7話放送の時点で、フジテレビオンデマンド、スマホでの売り上げが歴代トップとなったという人気ドラマ「リッチマン、プアウーマン」。この作品に出演している佐野史郎さんのドラマ評に暑さも吹っ飛びました。



登場人物の名前、日向、朝比奈などが、神話に出て来る名前ということから、想像力をグイグイと広げられたようですが、今まで、これほど高尚に月9を語った人がいただろうか、と感動にむせび泣きしてしまいます。
佐野さんの文章から、月9は現代の神話なのだと思い込みました、私(きっぱり)。
月9ドラマとは時代の鏡。今、世間で起こっていることを映し出し、見ている人に生き方の示唆を与える、というようなことではないでしょうか、と。
佐野さんも「オシャレでスタイリッシュな月9のドラマの匂いは決して失わずにいながら、このドラマは、どこか不安定な現在の社会情勢を乗り切るための、その本質を見極めようと探っているようにも感じられるのです。」とドラマ評の中で仰っています。

そんなドラマのあらましをまずは振り返ってみましょう。


「リッチマン、プアウーマン」は、高卒ながら29歳にして個人資産250億円のIT企業(NEXT INNOVATION)社長の主人公・日向徹(リッチマン)と、東大生なのに就職できないで困っている大学四年生のヒロイン・夏井真琴(プアウーマン)との恋と仕事の物語です。
社長の日向はツンデレで、ヒロインはドジっ子。日向はヒロインに対してまんざらではないくせに何かとチクチクイジワルを言いますが、そんな日向に恋しちゃって一所懸命ついていこうとする真琴の関係が微笑ましいです。
真琴は最初、日向の行方不明の母親の名前・澤木千尋を名乗って彼にアタックし、恋も仕事も手に入れようとします。ドジっ子だけど東大生、なかなかやります。
「千尋」という名前から、佐野さんのように洞察力のない私なんかは当初、「リッチマン、プアウーマン」は「千と千尋の神隠し」と思っていました。

「リッチマン〜」のヒロインの名前は千尋(実は日向母の名前)で、主人公の日向は人の名前を覚えられないという設定。とすれば、これは「千と千尋〜」の、名前を奪われ千になってしまう千尋や、ハクとの出会いを思い出すことでハクが元の姿に戻れるということと、ちょっと似ている気がして。
「千と千尋〜」における湯屋は、「リッチマン〜」におけるIT会社。
「リッチマン〜」は千尋とハクの物語なんだ!と思ったわけです。
つまり、アイデンティティの問題を描いているのだなと。
ワンマン社長日向は人の名前を覚えられないけれど、「新しい物は、誰が作ったかなんてどうでもいい。
何が作られたかが重要なんだ。」(3話より)と言います。
ブランド化した名前とか肩書きとかではなく、その人の言動が大事で、それが印象的だったら日向は名前を覚えます。やってることに個性がなく、単なる記号のような人の名前は覚えられないということです。「千と千尋」における「顔なし」のような存在が社会にたくさんいるという皮肉にも感じます。
「名より実をとる」ということは、佐野さんのおっしゃる「本質を見極める」ということにつながると思いませんか。

この大事な名前を覚えられない設定は、ヒロインが名乗っていた千尋とは実は日向を捨てた母親の名前だったというミステリーの仕掛けにも使われますし、部下・安岡の名前を一向に覚えられないことをお約束のネタとして何度も使いつつ、8話では社長の座を追われる日向のドラマを一層盛り上げることにも一役買いました。
脚本家の安達奈緒子さん(「大切なことはすべて君が教えてくれた」も手掛けた)の才が光ります。
フェイス・ブックを作ったマーク・ザッカーバーグたちの青春を描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」みたいなところもたくさんあるドラマですが、そのエッセンスを、このように新たなニッポンのドラマに発展させたことはすばらしい手腕です。

さて、この、「誰がではなく、何が」問題を提示する日向を演じているのが小栗旬さんです。この方、まさに「誰がではなく、何が」問題に近年、さらされ続けてきた俳優です。
イケメン小栗旬としてブレイクして「小栗旬がやっていれば何をやっても喜ばれる」ということをよしとせず、俳優としての演技を磨こうと努力してこられました。河童の着ぐるみを着たり(「荒川アンダー ザ ブリッジ」)、アフロヘアにしたり(「宇宙兄弟」)、白塗りでクレージーな男を演じたり(舞台「時計じかけのオレンジ」)などなど難しいものにトライしてきました。

今回、その鍛錬の成果がこの役では発揮されています。
結婚後にあえてラブストーリーに主演する挑戦心も頼もしい。女性がときめくキラキラっぷりを惜しげもなく発揮する開き直りも見せながら、一方では、青年実業家の変人っぷりや苦悩なども繊細に見せていきます。
ネット配信されている、若き日の日向とビジネスパートナー朝比奈の物語を描いた「エピソード0」
での朝比奈役の井浦新との芝居は、珠玉の映画みたいでステキです。

