今夜、金曜ロードSHOWで『おもひでぽろぽろ』が放送される。監督は現在公開中『かぐや姫の物語』高畑勲


『おもひでぽろぽろ』は、東京生まれ東京育ちの27歳OLのタエ子が、田舎に憧れて山形へ旅に出るお話だ。彼女の頭に浮かんでくるのは、なぜか「小学校五年生の自分」
「青虫はさなぎにならなければ、蝶々にはなれない……。さなぎになんか、ちっともなりたいと思ってないのに」
「あの頃をしきりに思い出すのは、私にさなぎの季節が再びめぐって来たからなのだろうか……」
『おもひでぽろぽろ』が描くのは、「女性の成長」。それを描くために、あからさまに扱われているモチーフがある。
初潮(生理)だ。


ある日、女子だけが保健室に集められる。保健の先生が語るのは生理の仕組み。「女子だけの秘密」のはずだったのに、一人の女子・リエが男子に喋ってしまう。
「このスカートめくり全盛時代に、案の定生理は はやってしまったのだった」
それが何かもよくわからないまま、男子たちが「お前、生理だろ」「生理がうつる!」とはやしたてる。体育の時間、生理で休んでいるリエと、風邪で休んでいるタエ子。タエ子は「自分も生理だと思われるのではないか」と男子の視線を不安に思う……。

描かれているのは、「女になること」「女として見られること」への違和感と、居心地の悪さと、気持ち悪さ。

『かぐや姫の物語』も、初潮を扱っている。
初潮を迎えたかぐや姫は、成人の儀を執り行われ、貴族たちにお披露目される。このお披露目はもちろん、かぐや姫が「女になった」、つまり、結婚し子供を産めることを示し、結婚相手を探すためのもの。
集まった貴族たちが、翁にこう声をかける。「かぐや姫にお目通りはできないのか」。
しきたりですから、と断る翁。貴族たちはゴネて「実はブスだから見せられなかったりして」と笑う。「女」を品定めする目線にさらされる不快感が伝わってくるシーンだ。

実はジブリ作品には、初潮のモチーフがよく出てくる。
いちばん有名なものは『千と千尋の神隠し』。湯屋での仕事を与えられたあと、千尋(千)はりんに着替えを用意してもらう。
そのとき、「お腹が痛い」とうずくまる。このシーンが初潮を暗示していると言われている。
しかし『千尋』は宮崎駿監督作品。宮崎は初潮のモチーフを「女性を強くする」ものとして扱う傾向がある。高畑作品は違う。体の変化や周囲の変化(特に男性の目線)についていけず、なんとなく不安な気持ちになるものとして描いている。

私は後者に共感を抱く。『おもひでぽろぽろ』も『かぐや姫の物語』もとてもつらかった。なぜつらいのか? 「知っている」と思うからだ。アニメのキャラクターとして見ることができない。知っている誰か(友達だったり、後輩だったり、自分だったり)が重なってしまう。

この「つらさ」を描いている作品として真っ先に思い浮かぶのは、吉田秋生のマンガ『櫻の園』だ。
二話「花紅」の紀子は独白する。
「あれは小学校5年の春だったか 遅咲きの桜がもう散りかけている季節だった」
「紅いクレヨンですぅっと掃いたように下着を汚したあざやかな紅を 今もはっきりと覚えている」
「お風呂場で何度も身体を洗った 洗いながら私は泣いた」
三話「花酔い」の由布子もこう語る。
「小学校4年のあの時 父はちがうものを見るような目で私を見た」
「ふくらみかけた胸に布をまきつけ 歩く時はしらずしらず前かがみになった」
『おもひでぽろぽろ』に描かれているのとほぼ同じ時期。抱いている感情もとてもよく似ている。

初潮は「少女の成長」のメタファーで描かれやすい。よく見るのは「スカートからのぞく白い脚につーっと一筋血が伝う」といった描写。
高畑勲は、そのような記号的な表現を選ばない。
(青柳美帆子)