恋愛不適合者の男女(杏、長谷川博己)が結婚を契約と考え、その契約を結ぶために奮闘するストーリーで、一時期あったドラマといえばラブストーリーという印象はもはや影も形もない昨今、ちょっと違ったドラマと思って「デート」を見ると、これってかなりのラブストーリーじゃん! と虚をつかれる。
一方、ラブストーリー好きの人が、女主人公(杏)がカクカク事務的にしゃべったり、ケモノメイクしたり、リアルサンタの格好をしたりするなど、ぱっと見、自分と同じ恋愛の地平にあるとは思えず、見るのをためらうのもわからなくもない。
いずれにしても、ラブらしい記号が少なく視聴者を迷わせるドラマだと思う。そこがいいのだけれど。「好き」とか「愛してる」とかそういう台詞や、キスとかハグとかそういう行為をゴールにしないで、恋愛を描こうとしているので、ながら見だといいところを見逃してしまうので、要注意だ。
トリッキーに進む「デート」だが、2月9日放送の第4話はかなりラブストーリーだった。
舞台はクリスマス。流れる曲はユーミンの「恋人がサンタクロース」。ザッツ月9、ザッツ・ラブストーリーの記号を用いてドラマは快調に進む。ただ、杏はリアルサンタの格好で、国仲涼子がミニスカサンタで華を添えていた。
クリスマス、依子と巧はプレゼント交換をするが、依子のソレが若年無業者(要するにニート)のためのセミナーなどの資料で、母親・留美(風吹ジュン)の教育にも問題があると言及したことから巧が激怒してしまう。
だが、国仲演じる佳織に、巧のことを思って懸命に調査した資料であると指摘され、巧の心も動く。巧のプレゼントは、自分の本を売った金で買った安物のアクセサリーだったが、留美がこっそり、巧が子供の時に母に送った「肩たたき券」にすり替えてしまう。
今までどんなマッサージ器を使ってもコレじゃない・・・と物足りなく思っていた肩こりの依子が、巧のマッサージで「コレだ!」となるのは、第1話で、巧が台詞を引用したリチャード・ギアの「アメリカンジゴロ」のパターンと同じである。いろんな女と付き合ってきた男が、最後に一番大事だった女の存在に気付き、「君だったんだ、僕がずっと探し続けてきたのは」と言う「アメリカン・ジゴロ」を、古沢良太はマッサージ器に置き換えて見せたのかもしれない。それに、マッサージという繊細な肉体的接触は、男女の肉体的接触に近いとも言えなくもないし。
なんといっても、素敵なのは、クリスマスプレゼントに、脱ニートの資料と肩たたき券というオー・ヘンリーの「賢者の贈り物」のような清貧さ(依子は貧しくないが)。バブルの象徴・ユーミンを使いながら、その真逆の価値観を描いて、じんわりさせた。そこに至るまでの、依子の部屋に忍び込むドタバタ場面にはちょっと苦笑してしまったけれど、最後の最後で、え、あ、そこに行くのか! と思いがけないプレゼントを用意する古沢良太の巧みさよ。あ、これ、登場人物の名前ではありません、念のため。
どうやら、巧はただの偏屈な高等遊民かぶれではないらしいと、4話では語られた。子供の頃は親思いのいい子で、勉強もスポーツもできてモテていたという。そういう過去があるから、依子の部屋に外から忍び込むという運動神経を必要とする行為も可能なのだと思わせる、古沢の用意周到さ。
そして、このドラマが、ただへんなふたりの恋愛を笑うドラマではなく、何かを失ってしまった男と、ある意味純粋無垢な女とのラブストーリーという、やっぱりかなり王道のラブストーリーの様相を呈し始めるのだ。
巧は喪失体験を経ているからこそ、心がないと言われ続けてきた依子の深層に気づき、その重い扉を開けることができるのかもしれない。シンジくんが、綾波に「笑えばいいと思うよ」と言う黄金パターン。などと考えると、とってもロマンチック。
ただ、2月にクリスマスの話というのは、いまひとつ乗れないものがあった。とはいえ、今年は2月19日が旧暦でいうところのお正月に当たるので、12月の話をやっていてもおかしくはないの・・・かな?
2月16日放送の5話は、大晦日の話。旧暦的にはタイムリーだ。
(木俣冬)