視聴率の話はひとまず横に置いといて。日常的にテレビを観る層と話をすると、テレビ東京の持つ人気の一際の高さを感じる。
「この局が好き」と言いたくなるような個性とパブリックイメージは、やはりテレ東とTOKYO MXが双璧ではないだろうか。MXはUHFなので、キー局の中での“愛され度”はテレ東が一位かもしれない。
「大江さん、なんで私なんですか」と号泣した夜。テレ東・狩野恵里書『半熟アナ』
『半熟アナ』狩野恵里/KADOKAWA
「この表紙は写真写りが良すぎる!」とさまぁ~ずにツッコまれていたが、たしかにこの表紙の狩野アナは最高の写真写りだ。

では、“テレ東らしさ”を象徴する番組といえば何だろう? 今では太川陽介と蛭子能収の活躍が目覚ましい『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』が真っ先に挙がるだろうし、過去を遡れば私なんかは『ヤンヤン歌うスタジオ』だと言ってしまいたくなる。
いや、冷静に考えれば同局の“最強コンテンツ”は『モヤモヤさまぁ〜ず2』になるだろうか。しかも定期的に発売されるDVDは、いつも好調な売り上げを記録。テレビ東京らしからぬ安定度である。


そんなこの番組のレギュラーに“安定”とは真逆にいるようなアナウンサーが就き、早3年が過ぎようとしている。

テレビ東京でしか開花しなかった


『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日)の進行役が夏目三久アナから青山愛アナに変わった時はショックだったが、モヤさまの時はもっと衝撃だった。何しろ、大江麻理子である。女性アナウンサー界きっての高嶺の花。個人的には、女子アナの歴史を振り返るとここ30年で間違いなくフェイバリットの存在になる。

こうなると、逆に狩野恵里アナには同情してしまいたくなる。何しろ、あまりにも偉大な前任者。
そこで、後任である彼女が思いを綴った著書『半熟アナ』を手に取ってみた。

幼少期の自分、アナウンサーを志すに至ったきっかけ、新人時代の自分、アナウンサーとしての様々な葛藤と成長……など読みどころは多いのだが、どうしても「テレ東でしか開花しなかった」なるページが印象に残ってしまう。

「人気選手の取材などに行くと各局から取材に来ていますが、その取材クルーの人数が、他局に比べて圧倒的に少ないのがテレビ東京」
「他局の方から言わせると、なんでこれが数字取るの!? というような番組が多くあります」(同書より)
彼女の言いようも凄い。しかし、これは愛社精神の表れである。
「予算も人数もいつもギリギリだからこそ、常にオリジナリティが問われてきたのです」(同書より)
たしかに、狩野アナを見てると“オリジナル”以外の何者でもないという気がする。また、彼女がアナウンサーとしてやってこれた理由は他にもあるようだ。

「他局より人数が少ないために、一人ひとりの才能の芽を摘んでいたら誰も育たなくなってしまうということもあるかもしれません」(同書より)
人数が少ないことが、むしろ良いチームワークにつながっていたのか。なんとなく、超低予算にもかかわらず大ヒットを飛ばした『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を思い出した。

ちなみに狩野アナがアナウンサーを目指したのは、大学2年の頃。在学中に「日本語学」を学び、次第に「言葉にかかわる仕事に就きたい」と思うようになったらしい。思い立ったが吉日、すぐに行動を起こすも、向かった先はなぜかナレータースクールであった。
「でもいざ行ってみると、そこはアナウンサー志望者のための学校というよりは、文字どおり『ナレーターになりたい人のための学校』」(同書より)

その後、就職活動が始まってからの狩野アナはひととおりテレビ局の試験を受けるも、エントリーシート落ちか一次面接で敗退という結果が続いてしまう。
しかし、テレビ東京だけはあれよという間に内定をもらい、晴れて“女子アナウンサー”になることができた。

彼女自身は「テレ東でしか開花しなかった」と思っているようだが、視聴者による印象はどうなのか? 実は以前、狩野アナは視聴者からこんなツイートをされたという。
「『モヤさま』を観て、狩野アナをテレビ東京が採用した意味がわかりました。『モヤさま』を観て、狩野アナを他局が採用しなかった意味もわかりました」
まさに、オリジナリティが問われるテレビ東京ならではの選球眼。素晴らしい会社である。

