常時2000タイトル以上のアーケードゲーム基板が動作し、1ヶ月1万円でレンタル可能な業者がある。世界初のアーケードゲーム機「コンピュータスペース」も、筐体が4色そろいぶみで貸し出し可能。
コンセントに繋ぐだけで、あの歴史的な名機が遊べる。な、なんだってー!

このレトロゲーマー垂涎の「夢の国」が、長野県にある高井商会です。その社長である高井一美さんを迎えたトークイベント「高井商会・高井社長のアーケードゲーム商売繁盛記」が、東京・神田の3311アーツ千代田で開催された「PAC-MAN展ー80's to 10's ゲーム&カルチャー」で10日、行われました。

壇上では展覧会の企画監修を務めた立命館大学のサイトウ・アキヒロ教授と、自らOBS(おにたま放送局)を主催し、オールドゲームを紹介する映像コンテンツ「基板大好き」などを配信するツェナワークスのおにたまさん、そして高井社長が登壇。40年にもわたる経歴を振り返りながら、初期アーケードゲームの魅力が語られました。

高井商会が大阪市南区でスタートしたのは1970年で、高井社長が若干21歳の時。駄菓子屋などにエレメカをレンタルする卸業でした。最初に手がけたのはウルトラマンのイラストが描かれた、子ども向けのパチンコ「ウルトラボウル」。大阪万博に日本中が沸いた年で、まだテレビゲームは影も形もなかった頃です。

もともと機械いじりが好きだった高井青年、続いて扱い始めた、アメリカ製のピンボールにすっかり魅せられてしまいます。デザインやゲーム性もさることながら、メカの構造に惚れ込んだとか。ユニット化が進んでおり、故障しても安価に修理できる点が国産との最大の違いだったそうです。
昔からメカフェチだったんですね。

そこから大ヒットした「ポン」「ブロック崩し」そして「スペースインベーダー」と、市場は一気にテレビゲーム一色に染まっていきました。ところが業界ではヒットしたゲーム機でもブームが去れば、次から次へと廃棄処分するのが当たり前。「機械がかわいそう」と考えた高井社長は、卸業を営む傍らで、基板の収集を開始するようになります。

93年にはゲーム基板の販売会社を設立。96年にはゲーム基板の月極レンタル業を開始。05年からは会社を長野県に移し、本格的な収集活動を開始しました。現在までに集めた基板は、なんと3万枚! そのうち修理して、動作するものが2000枚以上。綿菓子ロボットなどは、地元の縁日などで無償レンタルもしているんだそうです。

社屋の倉庫スペースには、コンセントを繋げばすぐに動き出す業務用ゲーム筐体がずらり。棚には多数の基板がところせましと並んでいます。プラスチックケースには、インストカードと呼ばれるゲームの説明書も、収集・整理されているとのこと。
国産ゲームだけでなく、海外ゲームが充実している点も特徴です。

そんな高井社長のお気に入りは、「コンピュータスペース」を皮切りにテレビゲーム産業を生み出した、米アタリの初期ゲームたち。画面はモノクロでも、どれもアイディアが素晴らしく、中でも「ブレイクアウト」(ブロック崩し)にハマったそうです。ちなみにこれ、アップルの創業者、ジョブスとウォズニアックが手がけたことでも有名です。

「パックマン」については、画面は綺麗だったが「ギャラクシアン」に比べて地味な印象があったとコメント。まさか30年たって、本展覧会のようなイベントが開催されるとは思わなかったと述べました。一方で本作は女性をターゲットにしたこともあり、ゲームセンター側でもアベック客が足を運びやすいように、内装やトイレなどを意識するきっかけになったそうです。

ちなみに高井社長の夢は「歴史的なテレビゲームを収集・整備・保存して、文化として後生に残していく」こと。すなわちアーケード・テレビゲーム博物館の実現で、そのためには協力を惜しまないそうです。「コレクションには興味がない。一人でも多くの人に、自分が集めたゲームで遊んでもらいたい」(高井社長)。いや~、しびれますね!

触ったら壊れるのは、この手の展覧会の常識です。
「PAC-MAN展」でも、残念ながら開店休業中のゲーム筐体がありました。でも高井社長なら、ちゃんとメンテナンスできますから! サイトウ・アキヒロ教授も「テレビゲーム博物館的な構想は大学にもあり、今後も働きかけていく」とのこと。一日でも早く実現して欲しいですね。(小野憲史)

*高井の「高」の字は正式にはハシゴ高です。
編集部おすすめ