お父さんは、どのように全裸で公園を歩くのか。
お父さんの名は「細川」さんだ。

“たとえば、公園の奥まった場所で全裸になる。植え込みの下に服を隠す。すぐに着られるように、服の置き方は工夫してある。全裸になった細川は大股でゆっくり歩き出す。公園の中を歩き回る。公園の外へ歩み出すこともある。同様に、橋の下から堤防や河川敷へ、空き家からさびれた町角へと進んで行く。股の下で陰茎と陰嚢をぶらぶらさせながら。人気の少ない、でもいつ人が現れても不思議ではない場所。”
うーむ。変態である。

『現代小説クロニクル2005〜2009』に収録されている短編小説・伊井直行「ヌード・マン・ウォーキング」は、全裸で公園を歩き回るお父さんの話だ。

お父さんが全裸で公園を歩き回るのですが、どうすればよいでしょう?
『現代小説クロニクル2005〜2009』講談社文芸文庫

ヌードマン・ウォーキングしている事実が明かされるのは、8ページ目だ。
それまで細川さんは、いいお父さんであり、ふつうのお父さんだ。
公園で、じゃれあう父娘を見て、“だが娘はいつまで父親にへばりついてくれるだろうか、と細川は考える。あの娘はいつ、彼女の父親がとても不格好な男であることを知るだろう?”と心配する。そんなお父さんだ。

細川さんは逮捕されたことはない。
注意して全裸ウォーキングしているからだ。
“人がいても、一人なら避けないのが原則だ。といって、こちらから近づいて裸であることを誇示したりはしない。たまたま服を着ていない人がいるだけ、と見られたい。複数の人の前では、つかまえられたり、通報されたりする可能性が高まる。特に少年の集団がいれば、迷わずヌード・ウォークは中止される。
彼らはきっと追いかけて来るからだ。”


人に出逢ったら、服を隠してある場所に戻る。
“その際、細川はなるべく一定の速度で歩く。走って逃げ出すと、そこで事件になってしまうかもしれない。びっくりして言葉を失っていた人が、走り出した途端、我に返って大声を出すのだ。”
細川さんは、堅い会社に勤めているので、もし捕まれば職を失う。
変態の烙印を押され、家族も迷惑するだろう。
だが、止められないのだ。
はじめてヌード・ウォーキングしたときは、“緊張が強すぎて行為自体に楽しさは感じられなかった”と言う。
だが、意想外の大きな達成感はあった。
“やがて、実行中にも喜びは訪れるようになる。危機と試行錯誤と発見の数年の後、細川はとうとう一人前のヌード・ウォーカーになった。
一人前と認定したのは、細川自身である”

「どんな小説なんだよ、それ!」と思っている人もいるだろう。
読んでいるあいだまさにそんな感じである。どこに連れて行かれるのか、わからない。
ふつうのいいお父さんだなと思い読み進めていたのに、この展開である。
落ち着いた筆致なので、「変態だ!」と糾弾する気にはなれない。

長年やっているので、状況の変化もある。
人の視線が全裸の自分を通り越し、何かを探すように虚空をさまようことが起こるようになる。
テレビカメラを探しているのだ。
九〇年代中頃になると、携帯電話の脅威も発生しはじめる。

“破滅に向かっている、と細川は思う。決して捕まりたくない。
その気持ちは変らないはずなのに、新たな危険を取り込まないでは満足できなかった”

不思議なもので読んでいると、(そんな欲望はまったくないのに)お父さんの気持ちが判ってくるような気がしてくる。
少なくとも、ドキドキする。破滅が近づくことに対してか、それとも他の何かに対してなのか。

“細川は、服を脱ぎつつ、今さらながらノーパンしゃぶしゃぶに対する怒りをたぎらせた。それは、人生を賭けた細川のヌード・ウォークに対する侮辱だ”
この怒りがまずかった。慎重さを欠いてしまう。
そう。見つかってしまうのだ。

いや、そもそもこれは小説である。
実録体験記や、人生相談といった実話モノですらない。

作り話だ。
「なんで、こんな嘘の話をわざわざ読んでるんだ」という気もしなくはない。
だが、読んでる間はそんなことは思いつかない。
「奇癖が止められないというのは、あるものなぁ」と考えながら読み進めている。
「全裸で公園を歩く中年男を細部まで丁寧に描いた話を読むのが止められなくなっている」のである。
小説を読むというのも、ある種の奇癖なのか。

ラスト4ページは、予想外の怒涛の展開である。
神々しいほどのビジョンに呆気にとられる。

『芸術脳の科学』(塚田稔/ブルーバックス)によると、チンパンジーも人間と同様に絵を描くことができる。
だが、目鼻のない猿の人形の顔をデッサンさせると違いがあらわれるのだ。
“チンパンジーは現実にない眼や鼻や口は、決して描かないのに対し、人間の子供はそれらを描くことができる。”

さて、お父さんが全裸で公園を歩きまわってることを知ったら、あなたはどうしますか?


『現代小説クロニクル2005〜2009』(日本文藝家協会編/講談社文芸文庫)の収録作は以下の通り。

江國香織「寝室」
佐伯一麦「むかご」
平野啓一郎「モノクロウムの街と四人の女」
伊井直行「ヌード・マン・ウォーキング」
小川洋子「ひよこトラック」
吉田修一「りんご」
田中慎弥「蛹」
楊逸「ワンちゃん」
川上未映子「あなたたちの恋愛は瀕死」
青山七恵「かけら」
柴崎友香「宇宙の日」

また、伊井直行「ヌード・マン・ウォーキング」にはロング・バージョンがある。
伊井直行『愛と癒しと殺人に欠けた小説集』に収録されている「ヌード・マン」だ。
(米光一成)
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