大江麻理子アナウンサーの熱烈プッシュで抜擢


そんな狩野アナが「モヤさま」レギュラーに抜擢されたのは、2013年。これは、当時ニューヨーク行きが決まっていた大江アナ自身による推薦が大きかったらしい。
何しろ、スタッフの多くは「狩野恵里って、誰?」なんてリアクションだったというのだから。それまで主に報道番組を担当していた狩野アナの情報は、バラエティフロアに届いていなかった。
しかし「大江アナがそこまで言うなら……」と次第に風向きは変わり、さまぁ~ずが「どんな人間がくるかはわからないけど、『体当たり』で受けてみよう」と答え、狩野アナの抜擢が決定したという。

でも、何度も言うが前任者が偉大すぎる。やはりこの3年間、狩野アナは何度も壁にぶつかっていた。
「『モヤさま』を見てくださっている方はおわかりになるかもしれませんが、あの番組には独特の“間”があります。
(中略)私は、つい“間”を埋めるようにしゃべりすぎてしまい、そのつど、スタッフから指摘されていました」
番組の打ち上げでは、ほろ酔い気分の三村からこうも言われたらしい。
「オイ狩野! “間”というものをもっと楽しめ! 大人になれ。まぁ、おまえにはまだ難しすぎる話かな、ハハハ!」
アナウンサーにとってバラエティは、とりわけ「モヤさま」はすごく難しいはずだ。場が静かになった時に「これは○○ですね」と情報を提供していくスキルこそが、アナウンサーに本来求められる技術である。
「たしかに、自分は“間”恐怖症で、いらないことばっかりをしゃべってしまっている……」

狩野アナが「モヤさま」のレギュラーになって1年が過ぎた頃、ニューヨークから帰国した大江アナがロケ後の打ち上げに参加した。こんな状況になれば、盛り上がらないわけがない。
「1年ぶりに会ったのに、息がぴったりで、お互いに言わんとすることをわかり合えている、この空気感。なんだか一人、取り残されたような気持ちになってしまいました。なんだ、この心地よい空気感は。そして、なんだ、この疎外感は……」
感極まった狩野アナは、遂には号泣してしまう。「狩野ちゃん、どうしたの?」という大江アナの優しい言葉に、さらに号泣してしまう狩野アナ。
「大江さん、なんで、なんで私なんですか……」

この日の帰り道、狩野アナと二人きりになった大江アナは「私の時とは全然違った感じで、さまぁ~ずさんは狩野ちゃんに接してくれているね。きっとこんなふうになるって、私は思っていたんだよ」と語りかけたという。
家に帰った狩野アナは、一人でまたホロリ。そして、やっぱりさすがは大江アナである。

かつては“彼氏に依存する女”だった


ちなみに同書では、狩野アナの知られざる一面が公開されている。新人時代の彼女は自分に自信が持てず、仕事に向き合うのが怖くなり、恋愛に逃げていたらしい。
「仕事の悩みを当時の交際相手にぶつけては、相手に頼りきっていました。生活のすべての軸をその相手に置いていました」
当時の自分を振り返り、「“依存する女”だった」と反省する狩野アナ。だが、その重さに彼氏は耐え切れなかった? 当時の交際相手から狩野アナは別の女性の影を発見。派手な大げんかの末、2人は別離してしまったという。
「その時、決めました。もう、恋愛なんて要らない」
かなり極端な決意に思えるが「恋愛をしたら相手にのめり込んでしまうタイプ」だと自認する狩野アナは、こうしてやっとストイックに仕事にフォーカスするようになったらしい。
「自分に自信を持てなかった私は、自分を見失い、単に自分を無条件に支えてくれる存在が欲しかった」
しかし、考え方に共鳴できるような”指針になる人”に恵まれることで、依存体質から卒業することができたという。

それにしても、ここまで過去の恋愛(しかも局在籍中!)を明け透けに告白できるのも同局の女子アナならではという気がする。さすが、テレビ東京だ。
あと、果たして今も「恋愛なんて要らない」と狩野アナは思っているのだろうか? 気になる。
(寺西ジャジューカ)