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音楽業界で“苦節○年”なんて言うとその昔は下積みの長かった演歌歌手の常套句であったが、今やその限りではない。わりと有名なところで、DAIGOはDAIGO☆STARDUSTの名前でメジャーデビューしたが今ひとつパッとせず、BREAKERZのヴォーカリストでブレイクするまでに5~7年を要しているし、2004年結成のゴールデンボンバーの「女々しくて」は2009年リリースで、チャートを賑わせ始めたのは2011年頃だ。T.M.Revolutionが初めてチャートベスト10入りしたのは1997年だが、彼は1991年にLuis-Maryというバンドのヴォーカリストでデビューしたものの1993年に脱退し、その後、2年間ほどシーンからフェードアウトしている。
生前はまったく相手にさせなかったファン・ゴッホの絵画がその最たるものだろうが、優れた作品、作家が必ずしも即時、高い評価を受けるわけではない。ファン・ゴッホと重ね合わせるのは流石に無理はあるが、竹原ピストルのここに来てのブレイクにはそれに近いものだとは思う。今回、『鈍色の青春』を聴き直して感じたことだが、竹原ピストルの音楽は野狐禅の作風からそう大きく変わってはいない。まぁ、野狐禅では相方の濱埜宏哉(Key)が居たので、鍵盤も前面にフィーチャーされており、サウンドの聴き応えは違うことは違う(この辺は後述する)。
そういう意味では、今、竹原ピストルに興味を持っている人は是非、野狐禅も聴いてほしいものである。ということで、野狐禅のデビューアルバム『鈍色の青春』を解説してみようと思う。
歌詞は12曲中10曲を竹原が手掛けており、今にも通じる彼の世界観が全開だ。
《やめてしまおうって言おうと思った/それを遮るようなタイミングで山手線が真横を走り抜けて/僕はそこに勝手に何らかのメッセージを感じて/黙って歩き続けたんだ》(M1「山手線」)。
《とうとうこみあげてくる感情を抑えきれなくなり/私にとってもはや禁句とさえ思えるその一言を思わず口にしてしまったのです/「生きてもないのに、死んでたまるか!」》(M2「鈍色の青春」)。
《人生を考える まだ始まってもいない これから始めるんだと/人生を考える 這いつくばった回数で勝負だと 立ち上がった回数で勝負だと》(M5「キッズリターン」)。
《何かに命をかけてみようと思います/今はまだ何に命をかけるべきかが分からない僕ですが それでも堂々と胸を張って/何に命をかけるべきかを 命をかけて探してゆこうと思います》(M10「拝啓、絶望殿」)。
やさぐれ感というか、ダメ人間であることを自認しつつ、それでも前へ進まねばならないという決意がある。明らかに竹原のソロ作品「オールドルーキー」や「Forever Young」と地続きの世界観であり、そのこと自体の良し悪しは分からないが、ヒューマニズムを感じさせる内容である。また、これは今回、久々に『鈍色の青春』を聴いてみて、特筆すべきと感じたことはその歌詞の文学性である。
《キャラメルコーンの袋の中きっとこんな感じでしょう/背中が小さく丸まって最終電車に想うのです》《血迷ったおばちゃんのヘアカラーに似た夜明け前の混沌に口笛を浮かべれば》(M2「鈍色の青春」)。
《ナメクジみたいに君の体を這う毎日》《ゴキブリみたいに夜を這う毎日》《自殺志願者が線路に飛び込むスピードで/生きていこうと思うんです》(M3「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」)。
《僕は無性に確かなものに触れたくなって/例えば君の背中に思い切り頭突きしながら(例えば君の肩に思い切りアイアンクローしながら)》(M5「キッズリターン」)。
《幸せと不幸せを紙コップに入れて 割り箸でかき混ぜて/吐き気をこらえて一気に飲み干した/ねえ神様 喜びと悲しみをせめてかわりばんこにしてくれよ/僕はうすうす気づいてるぜ あんたはいないんだ》(M9「金属バット」)。
情景描写、特にその比喩表現の豊かさは本当に素晴らしいと思う。《自殺志願者が線路に飛び込むスピードで生きていこう》なんて表現には他ではなかなかお目にかかれないし、電車に乗る背中を小さく丸めた人たちをキャラメルコーンに、夜明け前の空の色をおばちゃんのヘアカラーに重ねるセンスは竹原ならではのものだと思う。さらには、M3「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」やM7「さらば、生かねばならぬ」に垣間見える、西村賢太氏の私小説を彷彿とさせるボンクラな世界観も、音楽シーンではあまりお目にかかれぬ代物だ(ちなみに西村賢太氏は1996年に『野狐忌』なる私小説を書いている(単行本未収録)が、これは偶然だろう…)。これら歌詞の味わい深さだけを考えても、野狐禅を再評価する意義は十二分にあると思う。