そして、麗しい絆をもったふたりが、最悪の別れをーーというのが8月27日放送の8話まで。
頼れるナンバー2だった朝比奈が何かに憑かれたかのように変貌して、日向を精神的に追いつめていくシーンは迫力でした。
だんだん、大河ドラマ「平清盛」の崇徳院の狂おしさが、この役にも感染してしまったのではとおそろしくなってくるほど。
うちひしがれた日向を全力で追っかけ励ます真琴に、キュン。
この下がり上がりのあんばいがすばらしかったのが8話です。

朝比奈役の井浦新さんは、是枝裕和監督映画でデビューして、最近は若松孝二監督作品の常連でもあり、役への突き詰め方が深い俳優です。太陽・日向に対して、月である朝比奈の、憂いは胸をふるわせます。5話で、自分の足を自分で痛めつける場面はゾクゾクしました。

日向と朝比奈のコンビは鉄壁。彼らの仕事に追いつけない人物も登場します。志し半ばで会社を去り、やがてふたりを陥れようとする遠野秋洋という人物に、朝ドラ「カーネーション」でブレイクした綾野剛さんが扮しています。綾野さんは、棒付きキャンディーをいつもなめているという、ちょっと気になるアイテム使いで、存在感を出します。

俺達の名前じゃなくて、芝居を見てくれ、という小栗さんと綾野さんの猛暑のような主張と、夜ちょっと涼しくなった頃の月夜みたいな井浦さんのバランスがいいです。
そこに、日向と朝比奈に振り回されつつ見守っている経理担当・山上役の佐野史郎さんの、若者を俯瞰した目線も加わって、いいチームワークができています。
ともすれば類型的になりそうなドラマキャラクターに、脚本の安達さんと俳優たちが奥行きを作り出していきます。
どうも高学歴の東大生に見えないけど、その偏執さが頭のいい人らしさなの?と思わせる真琴や、トマトが嫌いなのにオムライスが好きという日向など、ひと筋縄ではいかなくて、とかく人って複雑なものね、と思わせます。

会話の中でも、言葉の裏にある微妙な感情(言葉にならない、「、、、」の部分)を安達さんは描いていて、出演者たちはそれを見事に表しています。
たとえ大声でののしっていても、その心の裏側には混沌とした気持ちもあるんです。
日向を巡って真琴(石原さとみ)のライバルになる、燿子(相武紗季)と真琴のやりとりなど女同士の皮肉に満ちていて大変愉快です。

そう、このドラマは「リッチマン」と「プアウーマン」を描いているのではなく、「リッチマン」「プアウーマン」をつなぐ「、」を描いているのです。
社会の中で便宜上分たれた、リッチとプア、男(日向)と女(真琴)などのカテゴリーを有機的につなげていくことを描いているのです。
日向が9話予告で「巻き込むぞ」と言いますが、「つなぐ」は「巻き込む」ことでもあるでしょう。
今、世の中が迷ってしまっているのは、確かなつながりが見えなくて不安なところもありますよね。
実際、月9がはじまった頃は、オシャレでスタイリッシュなことが時代の先端だったけれど、今や時代はオシャレでスタイリッシュではいられなくなってしまった。どうすりゃいいの〜と、その、さみしい狭間をさまようニッポン人を鮮やかに描いた作品といえましょう。
つまり「リッチマン、プアウーマン」の間にある「、」が重要で、この「、」の中に、佐野さん仰るところの神話が隠されているのではないでしょうか。

8話で、日向が、会社の個人情報流出問題で社長の座を追われ、真琴とふたり新たな旅立ちをして、これからどうなるの〜〜!? と最終回まで盛り上がっていく一方ですが、
リッチとプア、日向と真琴、日向と朝比奈、これらをつなぐ「、」がどんなものだとハッピーになるのでしょうか。
そのヒントは、パーソナルファイルかなと想像します。
日向が朝比奈と揉めながら、会社で進めていたパーソナルファイルというインターフェイスのプロジェクトは、いつでもすぐに知りたい人の居場所を知ることができるもの。
要するに、人と人とをつなぐものです。
切り離された人と人、社会と個人、過去と現在と未来、テレビと視聴者などなどを、どうやってつなぐことができるのか、「リッチマン、プアウーマン」がそのヒントをくれることを期待しております。

個人的には、日向と朝比奈がBL的な関係に突入したら面白かったのに、と思ったのですが、そうしたら「リッチマン、リッチマン」ですしねえ。
日向を追いつめていく朝比奈って、「おれの好きだった日向じゃなくなったから、おれの好きな日向に全力で戻してやる」みたいなヘンな気持ちが働いている気もするんですよね。
「、」とは朝比奈だったという展開で(どんな展開だよそりゃ)、安達さん、どうでしょーか!!
(木俣冬)