斎展の当日券は完売した。
北斎展の展示内容と見所は?
北斎展で注目すべきところはどこか。同展では、北斎の還暦以降の30年間に残された作品に焦点を当てている。70歳を過ぎた北斎の手がけた『富嶽三十六景』の展示には、思わず「晩年」という固定観念が覆されてしまうほどだ。晩年の北斎は 年を重ねるごとに自分の腕が熟練していくと信じ、長寿への希求心を抱いていた。当時は珍しかった、舶来品の合成顔料や西洋の遠近法を積極的に取り入れた美術史的背景も解説され、伝統に捉われない型破りな「晩年」の超越的な北斎の人物像が映し出された。
満員の展示スペースでは、小声ながらも北斎の作品について熱心に語り合っている人々が散見できた。安藤広重の『東海道五十三次」に先駆けて、北斎が手がけた3次元的描写の地図絵である鳥瞰図『東海道名所一覧』を眺めていたイギリス人カップルは、どうも日本通の知識人らしく、地図に書かれた漢字の地名を優雅にスラスラと読み上げていた。

『諸国滝廻り 和州吉野義経馬洗滝』浮世絵版画1833年/大英博物館蔵 (c) The Trustees of the British Museum
さらに同展は、北斎の作品に宿る精神性をも掘り下げている。『諸国滝廻り』の展示では、北斎が追求した森羅万象の世界観が、神聖化された水の躍動感に見て取れる。北斎の描いた神仏画の展示では、仏教徒としての北斎の宗教観や霊峰である富士山の山岳信仰に基づく「不老不死」の死生観など深いところにも触れていた。

『鍾馗(しょうき)』肉筆画1846年/メトロポリタン美術館蔵
そして、北斎展における最大の見せ所は、北斎が88~90歳の頃に残した一対の『祭り屋台天井絵浪図』だ。『神奈川沖浪裏』と比べて、大きさもさることながら、荒波の押し寄せるうねりの描写がかなりの見応え! これぞ真の「大波(The Great Wave)」か!? 来た甲斐ありだ。大成功を遂げた今回の大英博物館の北斎展は、昨今のとどまることを知らないイギリスでの、日本文化ブームにさらに拍車をかけるものと思われる。

『祭り屋台天井絵浪図』肉筆画 1845年/小布施町上町自治体蔵美術館蔵

『祭り屋台天井絵浪図』肉筆画 1845年/小布施町上町自治体蔵美術館蔵
最後に耳寄りなお知らせ。何とこの秋に、大英博物館との国際合同プロジェクトで、この北斎展が日本にやって来る。特別展の名前は大英博物館の「大波の彼方へ」に応答する形で「富士を超えて」。大阪あべのハルカス美術館にて10月6日~11月19日に開催予定だ。
(ケンディアナ・ジョーンズ)
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