あなたが、父親だとしよう。
息子が学校に行ってない。

嘘をついて、宿題を隠して(当然やってない)、ノートもつけてない。
学校の勉強は何もわかってない。
父親として、あなたはどうするだろうか?
「お願いがあるんだ。この先もずっと学校に通いたいかどうか、じっくり考えてくれないか」
と父親は言う。

あなたはどうするだろうか?
学校に行けと命令すれば、息子は反発して怒鳴り散らすだろう。
親子関係の決裂が、ありありと想像できてしまう。


息子は、言う。
「学校になんか、もう二度といきたくないんだ」

これは、デヴィド・ギルモアのノンフィクション『父と息子のフィルム・クラブ』の最初のシーンだ。
父親は、苦渋の決断をする。
「どうしても学校にいきたくなければ、もういかなくていい」と言ってしまうのである。
「学校をやめても、おまえは働かなくていい。家賃抜きで家にいていい。
毎日五時まで寝ててもかまわない」

つまりニートでもOKである、と。
ただし、条件がある。
ふたつだ。

ひとつ。
麻薬は絶対に禁止。

もうひとつ。

週に三本、一緒に映画を観る。

「冗談だよね、それ」
冗談ではなかった。それから、父と息子の映画対決がはじまるのだ。


不登校の息子と映画を観る。
あなたなら、最初の一本は何を選ぶだろう。
ギルモアのセレクションは、フランソワ・トリュフォー『大人は判ってくれない』


父は、見どころを息子に話して、いっしょに鑑賞する。

「どうだった?」
「ちょっと退屈かな」


退屈と言われた次のセレクションが、『氷の微笑』ってのが、いい。父さんがんばってる。

父が、あれこれ考えてセレクションする。
観る前に、作品について簡単に話す。気のきいたことを言うつもりはなかった、と書きながら、けっこう気のきいたことを言っている。

ときには、そこまで言っちゃうの言いすぎじゃないかな、うっとおしい親父と思われちゃうよ、って心配になることまで言う。

巻末に親子が観た映画120本のリストがついていて、どの作品が何ページに出てくるか、さっと判る。
映画ガイドとしても利用できる。
世代の違う人間が、何をどう感じるかという差異も楽しい。

ビートルズの『ハード・デイズ・ナイト』を観た後の親子の会話。

「ひどい映画だね」つづけて彼は言った。
「ジョン・レノンが最悪だね、四人の中で」(そこで彼は、驚くほどの正確さでレノンの声色を真似て見せた)。「こっちまで気恥ずかしくなっちゃうよ」
まさか。
私は呆然として言葉を失った。何といったって、あの音楽、映像、あの描写、そしてスタイル……それよりも何よりも、これはビートルズなのだ!
「ちょっと待ってくれ、いいね?」


父と息子の濃密な三年間の物語だ。
だが、同時に、そこにはいろいろな要素が入り込む。


「一つだけ、言わせてもらっていいかな?」
「うん、いいよ」
「流血と共にはじまった恋は、流血と共に終わるものなんだ」

息子が、父親にあけすけに自分の恋愛のことを話す(父が「やめてくれ」と言うぐらいに)。だから恋愛小説のようにも読める。息子がつきあう少女レベッカが、とても魅力的で、ぐっとくる。そんなに登場するわけじゃないのに、すごい存在感なのだ。
と、不意に、どうしてあの映画が気になったのか、なぜあの『恋する惑星』という映画が気になったのか、わかった。なぜなら、あの映画に登場する可愛い女のコが、ジェシーにレベッカを連想させたのだ。あの映画を見ていると、レベッカと一緒にいるような気になったのかもしれない。

家族の物語でもある。父は離婚している。ほとんど仕事がない時期もあって、息子よりおまえのほうが心配だよッとツッコミたくなる。
便座に腰を下ろすと、私は静かに泣きはじめた。自分という男は息子が退学するのを認めて、暮らしの面倒を見ると約束しておきながら、いまや自分自身の暮らしを立てることすら覚つかなくなってしまったのだ。

ドラッグの物語でもある。あれだけ約束したのに、ドラッグやっちゃうのな、こいつ。アメリカ怖えええ、と思う。

そして、もちろん少年の成長物語でもある。ラストシーン、泣いた。

いや、だがとにかく映画についての小説だ。映画が人と人を結びつけ、映画が人を成長させる。
「一度、彼女に『ゴッドファーザー』を見せたことがあるんだけど、はじめる直前に彼女に釘を刺したんだよね、“この映画だけは批判的なことを言わないでくれよな”って」
「何て言った、クロエは?」
「そんなの横暴だ、って。あたしにも自分の意見を言う権利はある、って」
「おまえはどう答えたんだい?」
「『ゴッドファーザー』に限っては言ってほしくない、って」
「で、どうなった?」
「口喧嘩になったんじゃないかな」

そういった経験があるボンクラども必読。
(米光一成)