1月13日のSMAP分裂・解散報道には、日本中が震撼した。
NHKニュースでも報道されるなど、改めてその影響力と存在の大きさを実感したが、今年デビュー25周年を迎えるそんなSMAPにも、当たり前だがフレッシュな時期はあった。


【テレ東で冠番組を持っていたSMAP】


SMAPのCDデビューは1991年9月。その直後の10月にテレ東でスタートしたSMAPの冠番組、タイトルは、『愛ラブSMAP!』。
番組は、歌はもちろん、トークにコント、ゲームやクイズ、さらには野球やバスケなどスポーツに挑戦するコーナーなどもあり、内容盛りだくさん。今思えば“ビストロ抜きのスマスマ”というか、『SMAP×SMAP』のプロトタイプのような存在の番組だったかもしれない。もちろん、現在オートレーサーとして活躍する森且行在籍時の“6人”での番組だ。
『スマスマ』で時折披露する、ピンクのタンクトップにハチマキ巻いたコテコテの昭和アイドルコント「スケートボーイズ(SMAPの前身ユニットと同名)」ほどのノリではないが、キラキラアイドル時代から一緒に成長していくような番組だった。

ジャニーズ事務所の若手タレントとテレ東といえば、SMAPがデビューする以前の80年代には、『ヤンヤン歌うスタジオ』という、あのねのね司会の人気番組があった。
たのきんトリオにシブがき隊、少年隊、光GENJIに男闘呼組……時代ごとに人気ジャニーズタレントが出演し、やはり歌とコント、ゲームなどで盛り上がっていた。
『ヤンヤン』終了は1987年。その後いくつか後継番組も放送されたが、SMAPも90年に『ヤンヤンもぎたて族』という、『歌うスタジオ』の流れをくむ番組のMCを担当していた(この番組は3カ月で終わったそうで、実際見たことはないが)。

【ブレイクしたSMAP テレ東を“卒業”】


『愛ラブSMAP!』は、何度か放送時間や内容をリニューアルしながら、1996年3月まで続く。この番組と並行して、92年からフジテレビで『夢がMORIMORI』、93年にはテレ朝で『キスした? SMAP』がスタートし、じわじわと人気を高めていった。

そして1993年のドラマ『あすなろ白書』(フジテレビ系列)。この作品で木村拓哉の人気が一気に爆発、グループへの注目度も高まった。

SMAP初のオリコンシングルチャート1位を獲得した「Hey Hey おおきに毎度あり」が発売されたのは、1994年3月。その後、『がんばりましょう』『たぶんオーライ』『KANSHAして』とヒット曲を連発、国民的アイドルグループへの道を一気にかけあがっていった。
1996年3月。『愛ラブSMAP!』は最終回をむかえ、結果的にテレ東を“卒業”する形になる。そして翌月、『SMAP×SMAP』がスタートした。

【『愛ラブSMAP!』終了後も残る遺伝子】


『愛ラブSMAP!』の後番組となったのは、当時注目度が高まっていたジャニーズJr.の番組、『愛LOVEジュニア』である。
フォーマットは基本的に同じだが、この番組にはタッキーや、のちの嵐のメンバーが出演している。
このテレ東若手ジャニーズ番組枠の流れは、しばらく途絶えていたが、2011年に前記の「ヤンヤン」シリーズの遺伝子を受け継ぐ番組として、Hey! Say! JUMPの『ヤンヤンJUMP』がスタート。13年からはA.B.C-Zがさらにその枠を受け継ぎ、『ABChanZoo』が日曜午前に放送中。『ヤンヤン』『愛スマ』の遺伝子は、現代まで受け継がれている。

本原稿の段階では、いろんな情報がとび、時々刻々と状況も変わっていて、これからSMAPがどうなっていくのか全く分からないが、いろいろなことが無事クリアになったら、また一度、原点に返ってテレ東でコールしてみてほしい。
「愛ラブスマ〜〜ップ!」と。

(太田サトル)